第4話 愛しているのでしょう?

「それじゃあ戻りましょう? ここにいてもこれ以上情報は得られないわ」

 そう言ってセレイラは微笑んだ。子どものようにはしゃいだと思えばこの余裕の表情。本当に掴みにくい人だと、ゼイツは思う。胸中が計り知れない。

「ああ」

 セレイラがそう言うのならば長居をする必要もないと、ゼイツたちはそのまま教会へ戻ることにした。

 思ったよりも時間は経っていたらしい。日こそ沈んでいないが、横穴を出ると巨大な穴の底はかなり薄暗かった。雪の上を撫でる風も、穏やかではあるが冷たい。

 それでも帰り道、セレイラの足取りは軽かった。宇宙で何が起こっていたのか知ったばかりで、事態に押し流されようとしているゼイツたちとは違い、歩く彼女の背には喜びが満ち溢れている。緩やかな風になびいて揺れる髪は、それを象徴するがごとく舞っていた。

 部屋への戻り方がわからないセレイラを、結局はラディアスが送り届けることになった。

 ゼイツは北の棟のことを知らないし、ウルナとセレイラを二人きりにするのは心配だという判断のようだ。元々戦艦への案内を頼まれていたのがラディアスであるため、セレイラは特に文句も言わなかった。

 そのため、ゼイツはウルナと二人で奥の棟へ帰ることになった。

 セレイラと離れてしまうと、途端に静けさが辺りに広がる。相変わらず人気のない廊下の空気は、夕刻を迎えてますます冷え冷えとしていた。床、壁、窓、天井、あらゆる場所から放たれる冷気が、体温を奪っていく。

 ニーミナの春は遅いという。降り積もった雪の下から土が顔を出すのは、もう少し先のことらしい。

 何気なく回廊の真ん中で立ち止まり、ゼイツは窓の方を見やった。先日の火事の騒動が嘘のように静まりかえった銀世界で、再び雪がちらつき始めている。吹きすさぶ風がないためか、大きな雪片は緩やかに地上へ引き込まれているように見えた。

「また雪ね」

 ぽつりと、背後でウルナの声がした。肩越しに振り返ったゼイツは口角を上げる。同じく足を止めて外を見つめているウルナの横顔は、驚くほど穏やかだった。クロミオの無事を必死に祈っていた姿とはほど遠い。

 ようやく平穏が訪れようとしているのだと、そう信じたくなる様子だ。

「そうだな」

「慣れているはずなのに、それでもため息が出るわ」

「ウルナでも?」

「私たちは、いつも長い冬に怯えていたから。いつになったらこの雪は溶けるのかしらね」

 独りごちるウルナの声が白い壁で反響する。この建物が何に似ているのか、今になってゼイツの心に一つの答えが浮かんできた。雪だ。静かに淡々と世界へ浸透する姿も、温かく包み込むようでいて時に冷たく突き放す姿も、不意に圧倒的な存在感を示す姿も、どことなく似ている。

 遠い目をしているウルナを見つめつつ、ゼイツは瞳を細めた。春を迎えたニーミナを肌で感じたいという衝動が、突然彼の内に湧き上がってきた。つぼみが花開くよう生気を取り戻す人々を見てみたい。死んだように眠っている国が息を吹き返す姿を、この目に焼き付けてみたい。

 そんな願いを込めて、彼は静かに相槌を打つ。

「ああ、いつになるんだろうな」

「この冬は長くなりそうな気がするわ」

「そうなのか?」

「勘でしかないけれど。……セレイラさんたちは、春が来る前にここを発つのかしら?」

 しかし何気ない調子で続けられたウルナの言葉が、ゼイツの胸に深く刺さった。何かが重くのしかかってきたようで、心に大きな波紋が生じる。

 セレイラがこの星を離れるということは、一つの決着がついた証だ。時が動き出した印だ。彼は襟足に指を差し入れ、頭を傾けた。

 全ては連合の会議、その結果次第だった。恐慌状態から一変、交渉を持ち掛けられて狼狽える連合がいつ結論を出すのか、ゼイツには予測できない。

 そもそもセレイラは研究したいとはいうが、具体的には何をするつもりなのだろう? あの戦艦を掘り起こすのか? そうしたとして、次はどうするのか?

「どうだろうな」

「研究って、どうするつもりなんでしょうね。さすがに、戦艦を宇宙へ持って行くわけにはいかないでしょうし」

 ゼイツと同じことをウルナも考えたのか。瞳をすがめた彼女の手がそっと窓枠へと触れ、離れた。

 あの白い戦艦を運ぶことは、いくらセレイラでも無理だろう。自由に動かすことができるのならばともかく、あれだけの重量の物を運ぶのは困難だった。少なくとも地球へと降り立ってきた灰色の宇宙船には不可能だろう。あれよりももっと大きな船が必要だ。

「そりゃあそうだな。埋もれてはいるけど、あの戦艦もなかなか大きそうだし」

「それでは、ずっとここにいるつもりなのかしら?」

「ずっと、ってのはないんじゃないか? 研究するにはそれなりの環境も必要なんだろうから、一度はイルーオとかいう星に戻らないと」

 言葉を交わしながら、徐々に不安がこみ上げてくるのをゼイツは自覚した。ウルナが何を思っているのか朧気ながら推測できる気がして、胸の奥に重い物が溜まっていく。まさかという言葉が脳裏を渦巻いた。

「環境……そうよね、この星にはろくな物がないものね」

 雪面を見つめるウルナが遠い。それでも、今にも消えてしまいそうな儚さはない。彼女の輪郭はこちら側にはっきりと立ち現れており、かつてのような危うさは見受けられなかった。

 しかし、ゼイツは手を伸ばすことができない。息を呑んで、彼女の横顔を凝視するしかなかった。

「イルーオってどんな星なのかしら?」

「ウルナ、まさか」

「私、もう少し広い目で世界を見てみたいと思うのよ」

 ゆっくりと、ウルナはゼイツの方へ向き直った。柔らかな光をたたえた右の瞳が、彼を見上げてくる。緩く波打つ黒い髪の陰で、口の端がかすかに上がった。

 彼の喉の奥を唾が落ちる。徐々に速まっていく鼓動が痛い。

「知らないことが多すぎたの。初めて、知りたいと思ったの。私、ずっと薄い膜の中から外を見ていた」

 ゼイツは目を逸らしたい衝動に駆られた。だがウルナは決して視線をはずさなかった。

 この一連の事件が強い衝撃を与えたのは、彼だけではなかった。彼女の中にも何かが生じていることはわかっていた。けれどもそれに直面した今、激しく動揺している自分自身に、彼は戸惑う。一体何に対して狼狽えているのかはわからない。ただ、平静ではいられない。

「思いこみって怖いのね。様々な国の人が集まるような会議でさえ、恐怖に陥ったら真実が見えなくなる。悪い方、悪い方へと考える。そうしなければ、万が一の時に動けないというのもあるのかもしれないけれど」

「ウルナ……」

「何かが見えていたら違ったのかもしれないと思うと、ますます知らないことが怖くなるの。そうやって誰かを恨むことが恐ろしくて、そうなってしまう自分が嫌で」

 ウルナはかすかに目を伏せた。それはカーパルに対する感情のことだろうか? それとも別のことも含んでいるのか?

 ゼイツは閉口した。本当は彼のことも恨んでいたのではと、改めて考える。この国へ潜入してきたよそ者のことを、彼女はずっとどう思ってきたのか? あえて聞かずにいたことが、今さらながら彼の心に一石を投じた。

「浅はかだったと思うのよ。叔母様のことだけじゃない。私、ずっと追いかけていたというのに、女神様のこともわかっていないんだって気がついて」

 やおら伸ばされたウルナの手が、冷気を纏う窓へと触れた。わずかに白く曇った硝子をなぞる指を、ゼイツは黙って目で追う。血の気の乏しい細い指先は何も描かない。

 模様にもならない透明な軌跡の向こう側で、風が不意にひゅんと鳴いた。舞い上げられた白い雪片が渦を描くように踊る。

 先日から思っていたことだが、以前と比べてやけに彼女は雄弁だ。何かが吹っ切れたのだろうか? それが彼にはやけに恐ろしいことのように思えてくる。

 彼はこんなところで足踏みしているというのに、彼女ばかりが前へと進んでいるようで、情けなさも覚えた。この例えようのない心細さは、一体何なのだろう。

「叔母様の言葉を聞いて、はっとしたの。叔母様はそれだけ女神様のことを理解しようとしていたんだって」

 窓硝子を伝う滴へと、ウルナは視線を向ける。ゼイツはため息を飲み込んだ。廊下で反響した彼女の声が、彼の鼓膜に染み込んだかのようだ。

 彼は襟足から手を離すと密かに拳を握った。少しでもまともな言葉を返したくて、内に広がる波紋を押しとどめようと努力する。しかし、それでもなかなか彼の喉は震わない。

「ウィスタリア教にはね、教典はないの。この世界には女神様の言葉さえ残されていない。女神様が何をしたのか、何を求めたのか、そこからその心に思いを馳せることしかできないのよ。そうやって女神様の愛に寄り添うことが私たちの努め。女神様の思いはこの世界を救い、それはいつか私たちの幸せに繋がる」

 ゼイツが言葉を継げずにいる中、ウルナはそう続けた。ウィスタリア教について、彼は初めて説明を受けたことに気がつく。同時に、何故今までこの教えの手がかりすら掴めなかったのかを理解した。

 彼が想像していたものとは違い、そこに確かなものは何一つなかった。あのおとぎ話と同じくらいに曖昧で、虚ろで、頼りない世界だ。それでも女神の実在を疑っていないから、ニーミナの民たちは信じている。

 だが彼もそれを馬鹿げた言い伝えだと笑って切り捨てることができなかった。あの薄紫色の豹を見てしまった今は冗談にもできない。少なくとも彼の住むこの世界には、未知なる何かがまだ潜んでいた。ただ彼の手には届かないだけだ。

「私も寄り添っているつもりだった。でも、まだまだだった。女神様にはまだ遠い。きっとクロミオの方が近いわ。私はもう少し外を知らなければいけないのよ。女神様が愛しているのは、この国だけではないもの。私の知る世界は狭すぎる」

 ウルナは窓硝子からそっと手を離した。そしてもう一度ゼイツを見上げてきた。深い黒の瞳に見据えられて、彼は息を呑む。

 戸惑う彼の姿は、彼女の目にどう映っているのだろう? それがやけに気にかかった。

「ゼイツはニーミナに来てどう思った? やっぱり生まれ育った国とは違うでしょう?」

「それは、まあ」

「私も外を見たいの。だから叔母様が許してくれるのならば、イルーオに行ってみたいと思ってる」

 はっきりとウルナは言い切った。躊躇う素振りはなかった。懸念を肯定されたゼイツは、胸の重りが増したことを自覚する。

 彼女はただセレイラに協力したいと思っているだけではなかった。イルーオにさえついていく覚悟を持っていた。いや、願っているのか。彼は無理やり口角を上げようとしたが、歪な形にしかならなかった。それでもうなだれそうになるのだけはどうにか堪える。

「――そうか」

「ゼイツも、そろそろジブルへと戻った方がいいんじゃない? あなたはきっと、あなたが見たものを話す必要があるわ。いつまでもここに囚われていては駄目」

「ああ……それじゃあお別れだな」

 声に出すと息苦しさが増す。あまりに自身の声音が情けないことに気づき、ゼイツは失笑しそうになった。

 一体何が嫌なのかはわかった。単に離れがたいだけだ。ウルナが前を向いて一歩を踏みだそうとしているのに応援できないのは、そのせいだ。子どもみたいな感情だった。置いてけぼりにされるのを恐れる、か弱い少年のようだ。

「寂しいわね」

 けれどもウルナが思わぬことを口にするものだから、ゼイツはつい眼を見開いた。何か言わなければと思うのに声にならず、喉の奥で空気が震えるのみ。

 彼女は不思議そうに頭を傾けてから、小さく相槌を打った。鎖骨辺りで束ねられた髪が、緩やかに揺れる。

「でもまた会えるわ。きっと会える。私はもっともっと大人になってあなたに会いたいのよ。曇った硝子を通してではなく、もう少し澄んだ目であなたを見てみたいの。駄目かしら?」

 ウルナが浮かべた柔らかい微笑は、ゼイツの胸の奥を掴んだ。そこには、あらゆる疑念も不安も払拭するだけの力があった。理屈などない。それでも嘘偽りはないのだと、根拠もなく信じることができるだけの笑顔だった。

 彼は思わず破顔する。そんな風に言われてしまうと「駄目だ」とは答えられない。

 確かに、彼はもう一度ジブルと向き合うべき時を迎えたのかもしれない。祖国に裏切られたと投げやりになってばかりもいられない。何が待ち受けているのかはわからないが、居場所がないということもなさそうだった。

 彼が見たあの幻のような光景は、フェマーが証人となってくれるだろう。「信じろ」というう父――ザイヤの言葉を、ゼイツは今になって思い出す。彼はもう少し、自分の可能性を信じてみてもいいのかもしれない。

「そうだな。俺ももう少し大人にならないとな」

 ゼイツは首を縦に振った。一回り大きくなったウルナの目に少しでも成長した姿が映るように、彼も努力しなければ。

 そう考えると、待ち受けるだろう困難にも嫌気が差さなくなるような気がした。ニーミナで荒波に揉まれたことを思えば、どれも些細なことに違いない。

「大人に? ゼイツはもう十分に大人だと思うけれど」

「そ、そうか? 俺は何も決められない人間だ。決断しないまま狼狽える子どもさ」

「……決めることだけが最善じゃあないわ。本当は立ち止まった方がよかった時もあったのよ、きっと。それなのに私は周りも見ずに歩き続けてしまった。振り返ることもしなかった」

 ウルナは感慨深げに首を縦に振ると、わずかに右の瞳を細めた。彼女にはゼイツは大人に見えていたのだろうかと思うと、不思議な心地になった。単なる慰めの言葉とも思えない。

 誰もが自分自身のことを情けなく感じるのだろうか? 少しだけ、彼の気持ちも軽くなった。一歩を踏み出す勇気も湧いてくる。

「それじゃあ、私は叔母様のところへ行ってくるわ」

 一度大きく頷き、ウルナはさらに口の端を上げて踵を返した。ふわりと揺れた黒髪、茶色い布、生成色のスカートを、ゼイツはなんとなしに眺める。遠ざかっていく靴音は軽やかだった。

 ゼイツは握りしめていた拳へと目を向け、苦笑を漏らす。

「俺は立ち止まりすぎているから、たまには走った方がいいのかもな」

 ゼイツはゆっくり手のひらから力を抜く。ウルナはこのままイルーオへと行ってしまうだろうという確信が、彼の内に芽生えていた。

 連合の会議で、おそらくセレイラの提案は呑まれるだろう。そしてきっとカーパルはウルナの申し出に否とは答えないだろう。結果は出ていないのに、彼の中でそれは既に確固たる未来として存在していた。

 ウルナが行くとしたら、クロミオも行くのだろうか? ラディアスはどうするのだろうか? ルネテーラは?

 ゼイツは指先の動きを確かめながら、一度固く瞳を閉じた。わからない。だがどうなるにせよ、ゼイツには関与できない話だ。彼はニーミナの人間ではない。彼の戦場はここにはない。

「そうだな、俺はジブルの人間だ」

 自らに言い聞かせるよう囁き、ゼイツは肩をすくめた。そしていつまでもここにいてはよくないと、静かに背後を振り返った。まだ部屋の片づけが残っている。

 しかし、彼はすぐに歩き出すことができなかった。踏み出しかけた足が硬直し、吐き出しかけた息さえ飲み込まれる。

 白い廊下の向こうには、見知った姿があった。檸檬色のドレスを身を纏ったルネテーラが、両手を組んでたたずんでいた。

「ルネテーラ姫?」

 彼女がどうしてこんなところにいるのだろう? 勝手に外に飛び出してはまたウルナに怒られるのではないか?

 疑問は幾つも頭に浮かんだが、それはどれも声にはならなかった。思考も回らない。彼が立ち尽くしていると、ルネテーラは神妙な足取りで近づいてきた。反響する靴音の甲高さが、何故だか居心地の悪さを加速させる。

「ゼイツ」

「ルネテーラ姫、どうしてこんなところに?」

「クロミオが飛び出してしまって、それで慌てて」

 どうにかこうにかゼイツが問いかけると、ルネテーラはそう説明して眉根を寄せた。

 先日の火事でこりたと思ったら、またクロミオは好き勝手に走り回っているらしい。元気が有り余っているのはよいことだが、まだ落ち着ききっていないのにと思うと複雑だった。沈み込まれていても、それはそれで心配になるが。

 ゼイツが黙していると、すぐ傍までやってきたルネテーラは窓へ一瞥をくれた。煌めく銀糸の陰で紫の瞳が瞬く。ウィスタリア教の象徴たるその双眸に何が映っているのかと、彼も外を見やった。だが先ほどと何ら変哲のない風景が広がるばかりだ。

「あの、ゼイツは、国へ帰るのですか?」

 思わぬ質問に、ゼイツは体を強ばらせた。鼓動が止まったかのような錯覚に陥った。

 ウルナとの会話を聞いていたのだろうか? 彼は答えあぐねて瞠目すると、恐る恐るルネテーラの方を振り返った。

 どの辺りから立ち聞きしていたのだろう? ウルナは気がついていなかったのか? 混乱しそうになる頭を、彼は必死に働かせた。ここにいて欲しいとルネテーラに言われたのはいつのことだったか。ずいぶんと昔の出来事のように感じられる。

「その、俺は……」

「それで、いいのですか?」

「いや、それは……」

「あなたはウルナのことを愛しているのですか?」

「――え?」

 立て続けに予想もしなかったことを尋ねられて、ゼイツは気の抜けた声を漏らした。何を聞かれたのか、一瞬把握できなかった。いや、言葉として理解はできても、何故そんなことを問われたのかと、ますます混乱するばかりだった。

 この話の流れでどうしてそうなるのか? ウルナに言われたから帰るとでも思われたのか? どう返答すればよいかと彼が視線を彷徨わせていると、ルネテーラは深く嘆息する。

「もしかして、とは思っていたのですが」

「あ、あの、いや、ルネテーラ姫?」

「自覚なさっていなかったのね」

 ルネテーラの呆れた声を、ゼイツは初めて耳にした。頭を傾けた彼女は、全てを見透かすような眼差しを彼へ向けてくる。

 頭を芯からぐらぐらと揺さぶられ、彼は何度も瞬きを繰り返した。改めて自分の行動を振り返ってみると、そう受け取られてもおかしくはないように思える。だが自分では、そのようには感じられない。

「愛しているのでしょう? あなたほどウルナを中心に物事を考えているのは、きっとラディアスくらいだわ」

 ゼイツが答えに窮していると、さらにルネテーラは追求してきた。ラディアスと思考や行動が似通ってきたことについては自覚している。だが、だからといって話が飛躍しすぎだ。

 愛というからには、もう少し甘いものがあってもよいと思う。今のゼイツには重苦しさしかない。

「これだけ言っても、まだわからないのですか?」

「わ、わからない……」

「さすがに呆れますわ。目の前のことしか見えていないのね。頭で考えすぎなんです」

 顔をしかめたルネテーラの様子は、怒っているように見えた。一方では嘆いているようにも見えた。

 ゼイツはあの時のルネテーラの告白を思い出す。怒りの矛先としてはおかしい。こんな問い詰め方をしても、彼女には何もいいことがない。では何故こんなことを口にしているのか?

「きっとあなた以外の人は気づいています。ラディアスたちはもちろん、ウルナも。わたくしは見えない振りをしたかったのだけれど、これでは無理そうですわね」

「あ、あの、ルネテーラ姫――」

「今は何も聞きたくありません。どれだけ言葉を重ねられても、きっと不愉快にしかなりませんわ。だから次に会う時までに考えていてください。あなたのその感情に、名前が付けられるのかどうか」

 あらゆる反論を封じられた気分で、ゼイツは唇を引き結んだ。ルネテーラの真っ直ぐとした視線が痛い。何か大切なものを忘れているような心地になる。どうすればいいのかと尋ねたくとも尋ねられず、彼は目を逸らした。

「わたくしのこの気持ちも本当は何なのか。もう嫌になってしまいますわ。ウルナは何を考えているのか……」

 もう一度ルネテーラはため息を吐いた。ゼイツにとっては、ウルナだけでなくルネテーラも何を考えているのか不明だった。ただ悪意がないことは感じ取れる。そしておそらく、一番愚かなのは彼自身なのだろうということも。

 やはり一番子どもなのは彼だ。彼にだけ見えていない世界がある。

「本音を言えば、あなたにはここにいて欲しい。でもジブルに帰るべきだと、今の言葉を聞いて強く思いました。離れたらわかることもあるでしょう。時間も、距離も、私たちには必要なんです」

 ルネテーラは唇を噛んだ。ゼイツは相槌を打った。予期せぬ物事の連続に思考が流されていて、みな気持ちの整理がついていないのかもしれない。

 何かが変わるのは恐ろしいことだ。『当たり前』が消え去るのは怖い。それでも欲しいものがあるのならば、歩き出さなければならない時もある。

「そう、だな」

「わたくしだって皆に幸せになって欲しいもの。――全員が幸せになることって、難しいのですね」

 しみじみと吐き出されたルネテーラの呟きは、ゼイツの胸にも染みた。だからこそ試行錯誤するべきなのだと、頭の隅で誰かが囁いていた。

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