遠い場所(2)

 週末の試合ゲームはあっという間にやってきた。


 レベルアップするにはあまりにも時間が足りない。フィジカルトレーニング、ラントレ、戦術理解に、対戦チームの対策、加えての個々の技術力のアップ。


 手を抜かずに練習を必死にやっていれば、日々はあっという間に過ぎていった。


「――フォアチェック!」


「サイド警戒!」


 寄せがワンテンポ遅れたところ、相手コートの深くからロングボールを放り込まれ、一気にサイドを抉られた。


 白鳥杏奈が快速を活かしてタッチラインに追い込むも、相手選手は体勢を崩しながらもクロスをあげた。


 C Bセンターバックコンビの城壁をかいくぐって、スペースへと飛び出した選手が頭で合わせた。これを、キーパーの栄皐月が瞬発力で反応。ギリギリではじき返した。しかし、セカンドボールを相手に拾われ、攻撃の潮騒は引かなかった。


 苦しい時間帯が続く。


「――今日は守備がバタついていますね」


 真賀田詩織コーチはコートへ険しい視線を向けていた。


「いや、問題は守備にあるんじゃなくてだな……」


「攻撃の方にあると?」


「口すっぱく言ったけれど、球技ってのは基本的に攻撃が最大の防御になる。なにせボールは一つしかないんだから、こっちがボールを保持してるってことはすなわち、どうやったって点を取られる心配がない」


「理屈はわかりますが、昨今のサッカーで点の入る機会というのは、カウンター攻撃が多くを占めます」


「ああ、だから生半可な攻撃じゃ、手痛いしっぺ返しを食らうんだ」


 そう口にした時、言葉を証明するかのように鋭くホイッスルが鳴った。


 懸命な守備も虚しく、ゴールをこじ開けられた。


「となれば、そもそも根幹にある問題は……」


 そう。

 紬の移籍。


 彼女の巧みなボールさばきには絶対的な安心感があった。


 絶対にボールを離さない強い意志。彼女がボールを持てば、必ずゴールまで運んでくれる信頼を思わせてくれた。


 基本的に、イシュタルFCの攻撃パターンは球離れの速さを追求したパスサッカー。パスで相手の守備を崩すという戦術だ。だが、パスをするということは、ボールが選手から離れることを意味する。その真逆を行く選手だったからこそ、紬はウチにとっていい意味での抑揚あるリズムを作ってくれていた。


 練習はすぐに効果が出るものではない。それでも、身に付く速度が一番早いのは頭であって、鹿野紬の代わりを務めることになった右ウイングの萱島環かやしまたまきは、システムにフィットしようと必死だった。


 彼女が他の選手より持っているものはそう多くない。しかし逆に言って、目立って悪いところののない選手だった。昨シーズンの出場経験は途中出場で、八試合。多い数字ではない。出場時間を合算して、一試合にも満たない。それでも一得点二アシストと、得点に絡む率は悪くないばかりかかなり高い。もう二つ三つ遡れば、彼女が絡んだ場面から得点に結びついてもいる。


 だが選手としての質は紬に比べると、二枚も三枚も落ちる。体の線はまだ細く、卓越した技術があるわけでもなし、突出したスピードがあるわけでもなし、ゴールへの鋭い嗅覚を持つわけでもなし、いってしまえば目立たない選手だった。


 それでも彼女を先発起用したのは、穴の少なさからだ。こういう選手は例外なく努力家だ。そして頭がいい。自分を客観的に分析できて、足りないものを埋めようとする。


 一番面白みがなくて、一番信頼できる選手。


「いなくなった選手を惜しんでも仕方がない。俺たちは今ある力で戦うしかないんだ」


 それは、俺自身に言い聞かせるための言葉だったかもしれない。

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