第19話

 僅かな歩数の間に、俺は考えた。

 記憶の断絶があるが、頭に衝撃を与えられた形跡はない。ということは、俺たちは睡眠状態にあったのだろう。俺たちが食べたディナー、いや、そのラストを飾るワインやシャンパンに睡眠薬か何かが含まれていたのだ。そこで気を失った俺たち三人を『何者か』がここまで運び、監禁した。


 しかし、エンターテイナーの監視の目の届く範囲で、そんなことができるだろうか?

 いや待てよ。『彼』だからこそ、なのか……? まさか。

 俺は最悪の状況を想定しながら、目の前に迫った鉄扉に両手をついた。


「北郎、この扉の左側を押してくれ。二人で一気に開けるぞ。桃子は、一気に突入して上下左右の安全を確保するんだ。いいか、二人とも?」

「ええ!」


 勢いよく答える桃子の横で、北郎はこくり、と頷いた。


「じゃあいくぞ、せーのっ!!」


 思いの外、鉄扉はするりと空いた。モモは前転しながら突入し、素早く上下左右に視線を飛ばす。続いて俺も北郎も飛び込んだ。

 しかし、鉄扉の向こう側はアーチ型の高い天井を持ったホールのような空間だった。特に変わったことや、トラップの類は目に入らない。相変わらず石造りで、穏やかな照明が灯っている。そして、だいぶ広い。高校の体育館の、四、五倍の広さはあるだろうか。

 しかし、本当にそれだけで、何もなかった。


「どうなってんだ……?」


 俺がモモのそばに歩み寄り、周囲をぐるりと見回した、その時だった。

 一陣の突風のような風音が、ホールの奥から聞こえてきた。同時に、黒い塵がどこからともなく現れ、何かの形を造る。


「また怪物か!?」


 ……と思いきや、塵はまとまることなく、不定形の何かとして俺たちの視界に認識された。

 俺がヤバいと思った時には、塵はホールの中央に凝集していた。

 その外見は、竜巻だ。今までのような怪物とは違う。


 俺たちは三者三様で、この竜巻を見つめていた。罠――。こいつを倒せと言いたいわけか。


「桃子、今の俺たちのうちで戦えるのはお前だけだ。やれるか?」

「やるしかないでしょう、がッ!!」


 桃子は軽々と跳躍し、


「はあっ!!」


 竜巻に向かって釘バットを一振り。しかし、回転する黒い塵の群れは、あっという間に傷をなくして回転を続けている。一方桃子は、


「ぐっ!」


 竜巻に釘バットが巻き込まれ、自身も半ば吹き飛ばされる形で宙を舞った。辛うじて床に足をつき、ダメージを軽減する。


「でやあっ!!」


 桃子は先ほどよりもずっと高く舞い上がり、竜巻の上部から根元まで一気に切り裂いた。片膝を着く姿勢で着地する桃子。するとそこには、


「コアだ!!」


 俺は思わず叫んだ。微かに、しかし確かに赤い光が、竜巻の中心部に見られたのだ。


「桃子、もう一度上からだ!! そうすればコアを――」


 と言いかけたが、やはり黒い塵の回転部分はあっという間に修復されてしまう。コアを守るのが至上目的であるかのように。


「ぐっ!」


 桃子が弾き飛ばされた。体勢を立て直す前に、竜巻に軽く巻き込まれたのだ。


「桃子!!」


 叫びながら俺は駆け寄った。桃子の小柄な身体が、壁に叩きつけられる。落下した時に受け身を取ったものの、ダメージは大きかったはずだ。


「大丈夫か!?」


 桃子に『フィクサーとして』近づくことによって、俺は竜巻の前に立ちはだかる。大蛇の時と一緒だ。しかし、桃子は気丈にもこう言った。


「先輩と北郎くんは脱出法を見つけてください。それまで私が戦いますから……」

「だったら俺と北郎で何とか竜巻を誘導する! お前が脱出法を探せ!」


 と提案してみたものの、桃子はさっと首を左右に振った。


「この竜巻は、今までの怪物とは違います。先輩たちを狙おうとするかもしれません。そんな知性みたいなものを、私、感じました」


 怪物に知性だと? そうしたら鬼に金棒状態ではないか。


「それ、絶対ヤバいだろ!?」

「だからこそです。私が竜巻を惹きつけるのに一番向いてるんです。ですから先輩たちは先に」


 桃子はずっとこちらを見ることなく、竜巻を注視しながら話していた。

 そして、俺はそんな桃子の横顔から、目を逸らすことができずにいる。

 

 戦う。仲間を守るために。


 原因が何なのかはわからない。だが、そんなとてつもなく強い意志が、その横顔からは感じられた。

 あどけないながらも引き締められた唇、頬に走る血の滲んだ切り傷、そして竜巻を見つめる鋭利な眼差し。


 その後も桃子は、諦めることなく竜巻に向かっていった。


「でやっ!!」


 釘バットを放り投げ、その威力でコアを破壊しようとする。が、硬質な音を立てて、釘バットは弾き返されてしまった。それを着地寸前でキャッチする桃子。確かに、あの高さ――ざっと十五、六メートルといったところか――から着地するには超人的な力が必要で、それを与えてくれるのが釘バット、という桃子の愛用武器なのだ。

 しかし、半ば形の定まらないものを相手にしている以上、釘バットなどという原始的な武器は通用しづらいというのが実情だった。


 桃子は何度も弾き返され、壁に打ちつけられ、しかしそれでもめげずに――ということを繰り返していた。その度に、俺は桃子に駆け寄った。


「がっ!」


 息がつまるような声を上げながら、桃子は何度目か、壁に背中から突っ込んだ。


「桃子っ!」


 流石にこれはヤバい。状況もそうだが、桃子の体力も限界だ。


「もういい桃子、俺たちが抵抗を止めれば、向こうもおとなしくなるかもしれない。諦めよう」

「そうとは限らないじゃないですか……っ。もし初めから私たちを殺す気でいたとしたら……」

「だったらもっと簡単な方法があったはずだ。怪物に頼らなくとも。今は休戦を――」


 と俺が言いかけたその時だった。


「!」


 桃子の両目が驚きのあまり見開かれた。


「先輩、どいて!!」


 竜巻がゆらゆらと揺れ動くのを止め、一直線にこちらに向かってきた。俺はさっと、桃子を庇おうとしたが、


「ぐへっ!」


 逆に投げ飛ばされて間抜けな声を上げた。


「桃子、逃げろ!!」


 それでも桃子は、釘バットを正眼に構え、戦う姿勢を崩さない。あの馬鹿野郎……!

 俺がもう一度逃げろと叫ぼうとした、まさにその瞬間だった。


 和太鼓の打音を何百倍にでもしたかのような轟音が、ホールに響き渡った。と同時に、俺たちの視界が真っ白になる。

 

 何が起こったんだ!?

 なんとか目を開くと、竜巻はその勢いを急速に弱めていた。そして続けて、同じ轟音とともに光が、否、雷が、竜巻の頂点から石畳までを一直線に駆け抜けた。

 コアがその直撃を受け、バラバラに砕け散る。コアを失った竜巻は、もはや惰性のみで回転し、外側から黒い塵がふっと消えていく。時間の感覚が曖昧になってしまった俺たちは、ただ茫然と、その竜巻の末路を見ているしかなかった。


 竜巻が消え去り、轟音の反響も消えた頃、俺の視界、ホールの反対側に白いシャツ姿の人影が見えた。


「おい、北郎!! 無事か!?」


 すると北郎は、大きく頷いて見せた。無事だったらしい。すると俺のすぐそばで、何かが揺らいだ。桃子だ。


「おっと!」


 俺は肩を貸すようにして桃子を支えた。同時に桃子の右腕から、釘バットが落ちる。

『大丈夫か!?』などと尋ねる間もなく、桃子はゆっくりと脱力し、そのままぺたんと床にへたり込んでしまった。

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