はぐれ王子辺境譚(4)
ハウランが刀の切っ先を突きつけても、少女は身じろぎ一つしなかった。まっすぐに見返してくる勝ち気な目つきにたじろぎそうになったのは、むしろハウランの方であった。
「そこの女、名は?」
怯んだところを見せまいと手短にそう訊いた。
……次の瞬間、鈴が鳴ったか、宝石で出来た小鳥が鳴いたか、などというイメージが頭に湧いて、ハウランは困惑した。しかしなんのことはない、黒髪の少女が澄んだ声で一言口をきいただけだった。
「
巫女だと。それに城の婆さんどもみたいな古めかしい口調。ハウランは胸のどこかに何か引っかかるものを感じた。しかしそれにかまけて舐められる訳にも行かず、矢継ぎ早に問いを重ねた。
「一体何が目的だ」
「目的も何も。女奴隷じゃろ。お主らの慰み者じゃ。そのつもりで集めておるのじゃろ。妾がすすんで奉仕してやろうといっておるのじゃ。悪いことは言わん。連れていけ」
「だぁから、お前がそうする目的を訊いてるんだよ。このマセガキが」
ハウランが悪態をつくと、少女はふふっ、と例の清冽な声を漏らして笑った。
「目的のう。刺客か何かと思っておるなら見当違いじゃぞ。……つべこべ言わずに妾を共に連れてゆくがよい。妾もお主も求めるものは同じじゃ。二人でおれば目的を達する日も近かろう。……ああそうじゃ、連れて行くというならもちろん、好きなだけ妾を抱いてよいのだぞ。それに、先程お主の手下めらに施した悪いまじないを解いてやる事だって厭わぬ」
「……まじないだぁ? ふざけやがって」
「悪い話じゃなかろ」
そう言ってあくまで強気に笑んでみせる。一国の王子であるハウランに対し、少女はあくまで馬鹿にした態度を崩さぬつもりのようだった。それは極めて異様なことだが、異様なのは二人の会話だけではなかった。
本来ならば、一介の女奴隷が王族に対等に話しかけるなど、決して許される所業ではない。ましてや指図どころか脅迫めいたことまで言い出している時点で、少女はすでに兵たちの槍に貫かれていてもおかしくはなかった。そのはずが、そうはならない。兵士も、馬番たちも、奴隷の娘たちも、みな妖術にでもかかったように動く事も言葉を発する事もせずただ立ち尽くしているのだった。焚き火の薪がパチパチと爆ぜる音を聞いて、ハウランはその異常な静けさに気がついた。
「な……何っ?」
見回してみれば、そこにいる誰もが時を止められたように固まり、虚空を見つめていた。
「ギョトオっ!」
振り返って忠臣の姿を見つけるも、他の者と同じ様だった。死人じみた目には光がない。
「どうじゃ。妾と運命を共にする気になったかの?」
一見毒のなさそうな笑顔を浮かべる少女に、ハウランは歯ぎしりをして命じた。
「こいつらを元に戻せ」
「それは、承諾したと受け取っていいのじゃな」
「……勝手にしろ」
少女が長い瞬きで答えた途端、再び音の洪水がハウランの耳に戻った。娘たちのすすり泣き、兵たちのざわめき、蹄猫馬たちのいななく声。
その中で、気がつけば巫女と名乗った少女は両膝をつき、手の指を地面につけるやり方でハウランに敬礼をしていた。そして短刀を握っていたはずの彼の手には、なぜか少女の長い髪の一房が握られている。あまりに奇妙な出来事にハウランは言葉をなくした。
「殿下! どうされました、急に」
後から追いついて来たギョトオはハウランとその手に髪を握られた少女を交互に見比べたが、不思議な事にもう少女を怪しむどころか、ただの奴隷の一人としか思っていないようだった。
……いったいこの女、何をしやがった。
引き起こして問い質したいのを我慢して、ハウランは握っていた髪を宙に放った。
「この娘は俺が貰う。ほかのは好きにしろ」
自分のテントに引き返しながら、一瞬振り返り、
「来い」
と少女を呼ぶ。顔を上げかけた少女の顔に不敵な笑みを見たのは多分、自分だけだろうとハウランは思った。
テントの前に着くとハウランはドア代わりのフェルトの幕をあげ、のんびり歩いてくる巫女を待った。
「ここだ」
「失礼いたします」
少女は警護の兵の目を気にしてか形だけは恭しく幕をくぐったが、ハウランが後に続きその背後で幕が下ろされると途端に先程までの生意気な態度が顔を出した。テント内に配置された簡素な寝台や机、行李などを一通り見回し、ふん、と肩をすくめる。
「まあまあの調度じゃのう」
挑発的な物言いをする背中に、ハウランは冷たく言い放った。
「……そこの寝台へ座れ」
「なぁんじゃ。さっきまであんなに怖い顔しとったのに、結局もう妾を抱くつもりか? 王子様というからにはもっと理性的な人間かと思っとったのにのう。こうあってみると男は誰も一緒じゃの。穴があれば突っ込みたい、最終的にはそれだけ……の……っ……!!」
と、幼い見た目に違わぬ無邪気さでくるくる回りながら寝台に腰掛けようとした少女の軽口は、途中で途切れた。ついいましがたまで音楽のような声をぽろぽろと軽やかに奏でていた唇が、今や驚愕と苦痛で大きく開かれ、かすれた息をひゅうひゅう言わせるだけだった。
無理もなかった。彼女の左肩には、無駄にごてごてと装飾された、しかし本来の鋭さを確かに保ったフリナリカ王家伝来の短刀が、深々と突き刺さっていたのだ。
「っ……あ……うわあぁ……」
数テンポおくれて響いた小さな悲鳴を、ハウランはむしろ意外な思いで聞いた。
「ほう。やってみるもんだな。奇襲が通用するとは」
「お主……な、何ゆえこんな……こんな……」
絞り出すように問うた少女の真白の衣装は、すでに流血で紅く染まっていた。顔色は紅潮したのを通り越して血の気が引いているようだった。ハウランの胸に罪悪感が湧かない訳ではなかったが、
「先に策を弄したのはお前の方じゃねえか」
それに、とハウランは続けた。
「それぐらいの傷、お前さんにはどうってことないんじゃねえのか」
「なん……じゃと」
少女の額には脂汗が浮いている。
目の前の少女の正体について、ハウランに脳裏には一つの考えが浮かんでいた。
「……ようやく思い出したぜ。あんた巫女と言ったな。そしてさっきの妖術めいた所業。やはりお前、俺の寝首でもかくつもりで来たんだろう。東の戦線じゃあまた兄上たちの軍隊とドンパチやってるらしいものな。ええ? 違うかい、不老不死にして神秘の業を操ると名高い……太陽帝国の姫巫女様よ」
「その洞察は……まあ褒めてやってもよいが……」
と答える巫女は息も絶え絶えながら、ハウランの推理を認めた。
「そうじゃ。確かに妾は不死の呪力を宿して生を受けた姫巫女じゃ……それはそうじゃが、今はその道にはおらぬのじゃ」
「ああ? 何を訳のわからんことを……」
「とにかく……くうっ……ぅあっ」
と少女は短刀の柄を縋るように右手で握り、力任せに引き抜いた。血の飛沫が寝台の毛布にまではねて染みを作った。
「とにかく、妾はお主の思っとるような化け物ではないっ。うわあ痛い! 痛い! 血が止まらぬぞ!」
どうしてくれるんじゃぁ、と絞り出すように叫びながら寝台のシーツの上でごろごろと転げ回る少女に、ハウランは拍子抜けして身動きも取れなくなっていた。
何しろ怪しき幻術を見せつけられ、辺境の古の教えを導く不老不死の巫女という立場を明かした相手である。神話や何かにあるように肉がひとりでに再生して傷口を塞ぐくらいの事は当然やってのけるの思ったのだ。
だから痛みにのたうつ常人じみた姿を前にして、かえって毒気を抜かれてしまった。
「ああ……いや、すまん、そんなつもりじゃあ……」
「どんなつもりなら人様の身体に刃物をつきたてるんじゃ、この阿呆が! しかもあんな小汚い刀で刺しおって。悪くすれば破傷風で死んでしまうぞ」
「いや……さっきの妖術みたいに傷口ぐらいは治せるものかと」
「……まあの。妾くらいになると不死でないにしろ、治癒の術ぐらいは心得がある。しかし何事も段取りというものがあるじゃろ。こう痛くては術式も糞もないわ。……いや痛みには慣れてきた。でも血管が切れておるな。血が流れすぎて手が震えてきたぞ、ほら何とかせんか!」
大量失血で倒れても良さそうな顔をしながらも威勢だけは絶えない少女の勢いに押され、ハウランは行李から薬袋を取り出して中身を寝台の毛布の上にぶちまけた。干した葉やら動物の骨やらの薬が独特の匂いを立ち上らせる。ギョトオがいなければハウランにはどれがどれやらわからなかったが、少女は一目で血止めの薬草を見つけた。それを迷わず口に含んで湿らせ、痛い痛いと呻きながら傷跡に揉み込み、着物の片袖を脱いで傷の上から自分で包帯を巻いていく。
「痺れて痛みを感じなくなってきたぞ。さすがに良い薬が揃っておるの。これで落ち着いて術も使えるというものじゃ」
そう言うと今度は何やら指で印を切って傷跡をなでるようにしてみせた。
「……ま、これで明日には傷も塞がろう」
「そんなんでいいなら最初からやればいいじゃねえか」
「気持ちの問題じゃ……それよりお主のう!」
と、また刺された怒りが湧いて来たらしく掴み掛かってこようとした少女の体は、しかしハウランの胸ぐらまで届かずに床に崩れ落ちた。
「あっおい大丈夫か」
と抱き起こした時にはもう、彼女の意識は途絶えていた。
わざわざ厚手の毛布をかけて自分の寝台に寝かせてやった少女を見下ろし、妙な事になっちまったな、とハウランは内心で独り言ちた。
一度は深手を負わせた闖入者に薬さえ与えて助けることになるとは。しかも相手は——その自称が正しければだが——敵国の要人だという。それこそ、いつ寝首をかかれるか知れないというのに……まったく我ながらどうかしてる。
そんなハウランの心を読んだ訳でもあるまいが、そのとき一度だけ、少女が薄く目を開けた。
「お主、何やら巨大な勘違いをしているようじゃが」
「起きていたのか」
「今目が覚めたのじゃ。すぐまた眠る。……妾は何も、お主を殺しに来たわけでも懐柔しに来たわけでもないぞ。さっきの妾の言葉を覚えていないのか」
「痛い痛いと喚いていたな」
「それは忘れて良い。そうではなく、妾もお主も、求めるところは同じ、と言ったのじゃ」
「求めるものが……同じだと?」
「……アーレン」
「ああ?」
「男の名じゃ。黒衣の男……とでも言えばピンと来るじゃろ」
「……っ! 奴について知ってるのか」
「ううむ。いずれ……話す時も……くるじゃろ」
その最後の言葉は途切れがちで、ハウランが色を変えて問いただした時にはもう、少女はすっかり眠りに落ちていた。
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