(18)引き返せない状況

 リオネスの立太子式とクライブへの大公位授与、及び婚約披露を兼ねた夜会当日。王宮までしっかり護衛付きで出向いたセレナは、侍従に案内された控え室までラーディスのエスコートで出向いた。 

 そして重苦しい空気を纏わせつつ、室内で待つこと暫し。クライブが何人かのお供を引き連れて、笑顔で入室して来る。


「セレナ、お待たせしました」

「いえ、それほど待ってはおりませんから」

 強張った笑みを浮かべつつセレナがソファーから立ち上がると、彼がラーディスに顔を向ける。


「ラーディス、ご苦労様です。申し訳ありませんが、終わるまでこちらで待機していてください」

「……承知いたしました」

 ラーディスが無表情で頭を下げると、クライブはセレナを促して部屋を出て行った。


(私もこのまま待機したい……。そんな事、できないけど)

(頑張れ、セレナ。健闘を祈る)

 遠い目をしたセレナの心境を正確に理解していたラーディスは、その背中を黙って見送った。


「殿下、少しお伺いしてもよろしいですか?」

「何ですか? 今答えられる事なら、お答えしますが」

(うん、この状況で、確かに迂闊な事は言えないけどね)

 セレナが廊下を歩き出しながら並んで歩くクライブに声をかけると、彼は苦笑気味に言葉を返してきた。自分達の後ろを複数の侍従達が歩いている状況なのはセレナも分かっていた為、極めて現実的な問いを発する。


「今回、特に注意しておく事はありますか?」

「嫉妬と羨望の眼差しと殺気をかなり浴びると思いますが、今回正式にリオネスが王太子となったら、それらはかなり減ると思います」

 そんな慰めにもならない事をあっさりとした口調で言われて、セレナは思わず溜め息を吐いた。


「……諦めきれない思い切りの悪い方は、どうしても存在しますものね」

「あなたが賢い方で助かります」

(やっぱり擬似常在戦場状態は、もう少し続きそうね。義兄様達はこれまでに刺客を何人、鉱山送りにしたのかしら)

 そこでセレナは現実逃避する為に、別の事を考えた。


(それにしても……。改めて並んでみると、クライブ殿下は男性にしては背が低めなのね。勿論私より上背はあるし、私自身、平均的な女性の身長より高い方だけど……)

 思わずまじまじとその整った横顔を軽く見上げていると、その視線を感じたらしいクライブが、不思議そうに尋ねてくる。


「セレナ、どうかしましたか?」

「いえ、何でもありません!」

「そうですか?」

 慌てて首を振ったセレナに彼は訝しげな表情になったものの、それ以上突っ込んで尋ねる事もなく、時折言葉を交わしながら歩き続けた。


(一瞬、殿下の秘密の恋人が殿下より遥かに背が高くて、王妃の方が上背が高いなどもってのほかだと反対されるから、私と偽装結婚して王族籍からの離脱を画策したとか考えちゃったわ。……まさかそんな馬鹿な事、有るわけ無いわよね?)

 セレナがそんな埒もない事を考えているうちに二人は大広間の入口に到達し、控えていた侍従が恭しく扉を開ける。


「それではセレナ、行きましょうか」

「……はい」

 二人が腕を組んで入場した途端、夜会が開催する前に知り合い同士で談笑していた、和やかな会場の空気が一変した。


(うぅ……、気まずいし、視線が痛い……)

 あちこちで囁き声が交わされると同時に、不躾とも言える視線が二人に、特にセレナに突き刺さる。しかしクライブはそれらを全く気にする事無く会場を進み、予め打ち合わせてあったらしく、女性二人組に歩み寄って声をかけた。


「ダレン侯爵夫人、グレナース伯爵夫人、お久しぶりです」

 すると先日セレナと顔を合わせているアルネーは、チラッと未だ空席の王妃用の玉座を見てから笑顔で応じる。


「クライブ殿下には、ご機嫌麗しく。あまり大きな声では言えませんが、正式なご婚約披露、おめでとうございます」

「ありがとうございます。今夜は私が離れている間は、セレナの事を宜しくお願いします」

 確かに王妃の手前、声高に祝辞は口にできないだろうとクライブが苦笑しながら依頼すると、アルネーも笑顔を深めながら請け負った。


「お任せください。くだらない有象無象など、蹴散らして差し上げますわ。セレナ様、またお目にかかれて嬉しいです」

「こちらこそ光栄です、アルネー様。今夜は宜しくお願いします」

 確かに何らかの不測の事態が生じてもおかしくはない状況であり、セレナが神妙に頭を下げると、アルネーは笑顔のまま隣に立つ女性を紹介してくる。


「ご紹介しますわね? こちらは、グレナース伯爵夫人のルディアよ。グレナース伯爵家は母の実家なので、従姉妹でもあるの」

「セレナ様、初めまして。ルディア・エーレ・グレナースと申します」

「こちらこそ、宜しくお願いします。セレナ・ルザリア・レンフィスです」

 先程クライブが口にした家名を聞いて、相手が誰かを理解していたセレナは、再び頭を下げた。そこでクライブが、軽く周囲を見回しながらアルネーに尋ねる。


「ところで姉上、ご夫君とグレナース伯爵はどちらにおられますか? 夜会が始まる前にご挨拶をと思っていたのですが」

 それを聞いたアルネーは苦々しい顔になり、ルディアは僅かに顔を強張らせた。


「夫は知人に挨拶をしていますが、兄上はご病気だそうです。あの頑強なだけが取り柄の兄上が、一体どんな病気にかかったのやら」

「……申し訳ございません」

「私は別に気にしませんから。ですが立太子式を欠席となると、色々な憶測を呼びかねませんね」

 面目なさげに頭を下げたルディアを見て、クライブは気の毒そうな顔で宥めながら懸念を口にした。それにアルネーが真顔で頷く。


「ええ。それで今回、あまりルディアを一人にしておきたくないものですから。今回彼女も、セレナ様と一緒に居させても構いませんか?」

「それは構いません。セレナ、良いですね?」

「はい、却って心強いですわ。こういう場は慣れておりませんので、色々教えてくださいませ」

「ありがとうございます」

「宜しくお願いします」

 その直後にダレン侯爵ジャスパーが合流し、周囲の人目など殆ど気にする事なく五人で談笑しているうちに、国王と王妃が入場して玉座に着いた。


「それでは夜会に先立ち、現王太子であるクライブに対する大公位授与式と、リオネスの立太子式を執り行う」

 その国王の宣言を受けて、クライブはダレン侯爵達に軽く頭を下げる。


「それでは行ってきます。セレナの事を、宜しくお願いします」

「お任せください」

「ご安心なさって」

 侯爵夫妻に笑顔で保証して貰った彼はセレナに微笑んでから、悠然とした足取りで玉座の前に進んだ。その威風漂う後ろ姿を見ながら、ルディアが感嘆の溜め息を漏らす。


「さすがはクライブ殿下。王太子としての風格は、例えその地位を譲り渡したとしても、消えるものではありませんわ。セレナ様が本当に羨ましいです」

「……いえ、私などの為にこの度大事になってしまいまして、恐縮しております」

 これは本心からの言葉だったのだが、それを耳にしたジャスパーは即座に振り返り、真摯な口調でセレナに言い聞かせた。


「確かに大事にはなりましたが、そこまでご自身を卑下する必要はありません。謙虚さは必要ですが卑屈になり過ぎるのは、あなたを選んだクライブ殿下を貶める事にもなります。他人から何を言われても、堂々としておられるのが肝要でしょう」

「ご教授、ありがとうございます。心に刻み込んでおきますわ」

 確かにそうだろうと思ったセレナが頭を下げると、アルネー達が力強く宣言してくる。


「夫の言うとおりですわ。私はセレナ様の味方ですもの」

「私もこの機会に、セレナ様と親しくお付き合いしたいと思っております」

「ありがとうございます」

 その笑顔での申し出に、セレナは心から安堵した。


(グレナース伯爵本人はともかく、夫人は優しそうな方で安心したわ。エリオットがユリウス殿下の学友に選ばれた事で嫌みの一つも言われるかと思っていたけど、話題にする気配すら無いし。エリオットに絡んだご子息と言うのは、母親似では無く父親似なのね)

 そんな風に納得したセレナは、興味本位や明らかに敵意を持って絡んできた貴族達を侯爵夫妻がしっかり撃退する中、ルディアと気安く会話を交わし、クライブが不在の間もさほど不安を感じずに乗り切る事ができた。


「セレナ、お待たせしました。それでは一緒に主だった方々に、ご挨拶に行きましょう」

 授与式と立太子式が終わって夜会が開催されてからも、そのまま他の王族や各国大使などに状況説明や挨拶をしていたクライブが、一旦それを切り上げてセレナの所に戻って来た。それを受けて、セレナが三人に礼を述べる。


「ダレン侯爵様、アルネー様、ルディア様、ありがとうございました」

「お気になさらず」

「楽しく語らえて良かったです」

「今後とも、宜しくお願いします」

 そしてセレナの手を取って会場を回り始めたクライブを眺めながら、ジャスパーは困惑気味に妻に尋ねた。


「やはり今夜の王妃様のお顔は、いつもより強張っているとお見受けするが、あの騒ぎになった一件以来、未だにセレナ嬢とのご面会の機会は無いのか?」

「私が耳にした限りでは、そのようですわ。ご本人が気になさるかもしれませんから、今回直接お尋ねはしませんでしたが。王妃様も彼女と、きちんと向き合われたら宜しいのに」

 アルネーがため息まじりにそう告げると、ルディアも物憂げな表情で相槌を打つ。


「確かに家格としては王妃とするにはかなり問題がありますが、ご本人には何の問題もございませんわ。王妃様が未だに認めておられないのは、残念としか言いようがありません」

「全くだな。あの王妃陛下が、あそこまで頑なな方だったとは」

「確かに驚きましたわね」

 侯爵夫妻がしみじみと同意する中、ルディアは冷静に考えを巡らせていた。


(でも逆に言えば、クライブ殿下とセレナ様の結婚に関して問題があるとすれば、それ位のものよ。家中がこぞって拒否したのに叔母様と陛下に縁組みをごり押しされて、傍目には祝福された私とは全く状況が違うわ)

 我が身とそんな比較をしていたルディアは、先程までの好意的な表情から一変して、冷め切った目でセレナ達を眺めていた。



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