銀行前の一人と一人

 件の銀行はポツンとそびえていた。


 敷地はぐるりと囲うように土嚢が積まれ、その四隅に物見櫓が立ち並び、今は消えているが篝火の台も見える。その中央、銀行の建物自体はそんなに大きくないが、その屋根の上には攻城用のバリスタが設置してある。


 更にその周囲には何もない。真っ平らな平地だ。


 地図によれば、ここら一帯は前は青空市場で、その売り上げなんかを預けるための支店だったらしい。おかげで忍び寄る影もない。


 もはや要塞、軍事レベルの武装だった。


 しかも警備してるには紛れもなく軍経験者、それもかなりの上位を揃えてやがる。


 なにせ装備はフルプレートアーマーにハルバード、ランス、タワーシールド、その他諸々の完全武装だ。なのに軽快に歩きながも談笑してやがる。体もでかい。なのに臆病なほどに固まって行動する。最低でも二人一組、絶対に単独行動をしない。各個撃破を嫌い、容易に成り替わりできないようにとの配慮だ。


 隙のない布陣、行動、やりにくい。


 せめてもの幸いは、外側への巡回がないことだ。人員交代の時の行進以外では銀行に張り付いて動かない。おかげで監視もしやすいってものだ。


 タクヤンが隠れて見張っているのは青空市場の果ての建物の、一つ裏側の建物の中だった。


 念のための距離、それでも前の建物の開きっぱなしの窓とドアを通り抜けて監視はできる。良い立地だ。


 元は軽食屋か、窓の多い壁、打ち捨てられた椅子にテーブル、カウンターの向こうには小さなかまどが蜘蛛の巣に覆われている。壁際にはガラクタ、水回りは乏しいが、その分虫も沸いてない。屋根もあり、水も食料もたっぷり、椅子にも座れて机に肘をつけて楽できる。


 しかも今回は一人じゃないのだ。


 チラリと振りかえればルルーちゃんがいる。大きすぎる椅子に腰掛けて足をブラブラさせてて可愛い。


 だけどその表情がは、あれだけはしゃいでたのに、今は不安げだ。まぁ、オセロがいないからだろう。こうして預かるのは、あのカジノ以来か。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


 真にかっこいいエージェントは優しさも忘れないものだ。


「こういうのは些末な事柄はちゃんと済ませておかないと。それに、あいつは強いのは知ってるだろ? 言うほど頭も悪くないし」


「それは、そうですけど」


 不安げな声も可愛い。


 正直、これでオセロがどうにかなればルルーちゃんを独り占めできるが、女の子の不幸願うはかっこ悪い。エージェントが願うことじゃない。


 と、平地を歩く影が見えた。


 頭に大きな鍔の黒い帽子、スラリと体にぴったりとしたドレスも黒く、スリットから覗く脚には同じく黒の網タイツ、足先も黒のハイヒールだ。背中は大きく開き、それを隠さぬよう、長い髪はアップでまとめている。右手は腰に、左手にハンドバックを、腰にはワンポイントアクセントな赤いパレオを巻きつけてる。それを揺らし、くねらせ歩きながら流し目で振り向いた横顔は、オセロだった。


 ……こんな笑えないジョークはこの仕事についてから初めてだ。


 だが言い出したのはむしろオセロの方だ。俺は悪くない。


 最初のプランでは、察しの通りルルーちゃんに頼むつもりだった。


 それがあの反応、オセロとの関係を完全に見誤っていた。吹き出る怒りの前兆、身の危険を感じて咄嗟にプランを変えたのはさすがエージェントと褒め称えられるところだ。それでも咄嗟に新たなプランはすぐには浮かばず、口に出たのは最初のプラン、女装潜入だった。


 服はある。化粧もできる。秘密の挨拶に美女とはない。むしろそんなのだからここまでこれたとなればリアリティーあるじゃない。


 そこまでまくし立てて、返ってきた応えは、確かに髪も長いしな、だった。


 意味がわからず、で話を合わせて探れば、こいつは自分が女装するものと勘違いしていた。


 慣れないジョークで飛ばしてるのかと思ったが、実際オセロは乗り気だった。


 実際どんな感じになるか体験して見たいと、あのガキみたいな笑顔で抜かしやがった。


 それでまぁ、どんな感じになるのか、別の隠れ家に連れてって、集めておいた服を見せたらもう、はしゃぎだしたのはルルーちゃんの方だった。


 それからはもう、お人形遊びしてる年頃の女の子だ。服を選んで次々に着せて、女の凸を丸めたパンティで作り、男の凸を布で隠し、ムダ毛を剃って化粧を施して、仕上げにルルーちゃんによる女らしい動きレクチャーが熱く繰り広げられた。基本は内股、肘は張らず全体的にコンパクトに、背筋を正して、でも優雅に振る舞うのだ、そうだ。


 それで、ギャラの話が出る前にオセロは発進していった。


 ……笑うしかないのに笑えない。


 しかもタチの悪いことに、オセロの女装はそれほど酷くなかった。


 確かにオセロは筋肉質だが、基本は手足が長く、贅肉が少なくてスタイルも良い。顔も整ってるし背筋も良くて、そこに長い髪や化粧も加わるともう、あー街中でこういう女いるわーレベルの見てくれに化けた。


 ……正直、酒が入ってる状態なら美人に見える、見えてしまうだろう、ぐらいには美人だった。


 幸か不幸か、唯一男のままなのは声だ。頑張って裏声出しても、絞め殺される雌鶏の鳴き真似をする男の声にしか聞こえない。


 今回の銀行での取引は、調べた限りでは、封筒を渡すだけで話は済むはず、だから声でバレる心配は無いはずだが、そこまで全目的にオセロを信じ切れてる訳では無い。


 だからこうして見張って、上手くいってるか観察してるのだ。オセロの場合、正体が露見した後でもゴリ押しで脱出できるから、成否は見てないとわからない。面倒な話だ。


 そんな人の気も知らず、オセロは銀行の中へと入っていった。少なくとも見張りは怪しんでる様子はない。ここまでは、成功だ。


 あとは出てくるのを待つだけだ。


 ▼


 ……出てこない。


 手続きはどれほどかかるかは知らないが、予想よりかはかなり手間取ってる気がする。


 だが見張りの様子から大事にはなってない、はずだ。


 今は待つしかないだろう。


「……あの」


 不安げな声はルルーちゃんだ。不安げだろう。その不安げを取り除くのも真にかっこいいエージェントの役目だ。


「なんだい?」


 振り返り、優しい眼差しを見せながら渾身の優しいボイスで返事する。


「その、あの後彼らがどうなったのか、知りませんか?」


 あの後? あぁ。


「それはフォーチュンリバーの彼らのことかな?」


「そうです。彼らは無事にたどり着けたのか、わかりませんか?」


「わかるよ。こう見えても情報屋だからね」


「あ、すみません」


「大丈夫大丈夫、これぐらいはタダで教えてあげるよ。で、オチから言うと、あの後、特に襲撃もなくみんな無事に、といっても怪我や病気や衰弱はあったみたいだけど、保護したよ」


 嘘はついてない。ただその存在は秘匿にされてる。


 表の理由は被害者を加害者から守るため、裏の理由は世間一般に波風立ててデフォルトランド問題を盛り上げないため、本当の理由は加害者と内部がどれほど繋がってるかわからないからいつでも口封じできるように押さえるため、だ。


 こういった汚れた部分を隠すのもエージェントの優しさだ。


「……それは、どうやって確認したのですか?」


「どうやってって、魔法で」


「はぁ」


「本当だって。具体的にどうやったかは見せてあげられないけど、でも連絡できるだって。今回の銀行の話だって、彼らからの証言でわかったんだし」


 ……眼差し、疑ってる。だけどこれ以上話すと、ルルーちゃんも口封じしなくちゃいけなくなる。それは避けたい。


「…………まぁ、信じますけど」


 信じてない、けどこれ以上訊いても答えは得られないとわかってる、といった感じだ。賢い。オセロが気にいったのは可愛さだけじゃないのだろう。


「それと、これは別の話なのですが、その、トイレに行きたいです」


「あぁだったら、そこに置いてあるのを好きに使っていいよ」


「使って?」


「そこのガラクタ、空きビンがいっぱいあるでしょ? 一応水洗いしてあるから綺麗だよ」


「……ここに入る前に、向かいの建物がトイレだったみたいなのですが」


「いやいや、見張りの交代いないから、動けないんでそれで我慢するんだよ」


「それは、タクヤンさんの場合ですよね?」


「いやほら、一応、オセロに見ててくれと言われてるわけだし、そばにいてもらわないと」


「行ってきます」


 そう言い残し、ルルーちゃんは部屋から出て行ってしまった。


 せっかくの役得、だが嫌がる女の子に酷いことするほどここに染まっちゃいない。それに機嫌損ねてオセロにチクられても怖いし。


 しかし、心配なのも事実だ。ここはデフォルトランドなわけだし、ルルーちゃんは可愛いし、帰りが遅いようなら見に行かないと。


 …………違う、遅かったら見に行って良いんだ。


 帰りが遅いんで見に来た。


 ドアをノックしたが小さすぎて返事がなかった。


 心配になってドアをぶち破った。


 ワーオモウレーツ。


 完璧なラッキースケベだ。


 後でオセロにチクられたとしても泣きながら跪いて適当に誤魔化せばあいつはちょろい。以後間違いなくルルーちゃんに嫌われるだろうが、それでも構わない。むしろ嫌われてでも、恐怖の実体験を染み込ませることで今後の危機意識を高め、素直に空きビンを手に取る良い子になるのだ。


 問題はタイミングだ。


 早すぎては心配になったの言い訳が不自然になる。


 かといって遅すぎればクライマックスを見そこねる。


 タイミングを見計らうのだ。


 まだか? まだか? まだか?


 ダメだ。考えすぎた。もう遅い。急がないの間に合わない。ドアのノックは省こう。


 思い立ち、立ち上がり、振り返った顔面、左側頭部に強い衝撃、弾かれ床に投げられた。


 即時に激しい頭痛、殴られた。鈍器、硬いものだ。


 誰? 何者? オセロ? まさかルルーちゃん?


 疑問の答えの代わりに二発目が降ってきた。

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