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 バーチャルの夜は終わり、リアルの朝が訪れる。

 いつもと同じはずの朝の教室だ。隠しきれないほどに鬱屈した冬夜の表情を覗き込んだ者は誰もが、心配げに他の誰かと顔を見合わせあった。眉間に皺を寄せ、不機嫌そのものの顔をした冬夜は他人を寄せ付けない。登校の早いグループは人もまばらな教室内で勝手に他人の机に座って円陣を組んでいた。教室のドアを開けたばかりのクラスメートがまた、何も知らずに不機嫌な冬夜に声を掛けた。

「おす、冬夜、」

「おー、はよ。」

 冬夜は行きずりで一緒になったプレイヤーなどすぐに忘れようとした。アキラのカレシだという告白はなかなかしぶとく記憶の片隅に引っ掛かりたがっていたが、無理やりに払い落とした。リアルに干渉しないのはゲームの常識だ。学校ではケーコが相変わらず勝手にカノジョ面をしていて、そちらの方が目下の悩みとしては大きかった事もある。話して解かる相手ではなく、冷たくあしらわれているうちに別の誰かに乗り換えてくれればいいがと願うばかりだ。周りを囲む友人たちもその話題には極力触れないようにと気を使っているようだった。


「冬夜、今度のテスト範囲のデータ、もう落としたか?」

「ああ。差分のファイルが昨日アップされてたぜ?」

「えー、また増えたのかよ、ちきしょう、」

 ボード型端末を操作しながら冬夜のクラスメート男子たちはボヤいている。学業専用の端末は不正防止のため学校指定の限られたサイトしか閲覧することは出来ない。その閲覧権限も学校側で自在に切り替えられ、テストの時間にはまったく使用不能にされてしまう。設問集をダウンロードし、記憶を頼りに手動入力する。その作業中の不正を監視するために生徒の手許はカメラが見つめ、教室全体は教師が睨みを効かせる事となる。

 システムの穴に挑むチャレンジャーが居ないでもなかったが、多くの生徒たちは不正開発に注ぐ労力があるなら別の方向へと振り向け、地道に学業を修めていた。


「それはそうと、冬夜。ケーコの事だけどさ、お前ヤバいぞ。」

 顔を突き合わせた数人のうち、一人の男子生徒が声を潜めた。意を決したという風で、睨むような視線だ。

「例の先輩の舎弟とかいう連中が、なんかお前に報復するとか言って騒いでたらしいぞ。」

 途端に数人が話題に乗る。

「ケーコのせいで補導されたくせに、まだ懲りないのかよ。信じらんねーな。」

「惚れた相手には向かわないもんだって、フツー。お前、気を付けとけよ、冬夜。」

「気を付けるって何を? 俺はなんもしてねーぞ。」

 不機嫌な声音は他を圧してしまい、それきり話題は立ち消えになる。皆がまた黙々とボード端末に意識を戻すと、ため息をもう一つ吐き落して冬夜も皆に倣った。


 現実世界で頭の痛い問題が起きていて、冬夜は正直ゲームどころではない心境だった。バーチャル世界の問題などは、極論だがINしなければ片付く話だ。どこの誰とも解からない人間の集団など、そこまで深刻に捉えられるはずもない。リアルで何か問題が起きた時に、人々は本分を思い知らされるのだ。

「冬夜! おっはよー!」

 甲高い女の声が教室に響いた時、生徒の間にざわめきが起きた。最新モードのお洒落をさりげなく取り込んだ制服は、彼女が冬夜とはまったく合わない価値観の持ち主だと暗に語っている。流行りのファッションに気を配り小遣いを費やすようなスタイルは、冬夜の求める青春像からはほど遠かった。

 冬夜はリアルでのファッションや流行などどうでも良く、追いかけたい者たちとは距離を置きたいと考える。だが、リアルの現実世界には、逃げ場がない。ケーコはさも当然とばかりに友人の一人を押し退け、冬夜の隣へ座った。

「ねぇ、見てみて。サマフェスのチケット、取れたんだよー!」

 目の前で振られる紙切れに冬夜は露骨に眉をしかめた。ケーコはコミュニケーション能力に難がある。相手が表情で示した僅かな変化など、気付けるはずもなかった。

「けどね、残念だけどね、一枚しか手に入らなかったの。冬夜、なんとか入手してよー、今ならオークションで三万円くらいで出てるんだって、ね?」

「なんで俺が興味もないアイドルのコンサート行かなきゃいけねーんだ、一人で勝手に行けよ。」

 キツい口調ではっきりと言うようになったのは最近だ。彼女は知らん顔でチケットをいじくって、冬夜の言葉は無視した。友人たちはタイミングを計りながら、悟られぬように一人ずつ離れていく。彼等に助け舟が出せるわけもなく、解かっていてもどうにも恨めしく思えて、そんな自分がまたこの上なく嫌だと思った。

 むくれた顔でケーコは離れていった友人たちを視線で追った。

「あの人たち、また冬夜にあれこれと嘘言ったんでしょ。」

 冬夜は答えない。堂々巡りになるだけのことで、無駄だと学んだからだ。


 ケーコは優しく言ってやっても理解が出来ない。遠まわしに、傷付けないようにとの配慮は、彼女には掛けてやる事が出来ないのだと冬夜は知ってしまった。オブラートに包むことのない切れ味鋭い言葉の刃ならば、彼女にも辛うじて響くらしい。まるで堪えていないような顔をしていても、本当に見えている通りだとは限らないではないか。ケーコを傷付ける言葉は、そのまま言い放った冬夜自身にも返ってくるのだった。

「先輩のことはもういいのかよ?」

 またどんな曲解をされるか解からないのだが、聞かずにはいられない気がした。

「先輩って、モトキくん? いいの、いいのっ、冬夜が気にすることじゃないよ。もうちゃんと終わってるんだから。妬いちゃって~、かわいいっ、」

 やはり空回りした。隣りの少女は可愛らしい仕草を演出して、小首をかしげて微笑んだ。どの角度でどういう笑みが魅力的に映るかを、鏡を前にあれこれ練習してきたのだろう。自然に近いスムーズさで自然ではありえないタイミングの動作をこなす。人はリアルで自分を作り、バーチャルの中でありのままを曝け出す。そういう器用さを持ち合わせない彼女は、ぎこちなく戸惑っているようにも見えた。


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