見るべきもの

 ……最後の矢を放ってからしばらく経つ。


 何もない時間の経過に、狙撃手が思うことはなかった。


 そう命じられている。


 ただ近寄るものを全て射抜く、それだけが命令だった。


 感情の消えた思考、冷静を通り越して死に絶えた頭の中で、ただ今を計算する。


 今日は二人、内の一人は遮蔽物の罠にかかったはずだ。少なくとも鈴の音は聞こえた。


 これで動けるのは一人のみ。それを射抜けば終わりにできる。命令を実行できる。


 計算しながら、狙いはそらさない。


 石造のように動かない矢が向くのは遮蔽物の左側、そこの胸の高さだった。


 右側には罠がある。出てくるならこちら側しかない。狙撃手は知っていた。


「行くぞ!」


 男の声、同時に遮蔽物上部より何かが飛び出す。


 だが狙撃手の矢は動かさず、視野もずらさず視界の端だけで確認する。


 オレンジ色、サイズは頭ほど、人ではない。


 判断し、計算より排除する。


 その刹那より、遮蔽物から男が飛び出た。


 反射で指を開いて矢を発射する。狙い通りまっすぐの軌道、着弾、爆発、粉塵、確認、男の姿、当たらず。


 車種の狙いが外れたのは相手の動きがセオリーから外れていたからだった。


 普通、囮に気をそらせての行動なら、囮が囮と看破される前に素早く動くものだが、今の動きは、あえてこらえて一歩を遅らせた動きだった。


 そのこらえた分だけ、狙撃手の予測を狂わせた。


 通常とは異なる行動パターン、だが驚きの感情もない。ただ覚えて修正する。


 二の矢をつがえる間に、男は加速し走りだした。方向はこちらに、塔へ。


 どちらでも迎撃する。そう命じられている。


 修正、推察、予測、発射、着弾、爆発、確認、当たらず。


 発射、着弾、爆発、確認、当たらず。発射、着弾、爆発、確認、当たらず。発射、着弾、爆発、確認、当たらず。


 当たらない。


 狙撃手の想定を超えるランダムな移動、右へ左へ緩急付け、予測を超え、目測が定まらない。


 だが狙撃手は狙撃を続ける。そう命じられている。


 発射、着弾、爆発、確認、当たらず。発射、着弾、爆発、確認、当たらず。発射、着弾、爆発、確認、命中、いや得物で弾かれた。ダメージ確認できず、機動力に変化なし、結論は当たらず……。


 変わらず当たらない矢、だが狙撃手にはいら立ちも焦りもなかった。


 ただ一度、矢を放った後にその下、男の進行方向をチラリと見た。


 そこは罠地帯だった。


 塔へと到達できるルートは一本のみ、それ以外は、虎バサミ、落とし穴、スパイク、ワイヤー、あらゆる罠がぐるりと、この塔を囲っていた。


 唯一安全に塔へと到達できるルートは直線状の、男の歩幅で五歩六歩といった一本の道のみ、その一本に、男の足は向いていた。


 ……見破られてる、と狙撃手は推測する。


 囲う罠は、隠蔽が完全ではない。少なくとも塔の上の狙撃手の目でも確認できるほどには、露出していた。


 それを見破れず、罠にかかれば射殺す。


 それを見破り、戸惑って足が止まれば射殺す。


 それを見破り、安全なルートに入っても射殺す。


 命令は変わらない。


 安全なルートは一本道、左右に罠、角度も考えれば前後の回避もできない。


 入れば終いの袋小路、そこで確実に殺せと、命じられている。


 発射、着弾、爆発、確認、当たらず。


 チリンと鈴の音、方向は遮蔽物、視線の端にて遮蔽物左より飛び出すヒラヒラを視認、囮と判断、無視する。


 ……男の足は止まっていた。


 位置は、安全ルートの一歩手前、左右に避けることができる最後の地点で、完全に止まっていた。


 対して狙撃手は撃てない。


 これまでの動き、この距離、反応速度を考えれば、相手は矢が放たれてから動いて避けることも可能だろう。


 だから撃てない。


 今いる位置に撃てば、あるいはルートにそって撃てば、簡単に避けられる。


 予測して撃てば無視される。


 どちらにせよ、その隙にルートに入られ、突破される可能性が高い。


 当てるには、ルートに入っている瞬間を狙うしかない。


 狙撃手はそれを知っている。


 だからというわけではないが、何も感じず、ただ命令通りに狙い続けた。


 これからは、持久戦だ。


 矢か足か、先に動いた方が隙を作り、それを挽回する前に致命傷となる。


 先に動いた方の負け、忍耐力の勝負、それに狙撃手は感情を動かさなかった。


 この状態であとどれくらいか、数日か数週間か、計算するも、そこになんの感情もなかった。


 ……と男が視線を上げた。


 黒く長い髪、浅黒いが肌、額当て、その目はまっすぐ、狙撃手を見上げ、見つめ、そして笑った。


 ぞくりとした。


 感情を失い、奪われ、ただ命令通りの狙撃する狙撃手が感じた、はるか昔に感じた感情、恐怖、それを甦らせるほどに、その笑う表情は、命令したものたちに、似ていた。


 だがそれも一瞬、命令したものたちを思い出し、命令を思い出し、また感情を殺す。


 べちゃりと音がした。


 それも、すぐ近く、狙撃手の背後、他に誰もいないはずの塔の頂上で、聞き逃せない音量で、聞きなれない音がした。


 ……降り開ける狙撃手に感情はない。


 だが振り返り、その目でつぶれたカボチャを見て、第二の感情、驚きが、蘇った。


 記憶をたどる。


 遮蔽物に隠れる前、男が持っていた。


 それは、恐らく遮蔽物から飛び出る時に囮として投げられた。あれが、このカボチャだ。


 あれからどれだけたった?


 ただここの届いただけでもありえないのに、今の今まで落ちてこなかった飛行時間、それを助走もできないあの陰から、投げた?


 驚愕、からの疑問、それらが狙撃手にほんのわずかの間、感情を甦えらせ、命令を忘れさせた。


 だがそれはすぐに消えた。


 狙撃手はすぐに命令を思い出し、視線を戻した。


 …………だが、もうそこに男の姿はなかった。


 ▼


 ……ルルーは自分の失敗に気が気ではなかった。


 オセロの足音も聞こえず、爆発音も終わった。


 それに関して、不思議と、でもなけど、不安はなかった。


 ここまでの旅、オセロの強さは嫌というほど見てきた。


 だからこの程度、きっと難なく攻略してくるだろう。今頃はあの塔に取りついて、よじ登ってるに違いない。


 オセロが無事に戻ってくる確信はある、オセロにはそれだけの信用がある。


 だけど、だからこそ、そんなオセロに信用され、任せられたことがちゃんとできなかったことが、心に刺さっていた。


 頼まれたことは単純、合図し飛び出てから十数えた後に鈴を鳴らして罠の板を飛び出させてほしい、それだけだ。


 安全で単純で、無理のない仕事で、当然、ルルーにもできるはずだった。


 数は数えられるし、板も重くない、鈴の音を含めてこれが時間差の囮なのだと理解もしてた。だからただの板よりもそれらしく見せるために、服を着せようと言い出し、後悔しながら抜いてナイフの抜いた板に着せて、大丈夫と応えたのだった。


 そして本番、合図と共にカボチャを投げ、すぐさま起き上がって飛び出るオセロ、と思ったらその足を止めた。


 その目前、鼻先が爆発した。


 飛び散る破片、背後にいたルルーでさえ思わず目を背けたのに、収まって顔を上げたらもういなかった。


 それから慌てて十を数えて鈴と板をやったのだった。


 出遅れたのかあるいは早すぎたのか、それすら判断できなくなってる。


 オセロのことだから、怒ったりはしないだろう。むしろこちらから言わなければ気が付かないかもしれない。


 けど、でも、謝りたいと思った。


 ……あれから足音も爆発音も聞こえてこない。


 不安はないけど好奇心はある。


 だけどあんな太い矢が狙ってると思うと、顔を出すほどの好奇心でもなかった。


 …………あれ?


 その太い矢を、見て、なんだか、何かを感じる。


 それが何か、なんというかどこか昔に見たお覚えがあるようなないような、感じだった。


 もやもやして気持ち悪い感じで頭にへばりつく。


 それがなんだか知りたくて、あの矢に障りたいけど、触りに行く勇気はない。


 ……これもひっくるめて、オセロが戻ってからかな。


 エックシ!


 くしゃみ。


 ワンピースを板に着せたから今は下着だけ、脱いだ時には向こうを向かせてたけど、戻って来た時にそれを言うのは違うだろう。


 ……少し考えて、ルルーは板を戻すとワンピースを回収し始めた。



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