(12)きな臭い話

「無茶です! 一体、何を言い出すんですか? 彼女はまともに騎士としての訓練を、受けた事は無いんですよ?」

「先程本人が、基本的な訓練は受けていると言った」

「ですが!」

 そこで軽く右手を上げたアルティナが、冷静に会話に割って入った。


「すみません、王太子殿下。少々お尋ねしても宜しいでしょうか?」

「勿論、構わない」

「どうしていきなり、私を白騎士隊に入れようと思ったのですか?」

「白騎士隊への入隊は、確かについ先程決めた事だが、元々貴女には後宮での上級女官就任を要請しようと考えていた」

 ジェラルドの説明を聞いたアルティナ達は、益々困惑した顔付きになった。


「その理由も、良く分かりませんが……」

「上級女官は侍女などの実務ではなく、王妃陛下や王太子妃殿下のスケジュール管理や対外的なやり取りに携わる方だと思いましたが。言わば秘書役や教育係を兼ねる、それなりに重要な役職の筈です。それなのに、どうして最近まで領地に引きこもっていたアルティナに、お声がかかるのですか?」

 真っ当な疑問を口にしたケインに対して、ジェラルドは不愉快そうに無言で眉間に皺を寄せ、彼の心情を察したらしいナスリーンが、代わりに説明役を買って出た。


「ケイン殿。今現在の王太子妃殿下付きの上級女官は五名ですが、王妃様から差し向けられている方以外の三名は、全員が子爵家か男爵家出身です」

「そうなのですか? 王宮内の人事に疎くて、申し訳ありません。ですが普通そういう役職には、もう少し上位の爵位を保持している家の人間が就任するものでは?」

 素朴な疑問をケインが口にすると、ピンときたアルティナが横から口を挟んだ。


「それはひょっとして王太子妃殿下が、伯爵家の出身でいらっしゃる事が関係しているのでしょうか?」

 それを聞いたナスリーンは、ジェラルドと同様の渋面になりながら答えた。


「ええ、その通りです。本来ならば公爵家や侯爵家、それに伯爵家までの、条件に該当する人物から選出される事になっていますが、殿下の婚約が整ってから各家に就任要請をしても、悉く断られたと伺っております。それで昔から王妃様に仕えている方から二人を差し向けて頂き、他の三人を子爵家と男爵家から選出する事になったとか。それで余計に王太子妃が、社交界で軽んじられる事にもなっているのですが……」

「何ですかそれは!? 殿下と妃殿下に対して、失礼にも程があります!」

 本気で憤った声を上げたケインだったが、そんな彼をアルティナは困った様に宥める。


「ケイン。残念な事に貴族社会では、格下の人間に頭を下げるなどもってのほかだと、思い込んでいる方が多いのよ。むしろシャトナー家の皆様の方が、稀有な存在だと思うわ。現に私のすぐ上の姉も、当時王太子殿下の妃候補の一人だったけど、エルメリア様との婚約が正式に決まった時には、それはもう母娘で妃殿下の事を口汚く罵っていて。……いえ、罵っていたと、兄が言っていたもの」

 うっかり力説しかけて、慌てて伝聞の形を取ったアルティナだったが、ケインは納得しかねる顔つきで言葉を継いだ。


「確かに自分や身内が選ばれなかったら腹立たしいだろうが、王太子殿下が妃殿下をお選びになり、陛下が正式にご裁可なさった事だ。臣下としては、両殿下に忠実にお仕えするのが筋だろう? それに異議を唱えたり、嫌がらせをするなどありえない」

「普通に考えればそうでしょうけど」

「あいにくと先程のアルティナ様が仰った通り、ケイン殿の様な真っ当な考えをお持ちの方は、社交界ではごく少数なのが現実です」

 困惑気味に返したアルティナの言葉に、ナスリーンの台詞が重なる。そこでジェラルドが重々しく頷きながら、話を進めた。


「無論私も、話を持ちかけた女性全員が、自分より格下や同格の人間が王太子妃になった事に腹を立てたり妬んで、要請を蹴ったとは考えていない。内外から、様々な圧力がかけられた結果だろう。それでなんとか上級女官を引き受けて貰っていた者達が、最近立て続けに役目を退きたいと申し出てきた」

「まさか、三人全員がですか?」

「因みに、その理由は?」

 流石に違和感を覚えたアルティナ達が尋ねると、ジェラルドは淡々と説明を加えた。


「病に倒れた親を看病したいとか、身内が不祥事を起こしたので、このまま王宮勤めをするのは心苦しいとか、自身の再婚が決まったからとか、様々だが」

「何やら、取って付けた様な理由ですが……」

「その話を聞いた直後、実にタイミング良く内務大臣が、三人の女性を上級女官に推薦してきた」

「……随分、あからさまですね」

 はっきりと顔を顰めたケインに、ジェラルドが苦笑いで応じる。


「本人は、怪しまれるなどとは思っていないのだろうさ。それで緑騎士隊に急いで調べて貰ったら、辞意を申し出た女官達の実家全てがが、とある筋から様々な圧力をかけられていた」

「え?」

「殿下、笑っている場合では無いでしょう!? とある筋とは一体」

「中心になっているのは、パーデリ公爵とグリーバス公爵だ」

 淡々と答えられたアルティナ達は、今度こそ完全に面食らった。


「あの……、殿下? 確か父とパーデリ公爵は、以前から犬猿の仲だったと思うのですが……」

「確かどちらの令嬢も殿下の妃候補に挙げられてからは、更に不仲になったのでは?」

「どちらの家も仲良く振られて、『敵の敵は味方』とばかりに手を組んだらしい。加えて更に厄介な奴とも、手を結んだ可能性がある」

「誰ですか?」

 アルティナは唖然とした表情のままだったが、ケインが険しい表情になって確認を入れた。しかしジェラルドはその問いには直接答えず、微妙に話題を変えてくる。


「ケイン。君は先のラグランジェ戦役の終戦協定の事を覚えているか?」

「はい、勿論です。ラグランジェ側の降伏に伴い、我が国と接しているアダラート地方の割譲、及び賠償金五千万リランを、五年間に分割して支払う事になった筈ですが」

 唐突に自身も参加した隣国との紛争の事を持ち出され、ケインは勿論アルティナも、怪訝な顔をジェラルドに向けた。そんな中、彼が淡々と話を続ける。


「その通りだ。しかし賠償金の額に関しては、当初こちらは四千万リランを要求していた」

「それではあのグリフォス王が、殊勝にも増額を申し出たのですか?」

「いや。賠償金の支払いと同時に、友好の証に未婚の第二王女をこちらの王太子妃に寄越すと言ってきた」

 その後の顛末を知り抜いていたアルティナは思わず無言で遠い目をし、従軍しながらも交渉事の矢面に立ってはいなかったケインは、不思議そうに問い返した。


「はぁ? 何を寝ぼけた事を言っているんですか。二年前と言えば、既に殿下はご結婚されているではありませんか」

「ああ。すでに当時結婚四年目で、娘を一人しか授かっていない王太子妃がな。『だから我が国の王女が、立派な後継者を産んでやる。ありがたく思え』と言う事らしい」

 皮肉気にジャラルドがそう口にした途端、ケインは憤怒の形相で顔も見た事も無い相手の国王を罵倒した。


「無様に敗走しやがったくせに、何をほざく!! 第一、正式な妃殿下がいらっしゃるのに、どうしてわざわざ他所から招き入れる必要があるんですか!?」

「我が国では側妃制度が有名無実化して久しいが、ラグランジェ国では正妃の他に三人の側妃が居る状態だからな。寛大にも『正式な王太子妃が存在するなら、それを廃しようとは思わない。我が国から遣わす王女は、側妃扱いで構わない』と同時に申し入れがあった」

「物言いが殊勝ですが、どう考えても国内の伯爵家出身の王太子妃をそのまま正妃にして、他国の王女を側妃になどできるわけがないではありませんか! 暗に、さっさと王太子妃を排除しろと言っているのと同じ事です!!」

「落ち着け、ケイン。これは二年前の話だ」

「……そうでした。取り乱して、申し訳ありません。しかし当時、どうやって収拾を付けたのですか?」

 冷静に窘められ、ケインはすぐに頭を冷やした。そして続きを促してきた彼に、ジェラルドが淡々と当時の事情を説明する。


「当時、最前線で交渉に当たっていた近衛騎士団のファーレス団長が、その申し出に激怒してな。緑騎士隊隊長と図って、表情だけは穏やかに『賠償金の支払いに加えて、お輿入れに伴う費用及び持参金を準備するのは困難でしょう。これだけの支払い能力があると、国王陛下自ら公式文書で保障して頂けたら、話を進めるのにやぶさかではありませんが』と交渉に赴いた使者を丸め込んだらしい。そして喜んで王都に帰った使者がグリフォス王に報告し、国王から『賠償金四千万リランに加えて、王女の持参金一千万リランを支払う』との公式文書を携えて戻って来たから、『それならば賠償金は五年間払い、五千万リランで決定しました』と言い放ったそうだ」

 それを聞いたケインの顔が、盛大に引き攣った。


「殿下……。側妃の話は微塵も無しで、賠償金額の上積みだけなど、グリフォス王が素直に了承する筈がないと思われるのですが……」

「当然ラグランジェ側は『話が違う』と猛抗議。こちらは『王女の輿入れの話など、そもそもこちらは要求していない。そちらが勝手に申し出た事。これだけの金額が供出可能と仰るなら、それだけの額を賠償金として払って頂こう』と突っぱねた。と同時に前線で『グリフォス王は十分支払い能力があるのに、賠償金の額を値切って戦闘を無駄に長引かせている』との噂を蔓延させた上、交渉中に密かにラグランジェ国内に大量に入り込ませていた緑騎士隊が、膠着状態に陥った直後に狙いすまして次々と敵の補給線を断って、いやが上にも向こうの厭戦気分を煽った結果、先の結果となった」

「そう言えばどうしてだか、終盤、緑騎士隊の姿が見えないと思っていたが。アルティンの奴、陰でそんな事をしていたのか……」

 呆れ気味に呟いた彼の横で、アルティナは(だってあまりにも勝手な言い分にムカついて、あれこれせこせこ頑張ったんだもの)と心の中で弁解した。


「二年前はそれで収束したのだが、腹の虫が収まらなかったグリフォス王は、虎視眈々と機会を狙っていたらしく、国内の貴族と手を結ぶ事にしたらしい。娘を袖にされて逆恨みした連中を陰で操って王太子妃を排除し、その後釜に彼らの後押しで自分の娘を据える。そして娘が息子を産んだら、それを理由に取り上げられたアダラート地方を自国に取り返そうとでも、目論んでいるのだろう」

 そう話を締め括ったジェラルドに、ケインが呆れた表情を隠そうともせずに問い返した。


「随分と自分に都合の良過ぎる妄想ですね。しかし公爵達は本当に王太子殿下と妃殿下への怨恨だけで、そんな馬鹿げた企みに賛同したのですか?」

「勿論それ以外にも、金銭や交易での優遇措置、鉱山や港湾の共同開発などの利益を、ちらつかせているのだろうな」

「それにしても、そんなあからさまな利益誘導に乗るとは……」

「因みに、水面下でのその動きが、我々にはっきりと分かる様になってきたのは、この二・三ヶ月の事だ」

(ちょっと待って。それってまさか……)

 ここでさり気無くジェラルドが口にした内容に、アルティナは無言のまま反応した。しかしケインは、咄嗟にその言葉の意味に気が付かなかったらしく、不思議そうに問い返す。


「最近ですね。何か理由でもあるんでしょうか?」

「ケイン。時期を聞いて、何か思い当たる事は無いか?」

「そう言われましても、特には……」

 真顔で考え込んだケインの隣で椅子に座ったまま、アルティナはここではっきりと顔色を変えた。


(漸く分かった。急に“アルティン”が“死んだ”理由が。ラグランジェ国と繋がって妃殿下を排除するのに、私が邪魔だったからだわ。私がそんなろくでもない企みに乗る筈が無いと考えて、その代わりにタイラスを緑騎士隊隊長の座に押し込もうとしたのよ)

 そして首尾良くその状態になっていた場合の危険性を考えた彼女は、敵国への利益誘導を躊躇わないであろう連中の顔を思い浮かべ、膝の上で強く拳を握り締めた。


(緑騎士隊では近衛騎士団の全情報を統括していて、隊長権限でそれは入手し放題。その中には勿論、国境付近の王室直轄領の警備巡視情報も含まれるわ。そんなのがラグランジェ側に筒抜けになったりしたら、目も当てられない。私が目ざわり、かつ孫息子可愛いさで首をすげ替えただけだったら、おとなしく辺境に消えてあげようとも思っていたけど、冗談じゃないわよ! そんな利敵行為を、断じて許せるものですか!!)

 もう少しで怒りの声を上げそうだったアルティナだったが、小さく歯ぎしりしてそれを何とか堪え、と同時に、何とか最悪の事態を回避できた事が分かって、密かに安堵の溜め息を吐いた。


(王太子側が王都内での不穏な動きを察知して調査を指示しても、報告を握り潰すか、のらりくらりと先延ばしにしたりするつもりだったんでしょうね。その場合、上級女官の辞職願いの本当の理由も、殿下達には把握できなかった筈だわ。予め段取りを立てておいて、速やかにカーネルに隊長位を継がせる事ができて、本当に良かったわ)

 するとここで、ある可能性に思い至ったらしいケインが、呻く様に言い出した。


「殿下……。あのアルティンの性格では、こんなろくでもない企みに荷担するとは到底思えません。まさかそれが原因で、連中に消されたとでも仰るんですか?」

「真実は分からないが、私はそう疑っている」

 目の前で両手を組みながら淡々とジェラルドが口にした内容を聞いて、ケインは瞬時に怒りの形相になった。


「あの下素野郎共!! 全員纏めて叩き斬ってやる!!」

「落ち着いて、ケイン! 兄は確かに病死だったわ! 私がちゃんと看取ったのだから、それは確かよ! お願いだから落ち着いて!」

(勘違いして、本当に因縁を付けたりしたら、処分されるのは明らかにケインの方だもの!)

 アルティナが思わず立ち上がってケインの腕を掴みつつ訴えると、彼は瞬時に我に返ったらしく、謝罪の言葉を口にした。


「……あ、ああ。そう言えばそうだった。すまない。動揺して、嫌な事を思い出させた」

「いいえ。確かにあのタイミングで兄が亡くなったのは、あの人達にとっては僥倖だったでしょうし」

 そこでしみじみとした、ナスリーンの声が割り込む。


「それでもアルティン殿が、自分に万が一の事があった時の手配を抜かりなく整えていてくれて、本当に助かりました」

「ああ。後から父上から話を聞いて、本気で肝が冷えたぞ。もしグリーバス公爵の孫などを新隊長に据えたら、それだけに止まらず、その補佐とかどうにでも名目を付けて、何人も近衛騎士団にねじ込んだだろうしな」

「十分、想像できますね」

「確実にやるな、あの恥知らず共」

「本当に……」

 思わずうんざりとした顔を見合わせた面々だったが、ジェラルドが気を取り直して話を進めた。

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