1999年7月10日 『異変』

 今日は少しゆっくり起きた。

別に疲れているわけではないが、

たまには朝寝でも・・・

と思い頑張ってみたが

7時が布団の中の限界だった。

仕方なく起きて

少しだけ遅れた日常をスタートさせた。

一通り済ませた後、

朝食のトーストを頬張りながら

ふと考えていた。

病院で眠る花音君の兄、詩音君と

私の知ってる花音君の中のシオン君・・・

見た目は違うがあれは同一人物だ。

確証はないが何故だか確信はあった。

この繋がりこそが全ての鍵に違いない。

私はこの1ヶ月、

今まで以上に積極的に関わってきた。

勿論、花音君には

ユリアさんの希望もあり

まだ詩音君のことは伏せたままにしている。

日課もほど良くこなし終えた朝11時過ぎ。

例のメールが来た。

サイン有り。

早々に着替え、いつもの公園に向かう途中、

賑やかなセミの声に夏の到来を感じた。

夏の陽射しは攻撃的だが嫌いではない。

主張が強く、

はっきりしているところがいい。

まぁ~暑さに

もう少しだけ可愛いげがあれば

最高なのだが、

何にでも欠点はあるものだ。

夏との駆け引きを楽しみつつ

公園に踏み入り、

いつものベンチに腰掛ける。

今気付いたが、

このベンチは半分が木陰だ。

そういえば、

花音君はいつも私を

木陰側に座らせてくれていた・・・

本当に優しい青年だ。


「こんにちは・・・

 遅くなりました。

 すいません」


花音君が駆け寄ってきた。

その行動だけでも彼の人柄の良さがわかる。相変わらず心地の良い青年だ。


「あ~私も今来たとこです。

 ささっどうぞ」


「こないだは無理を言ってしまって・・・

 でも、来ていただいて嬉しかったです。

 母も、喜んでおりました。

 あれ以来、二人して

 焼酎がマイブームなんですよ・・・」


「こちらこそ、

 ご馳走まで頂いてしまって・・・

 いつも一人での食事なので、

 久しぶりに美味しく

 楽しい時間を過ごせました」


「そう言っていただけると・・・

 また是非いらしてくださいね。

 母もきっと喜びます」


「ありがとう。

 ではまたお邪魔させていただきます」


「えぇ是非っ」


と次の瞬間シオン君が降臨した。


「やぁ、

 あんたに逢うのは義務かい・・・」


流石にまだ慣れはしないが

びっくりはしなくなった。


「こんにちは、シオン君」


「ゆっくりしてる暇はなさそうだ・・・

 また、付いてくんだろ・・・」


「勿論、ご一緒させていただきます」


「じゃ~行こうか・・・」


「えぇ・・・」


会話もそこそこに

シオン君が『そこ』へと向かった。

今回は何が起きるのかと

今では好奇心はあっても不安はほとんどない。

概ね期待と使命感・・・そんな感覚だ。

年甲斐も無くワクワクしている。

少し若返ったような気分だ・・・


「何か良いことでもあったか?

 良い顔をしている」


私は少し恥ずかしかったが


「アンタのおかげさ・・・」


と茶を濁した。


「せいぜい感謝してくれ」


「もうしとるよ」


なんとも心地の良いやり取り・・・

自然に笑みが溢れる。

本当に不思議な子だ。

そうこうしてるうちに

『そこ』へと辿り着いた。


「あれだな・・・

 ここで高見の見物と洒落込んでてくれ」


彼なりの気遣いと笑顔でそう言うと、

何の躊躇も無く『その女性』に近づき

正面に立つと一瞬だけ目を合わせ

ごく自然に顔を近づけると

耳元で何かを囁いた。

何かといっても、

いつもと同じセリフだろうが・・・

なんとも行動が大胆になっている・・・

しかも、相変わらず

相手の女性はびっくりもしないし、

嫌悪も感じている様子は無い。

羨ましいやら感心するやら、

これが今時なのか、

それともやはり彼が特別なのか・・・

まぁあのルックスで言い寄られて

悪い気がする女性は

そうそういないとは思うが・・・

いずれにせよコンタクトは済んだようだ。

無表情のまま

当たり前のように帰って来た彼に


「この街だけでも結構いるもんですね・・・ しかしキミに逢えた方々は

 本当にラッキーだ。

 逢えないまま

 耐え難い苦しみの中で

 生きていかないといけない人が

 世の中にはまだ巨万と居る。

 これも事実。

 この差はなんなんでしょうな・・・

 おっと、気を悪くせんでください。

 キミを責めてる訳ではないので」


「永く生きてるアンタには

 わかるんじゃないのか・・・

 自分の道は

 誰かに切り拓かれるものじゃない。

 切り拓くんだよ自分で・・・

 人生ってのは、9割は自分の生き様、

 残り1割が運だ・・・

 持って生まれたな・・・

 オレはそう思っている。

 その運のほんの一部に

 『奇跡』と呼ばれる現象が起きる。

 だが、どの人間にも平等に

 その『運』ってのはある。

 ただ、どこでそれを使えるかが

 違うだけだ。

 そこに生き様が影響を与える。

 つまり、全ては自分次第ってことだ。

 ラッキーもアンラッキーも

 自分が引き込んじまうのさ。

 終いにゃそれを周りのせいにしたり、

 逃げたりして

 自分を不幸だと決めつける。

 甘っちょろい戯れ言を並べてるヤツ程、

 自分だけが不幸だと思い込む。

 全くめでたい話しだ。

 オレはオレの意思で動いてはいるが

 選んだことは一度も無い。

 選ばれて引き寄せられる、それだけだ。

 オレに逢えたのは

 そいつらの『運命』なのさ。

 もがきながら、つまづきながら

 一歩ずつ一歩ずつ前に前にと

 切り拓いた先にある『命の運』。

 そこにオレが必要とされている時

 初めてオレを引き寄せるんだろうよ」


「生き様、運命、奇跡・・・

 人間は何とも複雑な生き物だろう。

 しかしキミの言うように、

 本当はシンプルなのかもしれない。

 複雑にしてるのは

 自分自身なのかもしれませんね」


「みんな、考え過ぎなんだよ。

 それすらわかっちゃいるが、

あと一歩を踏み出す勇気が

 持てるか持てないかの違いだ。

 どちらを選ぼうが

 自分次第で幸にも不幸にもなる。

 結局、自分で幸せだと感じたヤツが

 幸せなんだよ」


「なるほど・・・

 深いですが・・・判りやすい」


今日の彼は積極的で雄弁だ。


「今日のキミは・・・」


と言いかけると


「もうじき終わる・・・

 たぶんな・・・

 この喜ばしくも悩ましい

 魔法の呪縛から

 オレ自身が開放される時が来たようだ。

 そんな気がする。

 だからアンタも

 それなりの準備をしておいてくれ。

 いろんな意味でな」


「終わる・・・

 魔法の呪縛・・・

 自分の意思じゃなかったのかね?」


私が言うと


「オレもそう思っていたんだが・・・

 事を重ねるごとに、

 何か別の意思を感じるようになった・・・

 オレじゃないオレの意思をな

ただあの子は、まだ了承していない。

 明日まで考えるそうだ。

 それに、今日、明日でどうこうなるような

 そんな感じはしない

 その時が来たら、

 必ずアンタにも教えてやる。

 そして、こいつにも

 そのまま教えるといいさ」


そう言って親指で胸を指した。


「しかし、他人のアンタに

 何でこうもべらべらしゃべるのかね。

 オレはこういうキャラじゃ

 ないはずなんだがな。

 調子が狂うぜまったく。

 じゃ~なっ」


そう言って彼は私に背を向け

軽く手を上げ人ごみに消えた。

その後姿にいつもの威光は

影を潜めて見えた。

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