(3)善後策

「兄さん。デニス殿が、さっき廊下でユーリアと立ち話をしているのを見かけたが、そのまま帰ったみたいだな」

 クリフが応接室に入って、一人で何やら考え混んでいたケインに声をかけると、彼はあっさりと頷いた。

「帰る途中で顔を合わせたのか。デニスは今日は彼女と話をするつもりは無かったみたいだが」

 それを聞いたクリフが、若干戸惑いながら尋ねる。


「一体、彼は何をしに来たんだ? てっきりアルティナ殿に会いに来たかと思ったんだが」

「アルティナの顔を見に来たわけでは無くて、物騒な話を伝えに来たついでにユーリアに会えれば良い、程度の考えで来たと思う」

「ユーリアに? アルティナ殿では無く?」

 益々怪訝な顔になったクリフに、ケインは苦笑しながら言い聞かせた。


「お前も少し、誤解していたみたいだな」

「『お前も』って。兄さん、何の事を言っているのか分からないんだが。誤解って何の事だ?」

「デニスが好きなのはアルティナでは無くて、ユーリアだそうだ」

「はぁ?」

 そこで虚を衝かれた感じのクリフに向かって、ケインは先程デニスが語って聞かせた嘘八百の内容を、そのまま忠実に伝えた。その話が進むに従って次第にクリフの顔から表情が消え、相槌も打たずに固まっていたが、ケインはそんな弟の変化に気付かないまま話を終わらせる。


「……と言う話を、さっきしていてな。アルティナとユーリアには、くれぐれも内密に頼む。それと今後デニスを、変な色眼鏡で見ないでやって欲しい」

 真剣な表情で訴えられて我に返ったクリフは、硬い表情のまま頷いた。


「分かった。俺としても、本当の事が分かって良かった」

「そうだな。早速だが、アルティンにこの事を報告したいから、ちょっとアルティナの部屋に行ってくる」

 そこで腰を浮かしかけた兄を、クリフがさり気なく引き止める。


「兄さん、一応夜だし、アルティナ殿の部屋に押しかけるより、こちらに来て貰った方が良くはないか? 今彼女を呼んでくるから、その間に兄さんは、彼女を眠らせる為の酒を準備しておいてくれ」

「そうだな、頼む」

「じゃあ、ちょっと行って来る」

 そして応接室から廊下に出るなり、難しい顔つきになって歩き出したクリフだったが、アルティナの部屋の近くで、前方から茶器の乗ったトレーを抱えて歩いて来たユーリアと出くわした。


「やあ、ユーリア。後片付けの最中に悪いけど、応接室にアルティナ殿を連れて来てくれないかな? 先程デニス殿が伝えてくれた内容について、兄さんから話があるから」

 そう声をかけられて足を止めた彼女は、軽く会釈して応じた。


「畏まりました。それでは片付けは後にして、すぐに出向きます」

「宜しく。……それとユーリア」

「はい、なんでしょうか?」

 踵を返して部屋に戻りかけたユーリアだったが、呼びかけられて再度クリフに向き直った。すると彼が唐突に、真剣な面持ちで告げる。


「かなり分は悪いけど、俺は亡くなった方にも生きている人間にも、負けるつもりは無いから」

「……え?」

 言われた意味が分からなかった彼女は本気で首を傾げたが、クリフはその内容を口にしただけで満足したらしく、ユーリアの反応は気にせずに促した。


「それじゃあアルティナ殿に、宜しくお伝えしてくれ」

「はい、すぐに応接室に参ります」

 そのままクリフは反転して引き返し、ユーリアは軽く頭を下げて見送る。


(クリフ様が、誰に対して何で負けるって言うのかしら? しかもそれを私に言うって、全然意味が分からないし。クリフ様はアルティナ様と比べたらはるかに常識人で、まともに見えるんだけど……)

 そんな風に先程の発言に内心で戸惑いながら、ユーリアは再度アルティナの部屋に向かった。そして彼女から話を聞いたアルティナは、デニスが顔を見せた事で何やら厄介事が発生したのは分かっていた為、早速応接室に出向いた。


「ケイン、お話とは何ですか? 先程デニスが来た事と、何か関係があるのですか?」

「ああ、うん。ちょっとした話があるんだが、その前にこれを」

 ソファーに向かい合って座るなり、そう言って差し出された小ぶりのグラスを受け取り、中から微かに漂ってくる香りに、彼女は思わず顔を顰めそうになった。


「え? ひょっとしてこれは……、お酒ですか?」

「ああ。ちょっと珍しい物なんだが」

 飲み慣れている銘柄であるにも関わらず、惚けてそ知らぬふりを装うと、うっかり先程兄から聞いていた設定をアルティナに伝え忘れていたユーリアが、さりげなく会話に割り込む。


「アルティナ様はアルティン様と違ってお酒に強くなくて、少しお飲みになっただけでもすぐお休みになってしまいますから。ダンスの練習で疲れ過ぎて、却って眠れなくなったら困るという、ケイン様のお心遣いですわ。そうではございません?」

 そう言ってユーリアがアルティナに目配せで(そういう設定になってますのでお願いします!)と訴えるのと同時に、ケインに対しては(こう言ってお勧めすれば宜しいでしょうか?)と目線でお伺いを立てると、どちらも納得した様に頷いた。


「そうなんだ。これ位少量なら、悪酔いもしないだろうし」

「そうでしたか。ありがとうございます。いただきます」

 互いに笑顔で会話を交わした二人だったが、ケインは内心で(さすがは有能だな。無理のない解釈で勧めてくれるとは)とユーリアに感心し、アルティナは(要するに、この場で酔ったふりをして寝ろって言う事? またデニスの奴は、どんな無茶ぶりをさせるわけ?)と少々うんざりしていた。


「どうかな、アルティナ。気持ち悪くなったりはしないか?」

 一応心配して尋ねてみたケインに、アルティナが飲み終えたグラスをテーブルに置きながら微笑む。

「はい、大丈夫です。でも……、随分変わった味と香りでしたね。初めて飲んだ気がします」

 確かに、通常の貴族の女性が飲むような代物では無かった為、ケインは苦笑いで応じた。


「普通に出したり飲ませたりする物では無いからね」

「まあ、そんな貴重な物を頂いてしまって宜しいんですか?」

「勿論」

 アルティナが、あくまでも飲んだ事は皆無だという姿勢を貫いていると、これまでケインの横に黙って座っていたクリフが、茶化す様に言い出した。


「兄さんはもっと大量に、水でも飲むみたいに飲みますから。それ位遠慮しないで下さい」

「おい、俺は水みたいになんか飲んでないぞ?」

「何を言ってるんだか。あんな風に飲まれたら、いくら何でも酒が可哀想だ」

「お前だってザルだろうが」

「俺がザルなら、兄さんはそれを通り越して枠だろう?」

 そんなやり取りを聞いて、アルティナが座っているソファーの後ろに控えて立っていたユーリアが、笑いを堪える表情で会話に交ざった。


「まあ、お二人揃って相当お酒に強くていらっしゃるんですか?」

「ええ、父譲りですね」

「伯爵様が? そうはお見えになりませんが」

「皆にもそう言われるよ」

 そう言って互いに笑いあっていると、いつの間にかアルティナがソファーの背もたれに身体を預けて、目を閉じているのに気が付いたケインが、真顔になって控えめに声をかけてみた。


「……アルティナ?」

 それを見たクリフとユーリアも瞬時に笑みを消して彼女の反応を窺う中、アルティナがゆっくりと瞼を開けながら、面白くなさそうに咎めてくる。


「おい、ケイン。いきなりアルティナにルーベル酒の最高純度品をストレートで飲ませるなんて、何事だ? 普通は薄める物だろうが? まさかアルティナを酔わせて、襲うつもりじゃ無いだろうな?」

「この状況で、そんな事をするわけが無いだろうが」

 周りに人がいる状況で、そんな事をする筈がないと分かっていながら嫌味を言うと、ケインはその嫌味は気にせず、早速話を進めた。


「至急、お前に相談したい事ができたんでな。デニスに聞いたら、アルティナは酒に弱くてすぐ寝るから、お前を急いで呼び出したい時には酔わせれば良いと言われた。これ位の量なら良いか?」

「ああ、大丈夫だ。普通の蒸留酒だともう少し多く飲ませないといけないから、却ってこれ位度数が高い物を少量の方が良いな。それで?」

「デニスが先程知らせてくれた、この屋敷の襲撃計画情報と、その対処案だ」

「見せろ」

「ああ」

 瞬時に真顔になったアルティナに、ケインは目を通していた書類を手渡す。そして鋭い視線でその内容を確認していた彼女に、ケインは懸念を含んだ表情で尋ねた。


「その対処案ではお前、つまりアルティナも迎撃要員に入っているが、大丈夫だと思うか?」

「目的は、金庫の中に鎮座している持参金か。裏で糸を引いたのがどこか、明らかに分かるな」

「おい、アルティン」

 自分の問いを無視して独り言の様に呟いたアルティナに、ケインはイラついた様に声を荒げたが、彼女は書類から顔を上げて断言した。


「大丈夫だ、心配するな。アルティナの身体を動かす様になってから、どういう事ができてどういう事ができないと言うのは、一通り確認している。最近基本的な訓練もして、以前よりかなり身体を動かせる様になっているしな」

「それなら良いが……。まかり間違っても、アルティナの身体に傷は付けるなよ?」

「お前に言われるまでもない」

 きっぱりと断言したアルティナだったが、どうしても懸念を払拭できないケインが、独り言の様に呻く。


「やはり心配だ……、どうにかして夜勤の日程をずらすか……」

「止めろ。一度ですっぱり終わらせたいだろうが」

 心底嫌そうにアルティナが文句を言ったところで、クリフが控えめに問いを発した。

「あの……。この日家族や使用人は、この屋敷では無くて余所に居た方が良いでしょうか?」

 その問いに、一瞬アルティナは迷う素振りを見せたものの、平然と保障する。


「いえ、屋敷内に侵入する前に片を付けますから、お休み頂いていて構いません。ただ当夜は部屋の外に出ない事と、何か物音が聞こえても無視して頂く事を、徹底して貰う事になるとは思いますが」

「そうですか……。では何か、お手伝いをさせて貰いたいのですが。我が家の屋敷が襲撃されると分かっていて、アルティン様だけにお任せして熟睡するわけには……」

 生真面目にそう申し出たクリフに、アルティナは頷いて了承した。


「それなら当日は、クリフ殿にもお手伝い頂きましょうか」

「はい。剣も弓も兄程は使えませんが、人並みには扱えますので、存分にお使い下さい」

「こちらこそ、宜しくお願いします」

「ところでアルティンとデニスの名前は分かるが、他に動員する者の名前に『アルティン組』と書いてあるのは何なんだ?」

 クリフに頭を下げていてアルティナの反応が遅れた為、その問いにはユーリアが答えた。


「それはグリーバス領内から近衛騎士団に推薦した者達の中から、特にアルティン様に忠実な人間を集めて作った組織の事です。兄がまとめ役をしています」

「そう言えば……、以前デニスから、チラッと聞いた事があるな。だが彼らは、アルティナの中にアルティンの魂が存在している事を知っているんだろうか?」

 その素朴な疑問に、アルティナも首を捻った。


「そう言えば、どうなんだろうな?」

「兄さんもそこの所は、別に言ってませんでしたが……。あ、アルティン様、ここに」

 主の後ろから書類を覗き込んでいたユーリアが、最後の辺りの一文を指さすと、アルティナもそれを認めて頷いた。

「ああ、『自分の説明により、連中は諸事情を把握済み』とあるな」

「それなら色々な意味で大丈夫だな」

 それを聞いたケインは安堵して頷いたが、アルティナ達は全く安心できなかった。


(大丈夫じゃないわよ! この書き方だと、そもそもアルティナがアルティンだったから、以前と同様に動けると考えてるのか、単にアルティナの中にアルティンの魂が入っていて、保護対象だと考えているのか、分からないじゃない!)

(兄さん……。幾らケイン様が目を通すからって、もう少し具体的に分かる様に書いてくれるか、直に説明してくれても。どうしてあっさり帰るのよ? 本当にいい加減にして!!)

 女二人が本気で頭を抱えていると、ここでケインがある事についての懸念を口にした。

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