20 めっせーじ

 トウヤ一人に後始末を任せることは不本意だった。けれど、今日はこの時間で終わらせなければ問題がある。晶は後ろ髪を引かれる思いでゲーム世界を後にして、ログアウトの空間に一刻、身を漂わせる。晶が使うアバターは複数所有者からの借り物で、一つきりしか持たないトウヤとは少し仕様が違うのだ。同一ゲーム用のアバターが二つ並んでいるような金持ちは本当に数少ない存在だろうと思う。

 アキラの隣には男性のアバターが、同じように闇の空間に横たわり、くるくると回転していた。仲良く並ぶ様はあまり見ていたくないと思う。晶そっくりのアキラと、誰とも知れないイケメンのアバター。智之には似ても似つかない。動かすと疲れると言っていたが、なぜだろうと一瞬だけ考えたりした。あまりにも現実からかけ離れたアバターの操作は、五感までがかけ離れるから疲れるのだというような話を、晶は知らなかった。


 晶がログアウトで現実へ戻って、すぐに気付いたのはしつこいチャイムの音だった。

「いっけない、」

 時計を見れば、予定より30分も過ぎている。もう智之が帰ってきていてもおかしくない時間だ。機材を外し慌てて玄関へ向かえば、予想した通りで智之が情けない顔をして玄関ドアの隙間から中を覗き込んでいる。目と目が合うと、彼の目は涙まで浮かべた。鍵を持っていても、ドアチェーンに阻まれて中には入れなかったのだ。

「ごめん、ごめん! すぐ開けるから!」

「あきらたーん、僕、今日はまっすぐ帰るからって言ったじゃないかー。」

 大きな脂肪太りの身体が揺れて侵入の素振りを見せる。チェーンに肉が食い込んでいる様が滑稽だ。思わず噴き出してしまった。ついさっきまでスレンダーな連中に囲まれていたせいで、普通に見ればどうという事もないはずの智之の体型が、ひどく醜いものに映る。最初、目に飛び込んだイメージはボンレスハムだ。本来なら少々贅肉が付いているという程度で、けして肥満体ではないのだが……。

 連中もリアルの姿などはこの智之と大差ないのだろうが、どうも違和感を感じるのだった。トウヤも、リアルではきっとあの姿ではないだろう。もしかしたら、この智之よりもヒドイという事さえありうる話で、そう考えると何とも言えない気分に襲われた。晶はバーチャル世界の事情をよく知らない。実際には、智之のように自身とかけ離れたキャラでプレイする者のほうが少数派だった。


「あきらたん、今日は遅かったんだねぇ。もしこのままずーっと気付いて貰えなかったら、どっかホテルでも行こうかって思ってたよー。」

 智之の言葉が棘のようにチクリと晶の胸を刺す。本人は嫌味を言ったつもりもない事は承知しているが、自分が悪いだけに少々バツも悪かった。勢い付けて、晶は智之の顔を見つめた。

「ごめん、」

 両手を合わせて拝み倒す。

「あ、ううん、大丈夫! 気にしなくていいよ、楽しい時って止まらないもんだからさ、解かってるから、大丈夫だから。」

 玄関で靴を脱ぎながら、智之がフォローにまわる。お人よしというよりは気弱な性格で、そこに晶が甘えてしまう結果になっている。だが、甘えというものは、恋愛感情とイコールでは決してない。そこが解からぬ智之は、早く上がってジュースの一杯でも出してやろう、などと考えている。慌てて靴を脱いで上がりこんだ智之の横をするりと晶が抜けた。

「じゃ、あたし帰るね、母さんが心配しちゃうし。」

 またね、と軽く手を挙げて、入れ替わりに玄関口で靴を履き始める晶に、智之の表情が暗く沈む。逃げるように去っていこうとするその行動に気付かないほど鈍感ではなかった。嫌われているわけではない、けれど、警戒を怠らないほどには疑念を抱いている。それが透けて見えた時などは、なんとも言いようのない嫌な感情が沸いてくるのだった。

 焦りにも、自棄にも似ていて、慌てて打ち消さねば取り返しのつかない事をしでかしそうな、そんな感情だ。人の欲求はどんどんエスカレートする。最初は話が出来るだけで満足だったものが、今では話をするだけでは物足りないと思い始めている。苦しいのがなぜなのか、何を求めているのかも、とうに解かっている。何軒か先に住んでいる優しい美少女のことを考えると、胸がつかえるように苦しくなった。


 家に帰った晶はまず、母親に一日の報告のように会話を振り向けるのが日課だ。むろん、全てを話すわけではない。かいつまんだものだったり、当たり障りないところだけをチョイスしたり。智之の家でVRMMOをしている事などは、決して話したりしなかった。

 話せばどうなるかが解かっている、言い換えれば、危険の伴う悪い行動だと自分で解かっているという事だ。子供というものはそこを深く考えない。解かっていても理解しているわけではない。母親は何でも報告してくれる素直な娘と信じていたが、実際の晶は母親が思うほど素直でも賢くもなかった。嘘は吐いていないが、吐いているようなものだった。

 夜になればメールをチェックするためにPCを立ち上げる。ゲームの設定で、INしていなくても自分に届けられたメッセージやプレゼントなどを見ることが出来るようになっている。智之の部屋から戻った後に来たものか、メッセージが一通とプレゼントのアイコンが点灯して、存在をアピールしていた。

 贈り主は「アキラ」だ。アキラからアキラへ。こういうやり取りはアバターにINしなくても出来る事を、晶ももう知っていた。この場合、贈ってきたのは十中八九あのキモオタ、智之だ。軽く溜息を吐いてから、晶は自分への貢物をあらためる。なんのかんのと理由を付けては色々なものをくれるのだが、鬱陶しいのと嬉しいのは近頃では半々の感情になっている。慣れというものは恐ろしい、相手の気持ちには鈍感になり自分ばかりが優先されがちだ。プレゼントの片付けは後回しに、先にメールを開く。

『もし、トウヤたんに解決出来なかったら、僕に相談してね。友達に頼めば、向こうのギルマスさんに掛け合ってくれると思うんだ。あのギルドは有名なトコだから、喧嘩なんか吹っかけたら駄目だよ。友達はあのギルドと張るくらい有名なギルドのマスターだから、僕に任せてね。無理しないでね。』

 ……なぜだろう、苛立ちを感じた。


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