第109話『オットナリー・ネイバーフッド伯爵4』
『なぉ~ん』
『ふなぁん』
『ん~なぅ』
猫のような怪物たちがヒョロイカを取り囲んだ。
「なんだこいつらは! 化け物か!? ヒョロイカ殿! 危険ですぞ!」
獲物を逃がさないように包囲しているのかもしれないと思ったネイバーフッド伯爵はヒョロイカの身を案じて逃げるように言う。
だが――
「ネイバーフッド伯爵。ただの可愛い猫じゃないですか? あ、もしかしてネイバーフッド伯爵は犬派とか?」
ヒョロイカは恐れる様子もなく化け物たちを撫でていた。
「犬派……? いや、そういうことではなく! 猫がこんな大きさはありえんでしょう!」
「いや、猫の大きさはこれくらいすよ」
「まさか! 我が領でも見かけるが、ここまで巨大ではないぞ!」
訳のわからないことをのたまってはぐらかそうとするヒョロイカにネイバーフッド伯爵は思わず語気を強める。
だが、そんなことにもお構いなしにヒョロイカは続けて、
「周囲を見てください。ネイバーフッド伯爵以外は誰も騒いでなくないですか?」
「た、確かに……。平民たちは何事もないようにしているが……」
「でしょう? だから、猫はこれが普通の大きさなんですよ」
ネイバーフッド伯爵は思った。
この男は何を言っているのだろう……と。
「そ……そうなのですか? し、しかし我が領地でこのようなサイズの猫は……」
「それは恐らく、伯爵のところには大きくならない種類の猫しかいなかったのでしょう」
「…………」
どう考えても無理がある。
ネイバーフッド伯爵は眉をひそめた。
こんな悪戯を隠そうとする子供のような屁理屈で誰が納得するというのか?
しかし、ヒョロイカは実に堂々とした表情だった。
もしや本当にそうなのか……? 自分の今まで培ってきた常識がおかしかったのか?
あるいは、そういうことにしろと圧力をかけているのか……?
様々な考えがネイバーフッド伯爵の脳内を巡る。
短期間で一足飛びに領地を発展させる手腕を持つ男が、こんな間抜けな言い訳でまかり通ると思っているはずがない――
そういった思い込みがネイバーフッド伯爵に躊躇いを引き起こし、逆に自分自身の良識さえ疑い出すような迷いを生じさせてしまっていた。
ヒョロイカの言い分に閉口していたネイバーフッド伯爵。
だが、そんな彼にニコルコはさらなる試練を寄越す。
バッサバッサバッサ。
強い風が吹き、地面が大きな影に覆われた。
「…………!?」
ネイバーフッド伯爵が訝しんで空を見上げると、
「ひゃあっ! まさかドラゴン!? しかもこの色は伝説のブラックドラゴンかぁ!?」
町の上空に漆黒の翼をはためかせた巨大なドラゴンが浮遊していた。
「伯爵、こいつはアレですよ。翼が生えた大きいトカゲです。だから問題ないですよ」
「そ、そんなわけがあるかっ! これはどう見ても邪悪なドラゴンだろう!」
またもや繰り出されたヒョロイカの戯れ言。
今はそんなことを言ってふざけている場合ではないはずだとネイバーフッド伯爵は憤る。
一刻も早く領民を避難させ、王都に知らせるなどの対策を練らなくてはならない。
騎士団を編成して防衛にあたらなくてはならない。
そのはずなのに……。
なぜ、ヒョロイカはこんなにも涼しい顔をしているのか?
この男は頭がおかしいのだ――ネイバーフッド伯爵は内心で決定づけた。
『グオオォオォ! ゴガアアアアッァ! グラアァア、ゴオゥ!』
上空で羽ばたき、咆哮を上げるブラックドラゴン。
「なんと恐ろしい唸り声……こんなものが現れたら町中パニックに――」
そこまで言いかけて、ネイバーフッド伯爵は大きな違和感を覚える。
周囲を見渡し――
そして気が付く。
「パニックに――なっていないッ!?」
そこにあるのは何ら変わることなく日常生活を営む領民たちの姿。
誰一人として上空のドラゴンを恐れている様子はなかった。
羽ばたきによって生じる風で被り物や洗濯物が飛ばされないよう押さえたりする者はいるが、ドラゴンの来襲に慄く者はいない。
まるで、鳥が空を飛んでいることにいちいち反応しないのと同じように……。
「…………ッ!」
ネイバーフッド伯爵は悟った。
巨大な猫もドラゴンも――
このニコルコでは日常の一部なのだ……。
彼らにとってはそこにいて当たり前の存在で、特に驚くほどのものではないのだ、と。
おかしいのはヒョロイカだけではなかった。
町の人間すべてが異常なのだと――ネイバーフッド伯爵はここでようやく理解した。
「ヒョロイカ殿、ここは魔境なのですか……?」
「いえ、魔境はもうちょっといったところにあるあっちの森ですよ」
頭を抱えて蹲るネイバーフッド伯爵の頭上で、ヒョロイカがとぼけた返事をした。
その後。
「ネイバーフッド伯爵! あれは手品です! 手品!」
「ああ、そうですか……」
平民の子供が当たり前のごとく魔法を使っている光景に幾度も出くわし、その度にヒョロイカが子供じみた言い訳を重ねてきたりもしたが……。
ネイバーフッド伯爵にはもう相手をする気力は残っていなかった。
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