複眼の見栄。

「んー・・・」


複眼は最早住処とも言える台所で、唸りながら本を読んでいた。

眉間には皺が寄っており、開いている目の全てが半眼になっている。

ページを捲る速度は遅く、顎に手を添えて固まっていることもしばしば。


「んんー?」


時折複眼にしては少々可愛らしい仕草で首を傾げ、傍から見ても普段と様子が違う事が解る。

とはいえ複眼は性格が少々クールなだけで、彼女と言い合いをする程度には感情豊であるが。

ただ今の複眼は、そのクールさが殆ど無くなっている。


「きゅっうけっいだー、おっ茶のっみたーいなっ・・・どしたの、何唸ってんの?」

「んー・・・これ見て」

「料理本・・・異国の料理解説? ふーん、どれどれ」


そこにぴょんぴょんと跳ね、変な歌を歌いながら彼女が休憩にやって来た。

無駄に上手い歌声に複眼は目の一つだけを向け、手に持った本を彼女に手渡す。

彼女は素直に受け取ると、読み進める時間と共に眉間の皺が増し始める。

そして最後は先程の複眼と同じ様に首を傾げて唸りだした。


「うーん・・・う-ん?」

「ね、そうなるでしょ、それ」

「うん、正直、何書いてるのか訳が解らない。あんた解るの?」

「おおざっぱに多少は解るけど、細かい所が解らない。工程途中の写真が有れば良いけど、それも殆ど載って無いし、知らない材料の名前も幾つか有るし、さっぱりだわ」

「じゃ、駄目じゃん。料理趣味の人間に解らないで何が異国の料理解説本よ。詐欺じゃん」


複眼が先程から唸っていた理由は、つまりは書いている中身が良く解らなかったのだ。

勿論全く解らない物ばかりでは無いが、大半が意味不明な解説になっている。

料理に大概慣れている複眼ですら解読不可能な状態で、完全に解説としての体をなしていない。


「何でこんなの買ったの」

「珍しい料理の写真が載ってたから、どういうのかなと思ったんだけどね・・・表紙の写真とあおりで買ったから、大失敗だわ。中身先に見ておけば良かった。売れ残ってる訳だわ」

「ああ、中身見なかったんだ。しっかしこれ酷いね。どこの国の人間が書いたんだか。あたしが解る範囲でも4か国語ぐらい混ざってるし。普通に読める人とか居ないでしょ、これ」

「少なくとも私は真面には読めないわね。読める所だけ読んでも解説が無茶苦茶だし」


二人の言う通り、その本の内容は無茶苦茶だった。

勿論もしかしたら内容はしっかりしているのかもしれないが、だがその言語が酷過ぎた。

何処の国の何の言葉に親しんでいる人間が書いたのか解らないが、書かれている文字に統一性が無く、更にはその説明も細かな部分が無いのでさっぱり解らない。


「はぁ、ちみっこに新しい料理食べさせようと思ったのに」

「ははぁ、それで買ったんだ。可愛い所有るじゃん」

「・・・可愛いねぇ。あんた、私がちみっこにどう思われてるか知ってる?」

「料理の事なら知らない事は無い、台所の主のおねーさん」


彼女は何を今更と言う様に即答し、複眼は大きな溜め息を吐く。

それはつまり正解だという事で、だからこそ複眼は少し困っているのだ。


「そうよ、その通り。でも私は知らない事なんて沢山あるのよ。こうやって色々知っとかないと夢崩しちゃうでしょ」

「何だ、やっぱり可愛いじゃん」

「うっさい」


にししと笑いながら可愛いと評する彼女に、複眼は照れくさそうに返していた。

要は少女の為に新しい知識を得ようと、複眼はこの本を読んでいたのだ。

それは彼女でなくとも可愛らしいと思う行為だろう。


「ま、アンタは大丈夫でしょ。少なくとも先輩の次に尊敬されてると思うから」

「旦那様は?」

「大好きなお父さんは順位付け出来ないでしょ」

「ははっ、確かに・・・ま、失望されない程度に頑張ろうかしらね」


複眼はふっと笑うと本を置き、伸びをしながら今日の仕込みに入る。

そしてそこに少女がやって来て、何時も通りキラキラした瞳を向けていた。

内心苦笑しながらも、期待を裏切らずに何時も通りの手際よく仕事をこなす複眼。

複眼は複眼なりに、少女の相手の仕方に頭を悩ませ、それを楽しんでいるのであった。

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