第52話 為すべき事
「アレ…ン…」
ラスリアは、息切れをしながら、アレンを見つめていた。
アギトが放った魔術によって四肢を拘束されたラスリアは、その場の成り行きを見守っていた。
アギトに名前を呼ばれたから…足を動かしているとでもいうの…!?
ラスリアは、アレンが
いや…まだ、全てが終わった訳ではないわ…!!
自分が見動き取れない状況になっても、彼女は諦めていない。
敵の視線がアレンへ向いている中、ラスリアは地面に落ちている短剣と、床にこびりついた血痕に視線を落とす。
「さぁ…世界が無になる時間が、もうまもなくだよ…」
アギトは、狂気じみた
“もう一人のガジェイレル”の肉体が絡みついている
「…っ…!!」
“中”にある物が外気に触れた事で、ラスリアの体に鳥肌が立つ。
以前に
ラスリアは、改めて肉眼で見る“それ”に釘付けであった。
一方、一歩ずつ中へと踏み込んでいくアレンは、次第に“片割れ”に触れられるくらい近くまで足を進めていた。
「俺の片割れ…。やっと…一つに…」
ボソボソと呟くアレンだったが、正気を失っているような声音にも聞こえる。
ただし、ラスリアやアギトには背中を向けているため、アレンが今どのような表情をしているかは、誰にもわからない。
あ…
不意に、ラスリアはアレンが左手を不自然に動かしている事に気が付く。
表情こそ見えなくても、彼が今の動作をした事で、ラスリアはアレンが“正常な意識を保っている”事を認識した。
私の…為すべき事をしなくては…!!
ラスリアは、そう強い想いを心の中で述べる。
そうして、ラスリアは意識を、前方にいるアレンに集中し始めるのであった。
※
「俺の片割れ…。やっと…一つに…」
俺がそう口にした時、自分の右手を広間の中心にある肉塊の上にかぶせていた。
その後、敵に気付かれないように左手を少し動かすと―――――――――――はめていたグローブの隙間から、赤い液体の入った小瓶が姿を現す。
「…っ…!!」
それをたたきつけるようにして、アレンは左手を“イル”にぶつける。
「おぉ…!!」
すると、後ろの方では、アギトが感激をしているような声をあげていた。
肉塊に触れた俺の両手は、まるで吞み込まれるかのようにして、中へ取り込まれていく。その幅は両手に限らず、次第に肉塊は、自身の二の腕から肩。そして全身へと、俺の体を飲み込もうとしている。
さぁ…俺も、為すべきことを果たすぞ…!!
アレンは、自身の身に起きている事には抗う事をせず、強い意識を保ち続けていた。
赤い肉塊は、ついにはアレンの顔面や顔全体をも、中へと呑み込んでいく。それが、本当の意味で“片割れと一つになる”事を理解していたアレンは、そのまま流れに身を任せる事となる。
「フフフフフ…あははははははは!!!」
後方でアギトの笑い声を聞こえた後、アレンの意識が闇に呑まれる事となる。
「う…」
そして、幾何かの時間を意識が失っていたアレンは、重たくなった瞼を開く。
「ここは…」
アレンは、横たわっていた自分の体をゆっくりと起こす。
気が付くと、周囲はただ赤いだけの風景が広がっていた。
「待っていたわ…アレン」
「お前は…!!」
前方から女性の声がしたため、アレンはそちらへ振り向く。
そこには、右目の目下に自身と同じ痣を持ち、自分と全く瓜二つな顔を持つ女性――――――――“もう一人のガジェイレル”であるセリエルだった。
それによって、アレンは今自分が立っている場所が何処かを悟る。
「セリエル…。お前は、知っていたのか?俺が、“敢えてお前と一つになろうとしていた”事を…」
アレンは、不意に彼女へと問いかける。
セリエルと会ったのは、世界統合直後…互いの肉体が入れ替わっていた時以来であり、それ以降は全く接触していないはずだが…
アレンは、セリエルの顔を見つめながら、彼女の返答を待つ。
「“星の意志”がね…教えてくれたの。“再生の巫女”の導きを経て、“貴方”が“私達”の中に戻ってくる事を…」
「成程な…」
セリエルの返答を聞いた事で、アレンは事情を察知することができたのである。
一方で、彼女の表情が少し哀しそうにも見えていた。しかし、セリエルはすぐに、真剣な表情を浮かべる。
「…ならば俺は、今為すべき事をしよう。これで、世界を救えるというならば…!」
アレンは、そう告げながら、左手に握っていた小さな小瓶に視線を落とす。
「それが、古代種“キロ”の血…ね。まさか、“血”を媒介にする魔術があっただなんて…流石は、“星を切り開く民”…って所ね」
セリエルは、そう述べながらアレンの掌にある赤い液体の事を述べていた。
俺ができる事をできず、自分が知らない事を知っている…か
一方で、そんなセリエルを、アレンは見つめていた。
それは世界が統合した後に知った話だが―――――――アレンが剣術を使えることに対し、セリエルは魔術が使えるという。そのため、お互いに逆の事はできないし、アレン自身が知っている事をセリエルは知っている。この対極的な特徴は、自身の“片割れ”と呼ぶに相応しい状態といえるだろう。
そのため、これから起きる出来事を実行できるのもまた、アレンにしかできない事なのかもしれない。
剣士の俺が“詠唱”をするのも滑稽だが…“ラスリアの援護”もあるんだ。やるしかない…!!
”何が何でもやってみせる“と決意したアレンは、閉じていた口を開く。
「セリエル…こっちに来てくれ」
「……ええ」
アレンに促された事で始めは驚いていたが、何をするのかを悟ったのか、セリエルは少しずつ彼に近づいていく。
そうして、近づいてきたセリエルに対し、アレンは自身の左手を差し出す。そこには無論、“
「AЁ…」
その真剣な表情を確認したアレンは、何やら呪文の詠唱をし始める。
彼の口から紡がれる呪文によって、二人の体に光が発生していく。その紅い光は、小さな灯から次第に大きくなり、あっという間にアレンとセリエルの体を包み込んでいた。
「SDБ…Q…」
アレンは、緊張した面持ちで詠唱を続けていく。
それに比例するかのように、彼らの体から現れた光は大きくなっていく。
「これで、世界は救われる……けど、貴方は“それ”が何を代償にして行われるのかを、やはり知らないのね…」
セリエルは、アレンの詠唱の邪魔にならないくらい小さな声で呟く。
詠唱に集中していたアレンは当然、今セリエルが告げた
※
「ラスリア…!!」
ラスリアやアギトがいる広間に、敵を倒して追いついたチェスの姿があった。
ただし、“8人の異端者”の一人と戦っていたチェスは、体のあちこちに傷があり、痛めた腕を抑えながらの状態である。
しかし、当の本人は、彼の呼びかけにも聞こえていない状態だった。
ひとまず…成功…したんだね…!!
チェスは、驚愕して立ち尽くしているアギトを目にした途端、“予定通りに事が進んでいる”と悟っている事になる。
「ウォトレストの子供…か」
「お前…お前が、アギトだな…!!」
チェスの存在に気が付いたアギトは、横目で彼を一瞥する。
「あ…!!」
当のチェスは、すぐに視線をアギトではなく、アレンがいるであろう
すると、その肉塊ともいえる
「貴様ら…一体、何をした!!?」
すると、“イル”の異変に気が付いたアギトが激昂する。
古代種“キロ”の末裔であり、“8人の異端者”のリーダーであるアギトを正面から見たのは、チェスは初めてだろう。しかし、そんな初対面の彼でも、今アギトが動揺しているのが手にとるようにわかる。
「僕も詳しくは…。ただし、仮に知っていたとしても、貴方に語る義理はないです」
冷静な口調で語るチェスは、少し哀しそうな表情をしていた。
小瓶に入れてアレンに持たせた、ラスリアの血。…そして、ナイフでかすり傷程度とはいえ、同じ“キロ”であるアギトの血…。その二つを媒介にし、“
心の中で問いかけていたチェスは、不意に視線を壁の方に移す。
そこには、蔦で四肢を拘束され、壁に磔の状態にされたラスリアの姿がある。
「ラスリア…」
チェスは、呟くように彼女の名前を口にする。
当のラスリアは、瞳を閉じたまま黙り込んでいる。チェスはそれが、心の中で呪文の詠唱をしているというのを解っていた。
これが、彼女が作戦会議の時に話していた“
心の中で語るチェスの瞳には、一筋の涙が流れている。
「ラスリア。君は、自分以外には知られていないと思っているかもしれない…。でも、僕やミュルザは、知っているんだから…!!」
チェスは、今にも泣き出しそうな自分の感情を抑えながら、ラスリアを見上げる。
そう告げる一方、広間を含む建物自体が、地震で揺れ始めている事をチェスは悟る。動揺しているアギトとは裏腹に、チェスは逃げ出そうともせずに、その場に立ち尽くす。
「アレン…皆…」
この時、か細い声音ではあるが――――――――――――――チェスの耳に、ラスリアの声が響いていた。
この瞬間は、まさに5秒もないくらい短い時間での出来事だったが、チェスにとっては、それが倍以上長い時間のように感じていた。
「さようなら…!」
「…っ…!!」
周囲が大きく揺れる中、ラスリアの声をチェスは聞き取る。
ラスリアが最後の
その眩しさに対し、チェスは瞬時に瞳を閉じた。
その後、“イル”があったその場所は、光の後に大爆発を起こす。
島全体を破壊しそうな勢いのある大爆発だったが、その爆発による“死者”はいなかった。島の海岸や空中で戦っていた竜騎士や各国の兵達は、何が起きたのかは理解できなかったが、“作戦が成功した”事を、この後に知らされることになるのであった。
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