(13)不愉快な逗留先
セレナ達一行は、大歓迎を受けながら一般の宿屋に三泊し、旅の四日目にはレンフィス伯爵領と隣接しているヤーニス辺境伯領に入った。
「今日は表敬訪問を兼ねて、ヤーニス辺境伯の居城でお世話になるのですね?」
夕刻になり、馬車の窓から賑やかになってきた街道の周囲を眺めながらクレアが確認を入れると、セレナが即座に頷いた。
「ええ。我が家の領地はヤーニス辺境伯の領地より王都側にあるのですが、その間に険しい山地が連なっていて、街道を整備するのが不可能なのです。それで王都との往復には、こちらの領地を通過して回り込む必要があります」
「ヤーニス辺境伯は王国西方の守りの要ですから、城下町もこれまで通過してきた領地のそれとは、賑わい方が違いますね」
「他の領地は中心地にある城は、城と言っても王都の館の規模を多少大きくした程度の物ですから。こちらの城は、本格的な城塞ですよ? 過去に大規模な攻防戦の現場にもなりましたし」
「これまで国境沿いまで視察に出た事は無かったので、直に見ることができて楽しみです。ところで、レンフフィス伯爵家とヤーニス辺境伯家の関係は良好なのですか?」
そこで何気なくクレアが発した問いに、セレナは一瞬戸惑ってから言葉を返した。
「ええと……、当代のバウル様とお父様は親しくお付き合いしておりましたし、祖父の代も良好な関係を築いていたと伺っています」
その微妙に引っ掛かる物言いに、クレアは軽く首を傾げながら問いを重ねる。
「それなら因みに、次代同士の交流に関しては?」
「はぁ……、バウル様には息子と娘が二人ずつおられるのですが、私と年が近い上の二人とは、少々気が合わないと言うか……。正直、どういうお付き合いをすれば良いのか、困っています」
今度は困惑ぶりを如実に表しながらセレナが告げると、クレアは納得したように頷いた。
「なるほど……。セレナさんが対応に困るなら、そのお二人はそれなりに性格に難があるという事ですね。お城にお邪魔したら当然顔を合わせる事になるでしょうから、心構えをしておきましょう」
「いえ、あの、クレアさん? 私が少々苦手にしていると言っても、それは単なる個人的な見解なので。それだけで性格に難があると断言するのは、どうかと思いますが」
慌てて意見を述べたセレナだったが、クレアは穏やかな笑みを浮かべながら断言した。
「私はこれまでの付き合いで、セレナさんの人となりは十分理解したつもりですよ? 基本的に人を選り好みしない、変な先入観を持たないあなたがそう言うのなら、誰が見てもそれなりに面倒な人だというのが分かります。その辺りは信用していますから」
それを聞いたセレナは、ちょっと照れ臭そうな表情になりながら頭を下げた。
「ありがとうございます、クレアさん」
「いえ、どういたしまして。ついでにもう少し、ヤーニス辺境伯と領地に関しての情報を貰えますか? 公式行事で顔を合わせた事はありますが、個人的な交流はありませんでしたので」
「分かりました」
それから暫くの間、馬車の中でヤーニス辺境伯家や領地に関する情報がやり取りされていたが、ふと窓の外に目をやったセレナが、目的の物を指差しながらクレアに教えた。
「クレアさん、ヤーニス辺境伯家の居城、グランスバール城が見えてきました」
それを受けてクレアが視線を向けると、四方に堀を巡らせた向こう側に、重厚な塀に囲まれた城の建物の上部と、幾つかの尖塔が見えた。注意深くそれらを観察したクレアは、簡潔に感想を口にする。
「なるほど……。さすがに堅牢な構えですね」
「あれと比べたら我が家の舘なんて、ちっぽけな馬屋に過ぎませんから」
「そんな事は無いでしょう」
互いに笑い合いながら話に戻った二人だったが、クレアは(レンフィス領の隣接地、しかも西側の国防拠点を治める大貴族。下手に揉めないように注意しないといけないわね)と、改めて警戒した。
「クライブ様、セレナ様、到着しました」
「ありがとう。今、降ります」
跳ね橋を渡って城内に入り、更に奥へと進んでから静かに馬車が停められた。次いで外からネリアが声をかけてきた為、セレナ達は順に降りる。
「ネリア。一つ聞かせて欲しいのだけど」
「何ですか?」
セレナがラーディス達と何やら話している隙に、クレアは素早く近くに控えていたネリアと距離を詰めて囁いた。
「あなたから見た、ここの上のご子息とご令嬢の感想を端的に述べると、どうなるのかしら?」
それにネリアは、無表情になりながら即答した。
「ラーディス様に面と向かって『名目だけの駄犬風情が、高貴な人間の視界に入るな』と公言する方です」
「……端的な回答をありがとう」
「付け加えれば確かにご当主は人格者ですが、奥方がかなり問題ありです。そして先代の娘と結婚して当主になったバウル様は、微妙に奥様に頭が上がらない所があります」
「忠告ありがとう。そういう所なら使用人は滞在場所も区別される筈だから、セレナの事は私がフォローします」
「宜しくお願いします」
(恐らくセレナは控え目に評しているとは思っていたけど、やはり相当問題がありそうね)
予想に違わぬ事実を聞かされて、クレアは小さく溜め息を吐いた。
そうこうしているうちに、目の前の扉から身なりのよい男性が数人を従えて現れ、満面の笑みでクレアに歩み寄って来る。
「バルド大公、ようこそ、グランスバール城へ。あなたをお迎えできて、とても嬉しいです。歓迎致します」
「ありがとうございます、ヤーニス辺境伯。暫くはレンフィス伯爵領に滞在しますので、その間にお目にかかる事もあるかと。なにぶんこちらの事情には詳しくありませんので、ご指導を宜しくお願いします」
「あなた様にご指導する事など、無いと思いますが」
お互いに差し出された手を握り合い、笑顔で挨拶を交わしてから、バウルはセレナに向き直った。
「ああ、セレナ。君の幸せな姿を見られて嬉しいよ。亡くなったライアンも、安堵しているだろう」
「バウル様、父の葬儀の時にはご列席いただき、ありがとうございました」
「当然の事だから、そんなに畏まらないでくれ。彼はまだまだ若かったのに、本当に残念だ。だがバルド大公がエリオットの後見になってくださって、本当に安心したよ」
そんな和やかな会話に、少々刺のある声が割り込んだ。
「あなた。こんな所で立ち話などせずに、中に入っていただかないと」
「ああ、そうだな」
進言しながらさりげなく自分の隣に並んだ女性を、バウルはクレアに紹介した。
「バルド大公、こちらは妻のルイーザです。お見知りおきください」
「ルイーザと申します。これほど間近でお会いする事ができて、身に余る光栄です」
「ルイーザ夫人、初めまして。今日は妻共々お世話になります」
「……精一杯、おもてなしさせていただきます」
自分が「妻共々」と口にした時、ルイーザが一瞬不快そうに顔を歪めたのを見逃さなかったクレアは、彼女の取って付けたような笑顔の下にどんな感情が隠されているかを、垣間見た気がした。
「バルド大公、セレナ。旅で疲れただろうし、まずは応接室にどうぞ」
「ありがとうございます。お世話になります」
バウルに促されて一行は目の前の入り口から中に入ろうとしたが、そこでルイーザの鋭い声がかけられる。
「使用人の方々は、向こうにある出入り口からどうぞ。執事に案内させます」
しかしここでラーディスと面識があったバウルは、集団の中に彼が居るのを認めて、やんわりと妻を嗜めた。
「いや、ラーディスはれっきとした伯爵家の一員だし、他の随行者達も、こちらから入れて問題は無いだろう」
「とんでもありません。使用人なら使用人らしく、きちんと身の程を弁えるべきですわ」
「だからラーディスは使用人では無いと」
「あの! 義兄様は他の者と一緒にいると申しておりますし、お気遣いなく。ただパトリック様とコニー様は、王太子殿下のご用命で今回私達と同行されている近衛騎士団の方々ですので、私達と同等の客間を準備していただけないでしょうか?」
バウルとルイーザが揉め始めたのを見たセレナは、少々焦りながら会話に割り込んだ。すると思わず夫妻が視線を向けた先で、ラーディスが小さく一礼してから他の者達を引き連れ、執事の先導で他の出入り口に向かって移動を始めており、ルイーザが慌てて声をかける。
「お待ちくださいませ! その中に近衛騎士団の方がいらっしょるのは本当でございますか!?」
「あ、はい。私と彼ですが」
パトリックとコニーが足を止めて振り返ると、二人に駆け寄ったルイーザが愛想笑いを振り撒いた。
「まあまあ、失礼を致しました。お二方はこちらからどうぞ。歓迎いたしますわ」
「いえ、私達は単なる随行者ですので」
「王太子殿下のご用を承っている方を、使用人風情などと一緒にしておくことなどできませんわ! どうぞこちらに!」
「……それでは、お世話になります」
尚も抵抗しようとした二人だったが、ラーディスが無言で首を振ったのを見て、おとなしくルイーザについて行った。そしてルイーザは全く罪悪感を感じさせない様子で廊下を先導して歩き出し、バウルは無言で首を振ってからセレナに小さく頭を下げた。彼と並んで歩きながらセレナも苦笑の表情で首を振ったが、クレアは少し前からどこからか感じていた不愉快な視線の事もあって、益々警戒感を強めていた。
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