応援はしても賭けはしない
日の光の届かない闇の中、息遣いも押し殺し、寡黙に籠るのは頭陀袋の集団だった。
彼ら頭陀袋の奴隷は、アンドモアの奴隷の大半を占めており、普段は通常の奴隷同様、雑務をこなし、主人であるアンドモア五人の生活を支え、その主人の気分次第で殺されるのも、無茶な命令を下されるのも、普通の奴隷と同じと言えば同じだった。
違うのは、忠誠心だった。
絶対に裏切らない、アンドモアの自信の表れとして今、彼らは武装を命じられていた。
身を守るのは頭陀袋と、それと同じ材質のぼろ服のみ、だが手にはそれぞれ鍬に石斧、石のハンマーに動物の骨、先を尖らせた木の棒に大きな石、割れたガラスに食器の欠片、その他ガラクタを装備していた。それらは反乱するのにも逃亡するのにも十分役立つものを持たされて、五人が何も言わないのは、それだけ彼らが逆らわないと知ってのことだった。
彼らが逆らわない理由、それは単純な恐怖ゆえにだった。
……彼らは見た目こそボロボロだったが、実際はそこまで酷い傷を負っているわけではなかった。正確には、過酷な生活環境で少しでも傷を負えばすぐ死ぬ、だから生きているのは軽傷なのしかいない、のが事実だった。
ただし、それは身体の話であって、精神、心のダメージは計り知れないほど深かった。
彼らがこうなってしまった経緯は個々に異なる、だが共通するのは、また同じ目に合うぐらいなら命令に従い死んだ方がましだ、と全員が思っていることだった。
だから、こうして、人数も装備も知らなされてないまま侵入者を待ち伏せせよと命じられても、逆らうこともためらうこともなく、速やかに命令に従うのだった。
……彼らがこもるのは彼らが掘った穴の中だった。
最低限の梁と柱、光源はなく、唯一の出入り口は薄い板でふさがれ、外観は周囲の土くれに偽装し、隠してあるはずだ。
同じような穴があちこちにあり、同じように頭陀袋で満杯になっていた。
彼らは合図を待っていた。それ一つで一斉に飛び出し、頭陀袋とアンドモア以外を見つけて襲い掛かる、それだけを一心に、息をひそめているのだった。
ザン、という小さな音が彼らに聞こえたのは、彼らがそれだけ静かだった。
そして彼らが合図ではないそれにどうするべきか、考えるより先に出入り口の板が引きはがされた。
差し込む逆行、現れる人影、頭陀袋たちの迷いは一瞬、だがすぐに与えられた命令に照らし合わせ、迎撃こそ一番被害が少ないと導き出した。
そして彼らが動き出す前に、太陽とは異なる光が彼らを照らした。
▼
……知らないものは探さない。
オセロはここにきてやっとルルーの言っていたことの本質を理解した。
初めてここに来た時、オセロたちは沢山の頭陀袋に背後を獲られた。
あれだけの大人数、それを察知できなかった理由、からくりがこの隠れ家だった。
知っていれば簡単、一目でそれらしい箇所が見えた。
それを一つ一つ突いて回って、当たりなら穿り出し、中身を確認する。
……ここは、当たりだ。
中の頭陀袋ども、何をされたかは知りたくもないが、どうすればいいかは、嫌でも知ってる。
黙って額の印を見せる。
それだけで頭陀袋は戦意を失くす。
後は命じるだけだ。
「命令だ」
ざわり、と彼らは動いてないはずなのに、彼らはざわめいた。構わず続ける。
「まずその袋を外して隠せ。それから話を合わせろ」
戸惑う頭陀袋たち、だがそれも一瞬で、次々に頭の袋を外してゆく。
「おいどうした!」
背後からの声にオセロは素早く額を隠し、振り返る。
「へい! ここにも奴隷が隠れてやした!」
返事し、後は彼らに受け渡す。
漆黒園、ブラザースケイルス、フォールン・ブランチ、大うどん教会、そのどこが彼らの次の主人になるかは知らないが、今のオセロにはどうだっていいことだった。
少なくともこれで敵が減り、連れてきた彼らの不満も減り、奴隷たちもこれまでに比べたら恐怖が減る。三方良しで問題ない。
余裕か、気のゆるみか、そんなことを考えならオセロは、潜む頭陀袋たちを暴いて回っていた。
▼
先遣の、待ち伏せしていた頭陀袋はほぼ無力化できた。
損害は軽微、仲間通しの小競り合いとそこからの確執が残るだけで、戦力としては無傷だ。
無傷のまま、あの黄色い大地にたどり着けた。
開けたくぼ地、刺さってた太い矢も回収され、塔の上にも人影はない。
ただ一人、塔の前の罠の前に、盛り上がる筋肉がいた。
「きーーーーーんーーーにーーーーーーくぅ!」
この上ない自己紹介、チンチロが一人、太い両腕を掲げて、立っていた。
「おい。ここがお前が言っていた場所か?」
「へい」
返事し振り返れればリザードマン、そのトカゲ顔に見慣れぬオセロでも表情が不満げなのは見て取れた。
こんなところで撤退されたら困る。
「あっしがこれたのはここまででさざ。なんで、この先は通さないと言われたこの先はまだ行ってないでやんすよ」
用意しておいた応え、返される眼差しは侮蔑、加えて今はまだ我慢してやろうという感じが伝わってくる。
オセロの目論見には気が付かず、目論見通りに動いてくれそうだった。
「こいやぁああああ! おーセローーーーーーー!」
名指しの絶叫、それに周囲が、湧く。
「知ってるのか?」
「へい」
エルフに訊かれ、即答する。
「逃げる時にちょっとありまして」
応えてる間に、周囲ではコールが巻き起こっていた。
おーせーろ! おーせーろ! おーせーろ! おーせーろ! おーせーろ! おーせーろ!
彼らが何を望んでいるのか、オセロにもわかった。そしてそれに応えなければ、盛り下がるのも知っていた。
「ちょっと行ってきます」
誰に言うでもなく言って、オセロはくぼ地へと飛び降りた。
途端に盛り上がる背後、その声援に片手を上げて応えるとなお盛り上がる。
野次と歓声、混じって聞こえるのはどちらが勝つかの賭けだった。
数えるまでもない、応援の数はオセロ、賭けるのは相手側、そう言ったところは彼らは正直だった。
……下りたのは、彼らの賭けのためではない。この筋肉が余計なことを口走らないようにするためだった。
それを知ってか知らずか、チンチロも応じて腕を上げ、声援を誘う。
歓声の中、誰彼に邪魔されることなく対峙した。
……近くで改めて見ても、その筋肉は異常だった。
まるで違う生き物を肌の上に這わせてるかのように蠢く肉、それは盛り上がり、男にはないはずの胸の谷間を作っている。その間に埋もれているお陰で、アンドモアの印はあまり目立たなかった。
「オセロー、なんか筋肉の張り、悪くない?」
とやかく言うチンチロに、オセロは黙って両腕を上げ、さらに人差し指一本を除く残り九本を広げて見せた。
それは鉱炭とも違う、例えるならば熊が得物に襲い掛かる直前のような、攻撃的な姿勢だった。
「手四つ、マジかよ」
歓声にざわめきが混じった。
▼
手四つとは、簡単に言えば力比べだった。
相手の手二つ、自分の手二つ、合わせて四つを用いるからこの名がついたと言うが、所詮はデフォルトランド、真偽は定かではない。
だがその方式は完成されていた。
二人が向き合い、両手を掲げ、右手と左手、左手と右手とを指を交差させ、掴み合い、握り合い、相手を屈指させ、膝をつかせた方の勝利となる。
細かな理屈や技術、運の要素を取っ払った、純粋に力が強い方が勝つ、シンプルな勝敗がシンプルな頭の蛮族によく馴染み、広く普及していた。
時に余興で、時に遊びとして、時に力の誇示に、相手を殺さずに屈服させる勝負は、皮肉にも賭けとしては人気が低かった。
何故なら力が全てだからだ。
体重、体格、種族、年齢、太さ、厚さ、それらが如実に示す筋肉量、多くの場合、その優劣は見ただけではっきりとわかる。
そんなの、賭けになるはずもなかった。
▼
わかり切った筋肉の差、それを前にしての手四つは、チンチロにとって侮辱以外の何物でもなかった。
他よりは筋肉の多いオセロ、だけどそれは他と比べてであって、チンチロと比べるまでもない。
それが手四つ、力比べ、最早怒りしかわかなかった。
「正気?」
筋肉の意思を伝えると、オセロは歯を見せて笑った。
自信に溢れる表情、勝つ気でいるらしいその顔に、チンチロも歯を向いて笑い返した。
良いだろう、その自信、軟弱な筋肉もろとも握りつぶしてやる。
応じて両手を掲げ掴みかかるチンチロ、が、その手が手を掴む前に、一瞬オセロは身を屈めた。
次の瞬間突き上げられた衝撃、激痛に全身の筋肉が悶絶する。
本能の赴くまま視線を落とせば、谷間の間、股の隙間に伸びるオセロの足があった。
足が抜けるとほぼ同時に、崩れるように膝から落ちる。
漂う臭いと、引かない痛みが、最悪を叫んでいた。
どんなに鍛錬しようとも、筋肉のない部分は筋肉がつかない。
そのうちの一か所である弾が、少なくとも一つ、蹴り潰されたのだった。
手四つに見せかけた奇襲、オセロらしからぬ卑怯な攻撃、完全に予想の外だった一撃ゆえに、ダメージは計り知れなかった。
溢れ出る痛みと怒り、両方に震える筋肉の前でオセロは転がるように逃げ出した。
「無理っす! やっぱ無理っす!」
嘲笑に逃げるオセロ、その背を追うことも斧を投げつけることも、怒声を浴びせることすらできない。
痛みと怒り、加えて悔しさ食いしばるチンチロの目前からオセロは悠々と逃げ出し、それと入れ替わるように男たちが、それこそ雑魚とした表現できないような連中が前に出た。
「よぉ、四天王最弱。お前の命はわれら漆黒園が頂いた」
色白の痩せっぽっちが偉そうに言う。
「なぁに、経験値は美味しくいただくし、残った亡骸もちゃんとはく製にしてやるよぉ」
続いて笑う後ろも同じような痩せっぽっちで色白で、なのにでかすぎる黒のロングコートに武器まで墨でも塗ったのか真っ黒で、不格好で、醜い。
そんな連中に囲まれながらも、チンチロは未だに立てなかった。
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