君想フ銀ノ雨 君慕フ金ノ庭

桜井今日子

第1章 雨に踊るは銀の恵み

 降りしきる雨。鉛色の空から落ちるその水滴を恨めし気に見上げる少女がいる。

「今日はせっかくみんなでお花見にでかけるお約束だったのに」

 爛漫の春、心待ちにしていた桜が咲き揃い、家族で花見にでかける予定だったのだが、雨で中止にせざるを得なくなってしまった。


 元号が昭和になった最初の春である。多摩川にほど近い屋敷ではこんな会話が交わされている。維新前は武家の出らしい純日本風の建物だが一部洋風の部屋が増築されている。藤崎という名の家である。


「雨なんてふらなければいいのに」

 小さい恵子が空を睨む。灰色の重い空。

「でも花たちにとっては嬉しい雨なんだよ」

 そんな兄の秀一郎の言葉に恵子は目を見開く。雨など誰にも歓迎されないのに。

「うれしいの? 雨が?」

 そうだよ、と秀一郎が頷いている。

「花にとって雨は空からの恵みだからね。雨を栄養にしてまた綺麗に花を咲かせてくれるんだよ」

 窓辺で頬杖をつきながら隣の秀一郎を恵子は見上げる。

「お花のお食事?」

 秀一郎が眉を上げてから微笑む。

「そうだね。恵子も水を飲むだろう? それと同じだね」

 恵子は雨に濡れる庭の花を見つめる。四季を彩るさまざまな花や樹木が植えられている。

「お庭のお花はよろこんでいるのね?」

 確認するようにもう一度秀一郎に尋ねる。

「そうだよ。恵みの雨だからね」


 恵子の心から雨への恨みが消えていくのが秀一郎にも見てとれる。沈丁花じんちょうげの木の下のすみれが雨粒に弾けて首を縦に振る。雫は花びらの上で踊る。

「めぐみの雨?」

 5歳の恵子には意味がわからないようだ。

「恵子の字と同じ字だよ。恵子は僕たち家族の恵みだね」

 恵子は自分なりに理解しようと眉間にしわを寄せる。

「私、おにいさまたちのお食事なの?」

 ふたりの背後で笑い声が漏れる。微笑ましい兄妹のやりとりを聞いていた母の貴子だ。

「そうではありませんよ。あなたは私達家族の宝物という意味ですよ」

 首をかしげて見上げる恵子に兄と母の優しく温かい微笑みが降り注ぐ。


 幼い恵子にはまだ恵みという意味が理解できなかったが、それでも家族から大切に思われていることは感じ取れた。楽しみにしていた花見には行けなかったが、心に花が咲いたような気分だった。この日以来、秀一郎は恵子のことを「めぐみ」と呼ぶようになった。


 雨はその日やむことはなかった。待ちわびた桜はこの雨で散り始めたが、恵子が落ち込むことはなかった。桜もまた大きくなるものね、来年またお花を咲かせてくれるものね、と秀一郎に「めぐみの雨」の確認をした。

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