出来る事。

「すー・・・はー・・・」


女は自室で一人、少し俯き気味な体勢で深い呼吸を繰り返していた。

目は開いているが、どこかを見ている様でどこも見ていない。

意識は完全に内側だけに向いており、自分の調子を確かめる様に呼吸を繰り返す。


「ふぅー・・・」


そして深く深く息を吐き切ってから顔を上げ、軽く息を吸って体に力を籠めた。

すると女の額に角が形成されて行き、女は出来た角を確かめる様に触る。


「・・・少しずつ、戻ってきているな」


女は角を触りながら呟き、それは何処か不安な物を孕んでいた。

今はまだ耐えられる。だがどこまで耐えられるかと。

前回の暴走は長年の蓄積のせいだと解ってはいる。

それでも自分は、気を抜けばすぐに同じ状態になるのだと解っているからだ。


「あの娘には、これが見えていたんだろうな」


女は自分の両手を、その両手に纏う物を見ながら呟く。

角を出した時だけ見えるどす黒い物。自分の体を覆う不可思議な力。

自分自身から発しているにもかかわらず、怖気を感じる気持ち悪い何か。

こんな物を少女が見れば、それは怖がるのも致し方ないだろうと思っている様だ。


「不思議なのは、あの娘から見えていた物は、私とどこか違った事か」


前々から疑問には思っていた。

少女の角は確かに自分と同じ類の物の筈だ。

角の形もそうだが、前回の事で同種の存在だという事は間違いない。

だが少女の力は自分よりも余りに強大で、だが纏う力に気持ち悪さが無かった。


見た感じは自分と然程変わらない、黒く異質で禍々しさを放っていたはずだ。

だが感覚的には、あの力に恐れは有っても嫌悪は無い。

むしろあれは少女自身の欠片の様にすら見え、抱きしめたいと感じる物が有る。


それに角をずっと出っ放しの状態な事もそうだ。

勿論女も角を出しっぱなしにしていた方が体は安定する。

だがそうすると、段々と意識の方がおかしくなっていく。

少女にはそんな兆候は一切見られない。むしろ角を出していない女の方が危うい程だ。


「ふっ、人の事よりも自分の事が先だな」


こうやって角を出している今も、頭の中に嫌な物が巡っている。

胸の奥が重い。ムカムカして来る。血肉が足りない。大事な者が足りない。

殺したい。殺して、殺して、殺して、その血肉をこの身に。


「性質の悪い呪いだ」


はぁと、溜め息を吐きながら角を消す女。

それと同時にどす黒い物は女の周囲から消え、先程のおかしな思考も消え去った。

ただし何の影響も無い訳ではない様で、女の表情は何処か優れない。


「そういえばあの時、私はこんな事を考えていなかったな」


少女と殴り合っていた時、女の思考には先程のような物は途中から消えていた。

有ったのはもっと目の前の少女とこの時間を続けたいという、まるで無邪気に遊んでいるかのような感覚。

そして少女からはそれに応える様な、自分の我が儘を包みこんでくれる様な物を感じていた。


「もしかすると過去の事件にも、何か私達の知らない事情が有るのかもしれんな」


少女の起こした殺人事件。あれはてっきり角の暴走からの物だと思っていた。

そして少女は常に角を出し続ける事で体を維持し、角の作用には慣れが在るのかと。

だが先の殴り合いの事を考えると、どうにも何か違和感を感じる女。


少女は間違いなく自分を殺せる瞬間が有ったのに、それをせずに収めたのだ。

本人の意識がしっかりとあるのではなく、どう見ても完全に角の力に任せた状態で。


「・・・考えても、解らんか。まさかまた同じ事をやらせる訳にはいかんしな」


女はとりあえず自分の状態を把握した事で満足し、部屋を出て男の自室に向かう。

そしてノック無しに扉を開き、何事かと驚く男を無視して男のベッドに寝転んだ。

男は困惑しながら女に目を向け、持っていた本を置いて声をかける。


「あのー、一体何のつもりなんですかね」

「少々自分の状態確認をしたら疲れてしまいましたので、仮眠をとらせて頂きます」

「何で俺の部屋でなんだよ」

「起きた時動けないと、助けを呼ぶのが面倒ですので」

「俺はナースコールか何かか」

「あらそんな。ボタンを押さなくても良いのでナースコールよりは便利ですよ」

「あのなぁ・・・」


男はそこだけかよと思いつつ、女が何をして来たのかを察して放置する事に決めた様だ。

暫くの間、部屋には女の寝息と男の本を捲る音だけが存在していた。

だがそこにノックの音が響き、男が扉を開くと少女がぽてぽてと入って来る。

その手にはコーヒーとお菓子が有り、どうやら男の為に用意した様子だった。


「ありがとな」


礼を言いながら頭を撫でる男に、少女はにへらっと溶けた笑顔を見せる。

これ以上ない幸せそうな顔であったが、ふと女がベッドに寝ている事に気がついた。

そして少女は慌てた様にパタパタと女に近づき、女の周囲を手でバタバタと払い始める。


「・・・えっと、なに、してんだ?」


男は不思議そうに訊ねるが、聞こえていない様子で払い続ける少女。

そして暫くすると手を止め、ムフーっと息を吐いて満足そうに笑顔を見せた。

褒めて褒めてという感じに見え、男の戸惑いは増すばかりだ。


「え、うん?」


男は良く解らず、とりあえず頭を撫でる。何も解っていないがとりあえず撫でただけ。

だが少女はやり切った笑顔で応え、ぺこりと頭を下げてパタパタと部屋を去って行った。

その顔はとても満足気で嬉しそうだったので、男は余計に良く解らない。


「え、まじで何だったの?」


男は本気で理解できず、取り敢えずコーヒーを啜るのだった。







その後暫くして女が起き上がり、その時に男が偶々部屋を離れていた事で、結局この事は少女以外誰も解らずじまいとなる。


「・・・おかしいな、体がやけに軽い。もう少し回復に時間がかかると思ったんだが」


起きた女は普段通りの体の感覚に疑問を持つが、その理由は寝ていたので解らない。

そしてその言葉を男が聞いていないので、男も説明をする機会が無い。

ただ少女だけが、女の為に出来る事を見つけ、満足げにしているだけだった。

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