(8)宰相の慨嘆
普段であれば予め予定を告げてから訪れる父が、先触れも無くいきなり後宮の自分の私室にやって来れば驚くところだが、先程後宮の一角で沸き起こった騒ぎを女官の一人が聞きつけており、側妃の一人であるメラニーは興味津々で彼を出迎えた。
「メラニー、急に顔を出してすまん」
「それは構いません。王妃様のお部屋の方が騒がしいと、女官達が騒いでおりましたが、何事ですの? その直後にいらしたのですから、当然お父様は詳細についてご存知ですわよね?」
寧ろ、そうでないとおかしいと決めつけている娘に、宰相でもあるディールは溜め息を吐いてから語り出した。
「先程、王妃陛下がレンフィス伯爵令嬢を呼び出されてな。クライブ殿下がお連れしたのだが、顔を合わせるや否や、王妃様がご令嬢を罵倒なさったのだ」
「あの王妃様が、私室内でとは言え、人前で罵倒されたのですか!?」
普段の落ち着き払った佇まいの彼女を見知っているメラニーは、信じられずに問い返した。そんな娘の顔を見たディールが、再度深い溜め息を吐いて話を続ける。
「王妃として認められそうもない女性と結婚したいから、王族から抜けると唐突に言われてしまった王妃陛下の気持ちも、分からないではないがな……。我を忘れて暴言を口にした挙げ句に殴りかかり、最後は花瓶を投げつけて、ご令嬢のドレスを台無しにしてしまったのだ。あれは幾ら何でもやり過ぎだろう」
「花瓶を投げつけたですって!? 下手をすれば、怪我をするではありませんか!? クライブ殿下は、その場にいらしたのですよね? 一体、何をされていたのです!」
驚愕と共に怒りが湧き上がってきたメラニーを、彼は渋面になりながら宥める。
「慌てて殿下が二人の間に割って入って止めたところで、注進を受けた私と陛下が室内に入って、即座に殿下と令嬢を下がらせたのだ」
それを聞いた彼女は安堵しながら、深く同情する顔つきになった。
「お気の毒に……。その方は、どれだけ恐ろしい思いをされた事でしょう」
「見たところ、さすがに泣いてはいたが喚いたり激怒したりはせず、ただひたすら呆然としていたみたいだな。その状態を見た陛下がさすがに王妃様を叱責したら、我に返ったご令嬢が慌てて『緊張のあまり私がよろけて、花瓶にぶつかって落としただけです』と、真っ青な顔で弁解していた」
それを聞いたメラニーは、今度は感心した風情で述べた。
「まあ……、さすがはクライブ殿下がお選びになった方。普通の方なら取り乱すところ、咄嗟にその場を取り繕いつつ、王妃様を庇う台詞が出てくるとは」
「私も感心した。それ以上に、王妃様の仰られた事にも驚いたがな」
「王妃様が何を仰いましたの?」
そこで宰相は無言で娘に目配せし、それを読み取ったメラニーは即座に人払いを済ませた。そして室内に二人きりになったのを確認してから、宰相が小声で囁く。
「陛下がお二方を退出させた後、王妃様は力が抜けたように床に座り込んでな。『王家の存続や立場より個人の感情を優先させるなど、王太子として以前に、王族としてあるまじき振る舞い。あれをさっさと王族籍から抜いて、リオネス殿を王太子に据えてくださいませ』と仰られたのだ」
それを聞いたメラニーは、自分の産んだ息子が次期王太子に推挙されて喜ぶどころか、一気に顔付きを険しくして父親に詰め寄った。
「どうしてそうなりますの!? クライブ殿下が王太子ではなくなっても、まだ王妃様がお産みになったユリウス殿下がいらっしゃいますのよ!?」
「王妃様が仰るには『ユリウスはまだ十三歳。辛うじて立太子できる年齢ではありますが、他者を従える気概も器量もありません。あれが国王になった暁には、この国が他国に見下されるのは必定』と断言されたのだ」
「確かにユリウス殿下は少々線が細い印象がありますが、それほど即位に問題があるようには思えません」
唖然としながらメラニーが思う所を正直に述べると、宰相も深く頷いて同意する。
「実は陛下もその時、お前と似たような事を仰られたのだ。しかし王妃様が『グランバル国が口を挟んでくる可能性はありますが、かの国との関係性を見直す上で、ここは強気に出るべきです。前王太子の不見識によりその地位を剥奪して、その座に相応しい者に与えたまで』と主張するべきだと」
「どういう事ですか?」
「つまりだ。元宗主国であるグランバル王国と元属国であった我が国は、依然として国力に差がある。だから陛下の妃をかの国からお迎えし、その王妃陛下の子であるクライブ殿下を王太子に据えて、両国の関係は友好に保たれている。そこまでは分かるな?」
「はい、勿論です」
「しかし今回、明らかに個人的な理由でそのクライブ殿下が王太子の座から下り、他に相応しい適任者がいるのに、わざわざ王妃腹だと言うだけで年若いユリウス殿下を次の王太子に据えたら、グランバル王国や周辺諸国はどう判断すると思う?」
メラニーはそこまで言われて、難しい顔で慎重に推論を述べた。
「最悪の場合、グランバル王国は、我が国がかの国の意向抜きでは何もできないだろうと増長しかねませんし、周辺諸国もこの国がいまだにグランバル王国の属国だと、判断しかねませんね」
「その通りだ。それを踏まえて王妃様は『内々にグランバル王国からクライブへの縁談がありましたが、それを白紙に戻し、改めてリオネス殿下に対して王女が頂けるかどうか打診してくださいませ。あくまでも平等な立場でです。グランバル国王の甥に当たるクライブが王太子位を放り出した穴埋めを、リオネス殿下がする事になるのです。卑屈になる筋合いはございません』と断言されたのだ」
「王妃様は、グランバル王国の影響力が減じても宜しいと仰る?」
母国の利益には反する筈だとメラニーが困惑気味に尋ねると、宰相が深く頷いて説明を続けた。
「そのようだな……。その後『私は王妃失格です。この国の礎となるべく尽くしてきたつもりでしたが、まともな後継者を育てる事もままなりませんでした』と床に座り込んだまま、落涙されたのだ」
それを聞いた彼女は、本気で王妃に同情して声を荒らげた。
「まあ! そんな事はございませんわ! クライブ殿下は優秀な方ではありませんか。政務をきちんとこなされて明朗快活、清廉潔白な誰もが誇る王太子殿下ですわよ!? それは確かに、伯爵令嬢一人だけを側に置きたいと言うのは王太子としては失格かもしれませんが、一人の殿方としてはこの上なく誠実な方ではございませんか! どこぞの女と見れば見境なしの脳筋野郎に育ったのならば、万人が失敗だと断言するでしょうが!」
「メラニー」
「あ、あら……、私とした事が」
興奮して思わず罵ってしまった事を咎められ、メラニーは笑って誤魔化した。すると宰相が盛大な溜め息を吐いてから、しみじみとした口調で呟く。
「私は……、王妃様の事を、見くびっていたようだ。嫁いで来られて二十年以上、『殊勝な顔をしていても、何かあったらグランバル王国の益になる為に策動するのだろう』と思い込んでいた。だからいざという時の為に、お前を側室として後宮に送り込んだ」
「お父様。それは私も同様に考えていたからこそ、納得してここに参ったのです」
「だが王妃陛下は既に、我が国の立派な王妃であられた。常にこの国の存続と名誉と利益を考えておられた。それなのに今の今まで邪推していた我が身を省みて、本当に恥ずかしい」
「お父様……」
メラニーが慰めの言葉をかけようとしたが、ここで宰相は真顔になって彼女に言い聞かせた。
「先程の王妃陛下のご意見を、国王陛下も真摯に聞いておられた。こうなったからには、早急にクライブ殿下を廃嫡し、リオネス殿下を立太子する動きが加速するだろう」
それに力強く頷いてから、メラニーは父が言わんとする事を口にした。
「勿論、リオネスにも私に付き従う者達にも、王妃様に失礼な言動はさせません。寧ろこれまで以上に敬うように、徹底させますわ」
「分かった。その辺りはお前に任せる。それから」
「直後にお伺いしたら、却って周囲の憶測を呼びますので、頃合いを見て王妃様のご機嫌伺いに参ります」
「そうしてくれ。怒りが収まった後は相当気落ちされておられたようで、本当にお気の毒で見ていられなくてな」
「お任せください、お父様」
更に一つ気苦労が増えてしまった父の憂いを少しでも晴らすべく、メラニーは安心させるように笑顔で頷いてみせた。
「お帰りなさ……、お嬢様! 何事ですか、そのお姿は!?」
「私にだって、まるで意味分からないわよ……」
帰宅したセレナを出迎えた者達は、彼女の結い上げた髪の隙間に取りきれなかった花びらや細い葉が食い込み、ドレスは裾の方が派手に濡れてシミになっている尋常でないありさまに、揃って顔色を変えた。それを見たエリオットが、一番考えられそうな可能性を口にする。
「姉様? 王妃様がかなり怒っておられて、そのような仕打ちをされたのですか?」
「いいえ。確かにこうなったのは王妃様の指示による女官達の仕事だけど、王妃様本人は笑って泣かれて謝られて、怒られたふりをしたら陛下に追い返されたのよ」
「はい?」
全く意味が分からない台詞に、エリオットは勿論、使用人達も目が点になった。するとセレナは、彼らの間をすり抜けて屋敷の奥へと進む。
「エリオット、ごめんなさい。疲れたので、着替えてちょっと横になって休むわ」
「あ、あの……、姉様!?」
慌ててエリオットが声をかけたが、セレナはふらふらとそのまま自室に向かって歩いて行った。それを見送ったフィーネが、今日セレナに付き添って行ったメイドに声をかける。
「あれは一体、どういう事なの?」
「申し訳ありません。私にも何が何やら。後宮に入る前の待合室で、待機しておりましたので。お戻りになったら、あのようなお姿に……」
「そうなの……。これ以上、面倒な事にならなければ良いのだけど」
フィーネは深刻な表情で溜め息を吐き、エリオットを含めたその場全員も困惑した顔を見合わせてから、各自の仕事場へと戻って行った。
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