第15話

 派手なノックの音で来訪者を知ったサタンは渋々シャワーに濡れた体をバスローブ(寸足らずだ。これだからアジアは嫌だ)で包んでドアを開けた。

 長い艶やかな黒髪を結いもしない姿は初めて見た。

「アマテラス、一人でこういう男の部屋に来るのはまずいんじゃないか?」

「だからここで外に誘おうと思ッテナ。」

 ふん、とすっとした鼻先を上に向けて彼女は真紅の唇で笑った。

 見下ろすと黒いライダースにダメージデニムに白いTシャツ(なんだかわからない英語が書かれていた)赤いピンヒールも勇ましくどうやら夜の繁華街に繰り出す気らしい。

「……侍従達に殺されかねないんだが」

「お前はナ。

 あとデ殺されるだろうネェ」

 軽口を言いけたけた笑う彼女はいつも通りだが、目の下が赤いのはメイクではなさそうだった。いざって時に口が下手な、不器用な女だと思う。そして向けられた感情を煽るような叱責を思う。あれだけの勢いで罵詈雑言を投げて女は感情的で困ると言う侍従長を思い出し、ああここは後進国であったなと窓の外のネオンを見る。

「苦労するな、お前も」

 まあな、と言ってアマテラスはドアを半分閉めた。

「だからさっさと着替えてこい。

 五分で出るゾ」

 ドアが閉まって、サタンは肩をすくめた。ドライヤーを使う時間はないらしい。



 コールアンドレスポンス。

 腹に響くドラムの音。

 鳴り止まぬギターのメロディ。

 そして叫ぶような歌声。

 ノイズの耳は初めての経験にすっかり酔っ払っていた。熱狂の渦の中からようやくノイズが後方のパイプ椅子のところに戻ってくると、椅子に座ったツクヨミが紙コップに入った烏龍茶を渡してくれた。

「どうだ、楽しんできた?」

「はい! すごい……すごい音楽ですね」

 ライブはまだ続いているので大声で話す。それでもこのスペースに聞こえるのはまだ鼓膜に優しそうな音量だ。

「ぼくこんなに揉みくちゃにされたのも初めてだ……」

「おう、だいぶ前まで行ってたカラなあ。

 大丈夫カ?」

 隣にホスセリが座ってビールを呷った。ノイズもだが汗だくでTシャツの背中は悲惨なことになっている。

「僕、こんなに長く外出するのも初めてです……ひとりっていうか。いつもは誰かしら家の者や父のもとで出るし、こんなに地上に出たのも初めてで本当に楽しくて」

 ホスセリとツクヨミは眉間にしわを寄せて顔を見合わした。

 ホスセリが口を開く。

「言いたかないンだけどサ、ノイズもしかしてすっごい坊ちゃんに育てられてンの?

 あのサタナエルが?」

 ツクヨミが軽く咳払いをする。

「ホスセリは知らんのか。

 あれはどうも……【あれ】以来は」

「そうだよそれよりその【あれ】。あれノイズ知らないって言うンだけど」

「……知らない?」

 バーーーンとギターを叩き壊す音がして、歓声がひときわ大きく襲ってくる。ノイズはきょろきょろ二人の顔を見比べて−−その表情のあまりの無垢さにツクヨミは唸った。そうか、教えていないのなら教えてやれないなあと思う。

「マスター、客が」

 すっと屈んだ黒い服の男がツクヨミの耳元に囁いた。

「誰?」

「それが」

「あたしサ」

 パイプ椅子のひとつを引っ張ってきて、ホスセリの前に置くと、その女性……アマテラスは足を組んで座った。隣にはサタンがヌッと立ってノイズに驚いている。

「それで、アタシの愛人はここでなにしてンだい?」

「アマテラス!」

 ホスセリが彼女の手を取りニヤッと笑った。

「バンドメンバー三人になった!」

「巫山戯るんじゃァないヨ」

 指に刺していたタバコを遠慮なくホスセリの手に押し付けて(彼の悲鳴が上がったがライブハウスの喧騒にもみ消された)アマテラスは青筋を立てた顔で彼の前に伸び上がるとごんっとホスセリの頭に拳を落とした。

「アタシは売れないバンドマンの女になれないのは知ってンだろ。

 アンタは元号が変わったらイセで」

「俺はバンドマンになるんだ」

 頭に拳を落とされたまま、俯いたホスセリは明るい声で続けた。

「だから大御神、悪いけどあんたと」

 ああっとノイズが大声で叫ぶ。

 一同が振り返るとノイズがバンドファンの集団にダイブするところだった。

「何やってんだあいつ!」

 とホスセリは後を追うように人混みをかき分ける。

「ちょ、っと待てノイズなんで」

 狼狽える父親に、ツクヨミは若いもんはいいね、と呟いた。

 数十秒後。

 人混みの中突き上げたノイズの腕の先にはファンサービスで投げられたギターのピックが握られていた。

 誇らしげに凱旋するノイズに周りのファンの羨ましさとよかったねーがないまぜになった声援が湧いた。その中をノイズが通れるようにホスセリが人をかき分けている。

「なんだってんだよ」

「だって欲しいかなと思って」

 はいこれ。

 気軽にピックをホスセリに渡す。

「俺に?」

「うん」

 なんていうか、とノイズはそっと彼に耳打ちした。

「欲しいのかなって」

 ノイズは父親のところに駆け寄り、この音楽すごいですよ!と今日のことを話し出した。ふとホスセリはアマテラスの方を見て


 俯く彼女の眦を見てしまった。


「……」

 彼はギターのピックを握りしめて、ああ違うと思う。そんな顔をさせたくないのだと。

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