(6)ラーディスの受難
どれほど悩みが深くても朝は容赦なくやって来るものであり、昨夜帰宅するなり寝ていたセレナは、翌朝目を覚ました時には完全に腹を括っていた。
「おはようございます」
「おはよう、セレナ。良く眠れたかしら?」
「ええ。昨日は夕食を食べずに寝てしまったので、すっかり空腹です。しっかり食べて、誰が来ても迎え撃つ態勢でいないといけませんわね!」
家族全員顔を合わせての朝食の席で、セレナが語気強く宣言する。そんな彼女を見て、エリオットが思わず呟いた。
「姉様……。殺る気満々ですね」
「誰を殺るんだ、誰を」
呆れ顔でラーディスが突っ込みを入れたが、セレナは完全に開き直った台詞を口にした。
「誰だって構いません。もうなるようにしかなりませんわ。でもこの家は、どうあっても守ります」
決意漲る姉に、ここでエリオットが宥めるように声をかける。
「ええと……、姉様。無理しない程度に頑張ってくださいね? 兄様も」
「そうですね。義兄様にはご迷惑おかけします」
「いや、大した事では無いから」
セレナに申し訳なさそうに頭を下げられたラーディスは、慌てて手を振って宥めた。
しかし朝食を食べ終えて王城に出仕して早々、周囲から物言いたげな視線が突き刺さり、ラーディスは本気で職場放棄したくなった。
(朝食の席では、ああ言ったものの……。できる事なら、こんな面倒は回避したかったな)
同僚の一人に上官から呼び出しがかかっていると声をかけられ、その足で小隊長室に出向いたラーディスは、出勤の挨拶もそこそこに移動する事になった。
「ラーディス・クラン・レンフィス。近衛軍第一軍司令官室に、出頭命令が出ている。付いて来い」
「……了解しました」
(こうあからさまに、出勤するのを待ち構えていたとばかりに出頭命令を受けると、さすがに帰りたくなる)
直属の上司である特別第三小隊長グレンバルドの後から、第一軍司令官室にラーディスが足を踏み入れると、そこには予想外の光景が広がっていた。
「失礼いたします。第一軍特別第三小隊隊長グレンバルド・カミル・アシュリー、同じく特別第三小隊所属ラーディス・クラン・レンフィス、出頭いたしました!」
「入れ」
「失礼します」
(あんたら……、揃いも揃ってそんなに暇なのか?)
正面に座っている司令官の左右に特別小隊の隊長達が全員顔を揃えており、心底うんざりしたラーディスは、溜め息を吐きたいのを必死に堪えた。
(いきなり浮上した殿下とセレナの関係性を考えると、対外的にはそれを見逃してしまっていた事になる第二小隊隊長は面目が丸潰れで険悪な顔をしているし、普段彼と仲が悪い第九小隊隊長は笑いを堪えているのが丸分かりだし、他の面々はどう見ても面白がっているし……。もう、どうにでもなりやがれ)
半ば自棄になりながらラーディスが上官の言葉を待っていると、この部屋の主である近衛第一軍司令官のケントスが、真顔で口を開いた。
「やあ、二人ともご苦労。それではラーディス・クラン・レンフィス。君に、早急に問いただしたい事例が生じて、呼びつけた」
「はい」
「単刀直入に聞くが、王太子殿下と君の妹であるレンフィス伯爵令嬢との連絡役を務めたのは君なのか?」
「ノーコメントです」
「は?」
「おい!」
端的な人を食ったような返答に、ケントスは呆気に取られ、グレンバルドは少々慌てた様子を見せた。しかしこの時ラーディスは、完全に開き直っていた。
(偽装結婚話がどう転ぶか分からないし、真っ向から否定したとしても、疑惑が晴れる事は無いだろう。それならとことん、惚けてやるまでだ)
そう決心した彼に、ケントスが仕切り直しのように小さく咳払いをしてから、質問を続ける。
「それでは質問を変えるが、君は個人的にクライブ殿下と付き合いがあったのか?」
「ノーコメントです」
「その……、殿下から伝言や、彼女への贈答品を預かったとかは」
「ノーコメントです」
「これは王城の警備体制にも関わる事なので、正直に答えて欲しいのだが……。王太子殿下は時折公にされていない隠し通路などを使って、レンフィス伯爵令嬢と」
「ノーコメントです」
何を問われても素っ気なく応じるラーディスに、先程から彼を殺気の籠もった視線で睨み付けていた特別第二小隊隊長のガルーダが駆け寄り、両手で胸ぐらを掴みながら怒鳴った。
「貴様ぁぁっ!! 司令官殿の質問に、きちんと答えんかぁぁっ!!」
「ノーコメントです」
「このっ!! 慮外者がぁぁっ!!」
叱責されても全く態度を変えなかったラーディスから手を離したガルーダは、憤怒の形相で剣の柄に手をかけた。この間のやり取りをハラハラしながら見守っていたグレンバルドが、血相を変えて彼の腕を掴んで押し留める。
「ガルーダ隊長、ちょっと待て! こいつは目つきは悪いが、くそ真面目なだけだ! ラーディス! お前ももう少し融通を利かせて、司令官殿に正直にお話ししろ!」
「ノーコメントです」
「ラーディス!!」
「殺す!」
「だから落ち着けと言っているだろうが!」
早くも泣きが入りかけている上官に心底申し訳なく思いながらも、白状する気など皆無のラーディスはノーコメントを貫いた。そんな緊迫した場に不似合いな爆笑が、唐突に湧き起こる。
「ぶわははははっ!! ガルーダ! 貴様の手下が悉くこいつに抜け駆けされたからって、八つ当たりしてんじゃねぇよ! お前の部下の目が、揃って節穴だったってだけの話じゃねぇか!」
「何だと!?」
無遠慮な哄笑に、ガルーダは険しい顔のまま振り返った。すると当の特別第九小隊隊長ジョナスは、鼻で笑いながら言い放つ。
「お前達は普段『王太子殿下の護衛でごさい』って、ふんぞり返ってやがるのになぁ? いやぁ、たまげたたまげた。蓋を開ければ揃いも揃って、目が節穴ばかりときてる。もう笑うしかないだろうな」
そう言って「うわははは!」と腹を抱えて爆笑し始めた彼を見て、ガルーダの憎悪の矛先がジョナスに向かった。
「貴様の事は、以前から気に入らなかったんだ! この慮外者の前に、貴様を殺してやる!」
「だからこんな所で、剣を抜くのは止めろ!!」
「二人とも、いい加減にせんか!」
そこでさすがにケントスの雷が落ちたが、まだ騒然としている室内少々場違いな、のんびりした声が割り込んだ。
「すみません。お取り込み中、失礼します」
「……え?」
「王太子殿下!?」
「こちらにどのようなご用件でしょうか!」
何気なく声の聞こえた方に顔を向けた小隊長達が驚愕し、慌てて敬礼する中、嫌な予感しかしなかったラーディスは無言で顔を引き攣らせた。
(諸悪の根元が、こんな修羅場に何しに来やがった!?)
その予想に違わずクライブは真っ直ぐラーディスに歩み寄り、一見爽やかな笑顔を振り撒く。
「やあ、ラーディス。君を探しに特別第三小隊の詰め所に顔を出したら、ここに来ていると聞いてね」
「お手を煩わせて、申し訳ございません」
(誰だ……。考えなしに、馬鹿正直に教えた奴……。後で絞める)
辛うじて礼儀を保ちつつ頭を下げたラーディスだったが、忌々しい思いはそのまま顔に出ていた為、それを見たクライブはおかしそうに笑った。
「“相変わらず”凶悪な顔ですね」
「殿下から親しくお声をかけていただけるのは、私の記憶違いでなければ、今日が初めてだと思うのですが?」
「“公には”確かにそうですね。それはともかく、“いつも通り”彼女に手紙を届けて欲しいのですが」
「…………」
司令官と小隊長達が居並ぶ中、堂々とありもしなかった事を公言するクライブに、ラーディスは思わず無言になった。すると彼は苦笑いしながら、軽く首を傾げる。
「“これまでとは違って”彼女との関係は明らかになりましたから、同僚や上司の皆さんに憚る必要はありませんよ?」
「…………」
「あなたの実直さは“これまでにも”良く実感していましたが、困りましたね……」
相変わらず無反応なラーディスに、クライブは小さく溜め息を吐いてから、ケントスに向き直った。
「ケントス司令官。彼に私信を預けても構わないでしょうか? 実は今日の午後、彼女が母上から後宮に呼び出しを受けましたので、今すぐ屋敷に連絡して、彼女に支度を整えて貰わないと大変だと思い」
「それを早く言えぇぇっ!! 司令官殿、小隊長殿、退出の許可を頂きます!」
「あ、ああ、分かった!」
「一刻も早く、屋敷に戻れ!」
「ありがとうございます。失礼します!」
クライブが持参した封筒を軽く持ち上げながら、事情を説明しようとした途端、我に返ったラーディスが礼儀をかなぐり捨ててそれを引ったくった。その直後、辛うじて上官達に断りを入れてから、帰宅するために駆け去って行く。それを他の小隊長達が、呆気に取られて見送った。
「うおぅ、凄い逃げっぷりだな」
「別に、逃げ出したわけではありませんよ。先程から不謹慎でしょう」
「いやぁしかし、益々欲しくなったな。司令官殿、グレンバルド、本気であいつを第九小隊にくれませんか?」
にやりと笑いながらジョナスが声をかけると、ケントスが何か言う前にグレンバルトが盛大に顔を顰めて言い返した。
「渡しませんよ。あいつはうちの中でも、一、二を争う腕前ですから。他を当たってください」
「へえぇ? それで口が固くて顔にも出ないか。益々理想的で、欲しくなったなぁ」
「…………」
しみじみと感想を述べるジョナスに、ガルーダは渋面になって黙り込んでいた。しかし用が済んだとばかりにクライブが声をかけてきた事で、我に返って慌てて問いを発する。
「それでは司令官殿、お邪魔しました」
「あ、あの……、殿下?」
「何か?」
「その……、レンフィス伯爵令嬢とは、いつ頃からどのような方法で交流を深めていらっしゃったのか……」
控え目に尋ねたガルーダだったが、その問いをクライブは明るい笑顔で堂々とはぐらかした。
「プライベートですから、それに関してはノーコメントにさせてください。それでは失礼します」
「…………」
クライブは護衛の騎士を引き連れてその場を立ち去り、その場に残った者達は、がっくりと肩を落としたガルーダに憐憫の眼差しを送ったのだった。
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