第1章 水帝の三姉妹(6)
「ここですね」
タシが静かに、震えのない整った声で言う。
「ここって?」
ミユが聞くが、答えは帰ってこない。タシが振り向いたために、重なる衣がふわりと広がる。その一端がゆっくりと、ミユの頬を撫でた。
ナ・サアも、普段と変わることのない笑みを向けていた。振り向いたときに乱れた長い髪を、園での日々と寸分違わない緩やかな動作で、撫でている。これほどのときに、とミユはサアを凝視した。サアは少し、常の者とは違うのではないか。時折思う疑念がミユの脳裏に、この場で再びわき起こった。
タシが、読み取れない表情を浮かべていた。その顔には、恐怖も憎しみも動顛も見当たらない。かといって、諦観も困惑もなかった。なにを考えているのか、ミユには見当がつかなかった。鳶色の目が、このときは灰色に映った。
ただ、そんなことなど、どうでもいいとも言えた。姉の表情がどうであれ、恐ろしい状況に陥っていることには変わりがない。
戦士たちに顔など向けたくない。しかし行き止まりの壁を見つめているわけにもいかない。ミユは姉たちに合わせて、振り返った。三人のタは仲間内で笑いあいながら、一歩、また一歩と巨体を近づけてくる。この獲物を、どのようにいただこうか、楽しもうか。六つの目がそう言っている。
だらしなく表情を崩してはいても、戦士としての警戒感が鎧を解かない。実際一人が脇の金具をはずすと、中央の戦士が止めた。
「まだだ。なにか隠しているかもしれない。ひん剥いてからでも遅くはない」
言われた戦士が頷きながら、ざらざらした笑い声を発する。ひん剥くという言葉に、その後のことを連想したのだ。
じっと戦士を見て、毅然と立つタシが、突然襟に巻いた瑠璃の巻布を取って放った。布は薄い風に翻弄され、中空をたおやかに舞い、岩壁に生える枯れ枝にかかった。そして腰の巻帯も外し、正面を見つめたまま、ゆっくりとだが、まとっている布を体からはずしていった。残った一枚を取り、左手に持ったそれを地に落とす。乾いた赤土のがさつな色が、白い肢体を際立たせた。戦士たちからざらついた声が上がった。ナ・サアもそれに続き、姉に劣らない透き通る肌を晒した。さらなる、戦士たちの声。
こんなときなのに、そして同性なのに、ミユはその美肢に目を見張った。
「こいつは、手間を省いてくれたな」
言葉に続く下卑た笑いに、ナ・ミユは我に返った。姉を見惚れている場合ではない。2人のこの行動は、いったいどういうことなのだろう。混乱する。何故。何故……。無抵抗を示し、少しでも苦痛を与えないでほしいと相手に意思表示をしているのだろうか。
あるいは、とミユはひとつの考えが浮かび、その自らの考えに体を震わせた。
「姉たちは、犠牲になることでわたしだけでも助けようとしているのでは」
そのための、降衣ではないか。一糸まとわぬ無抵抗を示し、代わりに末妹にだけは迫るなと懇願するのではないか。しかしその考えは、すぐさま打ち消された。
「さぁ、ミユも」
ナ・タシがミユに顔を向けた。冷たい響きの、刃物のような口調だった。
「わたしにも同じことを?」
ミユは混乱で体が動かない。
「さぁ、早く」
さらなるタシの言葉。噛んで含める口調の、逆らえぬものだった。でも、とミユは体を硬直させた。こんな者たちを前に、みずから衣を取り去るなど……。
――早く、タシに従って。
ミユの頭の中に、言葉が入り込んでくる。これはサアからの呼びかけだった。ナ・タシの厳然とした言葉にも負けないほどの、サアの強烈な念。タシの肩越しに、背の伸びたサアの姿があった。
とても逆らえない。もう一度タシに催促されたところで、ミユは震えながら、大衣から両手を抜いた。
もう逃れられなかった。姉の思考がまったく理解できなかったが、しかし従わざるを得なかった。あと一枚、というところで手がはげしく震え、結びがなかなか解けない。混乱し、一条の涙が頬に流れた。
ようやく衣を剥いだミユは、タシに視線を向けたが見返してくれなかった。
――ナ・ミユ、しっかりとするんだ。
再び頭の中に声が流れた。ミユはハッとした。今度のそれがサアの声でなく、それどころか、タの者の声だったからだ。誰なのかと振り返ったが、すさんだ岩肌しか目に入ってこなかった。
「あれだ。あれにする」
中央の戦士がミユを指さす。両側の戦士もミユに惹きつけられていたようで、瞬間、餌を横取りされた野獣のようにひどく表情をしかめた。しかし中央の戦士の位が優っているようで、すぐさま表情を消し、従順に頷いた。
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