窓辺の視線-後編-
「ではあなたからどうぞ」
勧められるがまま、迷路は質問を思い浮かべた。
時間には限りがある。門限までに家に入らないと、隘路とした約束を破ってしまうことになる。それだけはなんとしてでも避けなければならなかった。しかしこの店に入店する際にした約束の為に、知りたい問いの答え、探し物の正体、もしくはそれに準ずるものをそのまま質問するわけにはいかない。自分でヒントをかき集め、パズルのピースを組み合わせるように導かなければならないのだ。
それに、もしかしたら。場合によれば。
思いもよらない真実が掴めるかもしれない。
一つめの質問を頭の中でしっかりと思い浮かべ、何度も反芻し、言葉にする。
「斎藤の家は、息災ですか」
長い黒髪が、僅かに揺れる。
「いいえ。頭首様が亡くなられました。御歳二十六、あまりに若い」
「そう、ですか」
ふっ、と、迷路は息を吐く。
「何か気掛かりになることでも?」
目の前のそれは愉快そうに口の端を歪める。目の奥どころか、その瞳自体が覆いに隠されていて、表情はしっかりと読み取れない。
「それは質問ですか?」
そう返せば、「いいえ、只の確認です」と、これまた不思議な返答がやってくる。問答というより、学校で行ったディスカッションもどきに似ている気がした。
「では私から。………あなたには、大切な人はいますか?」
その問いは、予想外。
予想の範疇から大きく逸れた問いだった。
「それは恋人ということですか」
「いいえ、親愛でも友愛でも恋愛でも。あなたが失いたくない人、という括りです」
恋人などいない、友人と言えるほど親しい同年代の者がいるわけでもない。家族という括りで見たところで、
それは、
せんなきこと。
「あいろはたいせつです」
単調で、区切りもなく滑り落ちた言葉に、その抑揚も、全てを引っ括めて満足そうに、彼は首を縦に振る。
「では、あなたの番です」
迷路は無理矢理思考を切り替えた。頭を軽く振って、沈みかけた脳を呼び戻す。
次は、なんだ。どうしたらいい。
勝ちも負けもない。この勝負は恐らく、僕の負けだ。問答であろうがディスカッションであろうが話し合いであろうが駆け引きであろうが、圧倒的に部が悪い。けれど。
僕の持つものを相手に譲り渡すだけの、対価を求めることならできるだろう。
知りたいことさえ知れば、僕はそれでいい。
それが最善、それさえできれば、勝ちは無くとも負けもない。
二つ目の問いをした。
「隘路は何故今、隘路なのですか」
彼は、すぐに答えなかった。
閉じた口はむぐ、むぐと動き、それからようやく開かれる。
「……驚きました、それに気がついているとは、………いや、むしろ、そのように質問するとは」
これは考えを改めなければ、と、彼は呟く。
どういうことかと首をひねれば、彼は意外にも申し訳なさそうに身動ぎをした。彼が悪く思う筋合いは全くないので、迷路としては気にすることでもないと思うのだが、彼には何か思うところがあったようで、彼は、む、と唸って、それから、思考を切り替えるように首を回した。
「質問に答えましょう。隘路と言われる存在は、あなたも恐らくはご存知であろう、
「で、あったもの」
「はい。彼は最早、件ではない。彼自身が何度も繰り返し言っている筈です、己は土塊であると」
つちくれ。
泥。
土人形。
「彼はとある件であることを放棄した。とある少女と、ほんの二、三分会話した、ただそれだけで。彼の件としての物語は、そこで終結しています」
少女。
少し前に、見知らぬ土地で、隘路が見つめたおさげの女の子。迷路よりも年は上に見えた。眼鏡をかけた丸い目は、見通す瞳でありながら、迷路の目とも違った。あれが怪異を見る、正しい瞳なのだろう。
息災で、と、隘路は手を向けた。
少女は泣いていた。
「本来ならば、件としての役を失った彼は夢の中で幻となって霧散する筈でした。しかし、ある手違い、……いや、ある宿業故に、彼は生き残った。生き残ってしまった」
「宿業」
「それが一体何なのかは、
「隘路は、忘れている」
己の宿業を。
己の運命を。
過ち、を?
「では、私の番ですね。あなたの、お父様や、お母様はご存命ですか?」
「死にました」
簡潔に、答えた。
すぐさま、間髪を入れず。
もう二人とも死んだ。父も母も死んだ。これで正真正銘、天涯孤独というものだ。
元より、父や母が居たならば。
迷路はこの暮らしをしていない。
「そうですか」
彼はそう、応じる。
自分に回ってきた、と察して、迷路は次の質問を口にした。
「僕はとある町で、とある女の子に出会いました。中学生くらいの女の子はどうやら隘路が見えているようでした。彼女と僕の違いはなんですか」
「難しい質問ですね。いいえ、答え自体は難しくありません。とても簡潔です。私がいう難しい、とは、その質問に対して真摯に答えてしまえば、あなたはあなたの持つ疑問を瞬時に解決してしまうということ」
彼はつらつらと言葉を紡ぐ。まるで膝の上に初めから台本が置かれているかのようだ。初めからある文章を、暗記して繰り返しているようだ。
「答えは簡潔です。そう、いうなれば、見えているものが違う」
「見えている、もの」
「あなたが何を見ていて、彼女が何を見ているのか、それはあなたの推察で補ってください」
見えているもの。
僕が見えているものが、もし、違っているとしたら。ああ、そういえば、
沈みそうになる思考の奔流を堰き止めて、僕は前を向いた。彼の質問だ、僕は真摯に答えなければならない。
流されないように。
「それでは、私から。これはそう、
「……?」
迷路は首を捻った。サービス、と彼は言ったが、一体なんのことなのだろう、と。そも、既に迷路は得るべき答えを導き出せるだけの情報を手に入れていた。少なくとも、己の失せ物については。
彼はぴしりと背を伸ばし、腕を広げて袖を正す。
「あなたの気掛かりを、教えてください」
詰まって、しまった。
僕の後ろの扉は、ちゃんと閉めたはずなのに、しとしとと、扉の向こうの雨音を伝えている。樋から滴り落ちる音も、排水溝に流れる音も、壁に当たる雨粒一つ一つが楽器のように、
「雨が、楽器だった」
僕はぽつりと呟いた。
ぱぱぱぱぱらるら、ら、花が咲く。
黒い大きな傘は植木鉢。上に綻ぶ雨の花弁は淑やかに、秘めやかに。
「僕は、わからない」
わからないことを調べた。沢山の手を借りた。図書館、美術館、公園、歩道橋に連絡橋、池も川も行ける場所全てに足を運んで、知りたいことも、特に興味のなかったことも、節操なく調べ回った。目の前に座る彼の貸本を借りて、読み漁った。古い書物も文献も。僕の見ているものがなんなのか知りたくて、
僕がもしかしたら、
僕でももしかしたら、
そうやって、夢を見た。
「僕は、たまに」
わからなくなる。わからなくてもいいことだって、この世に沢山あるのだと、知っているのに。
「どうして隘路は、隘路のことを嫌っているのか」
わからなくなるのだ。
そしてその思考は、感情に擦り変わる。
わからない、それで終わらない。
すこぶる、そう、すこぶる。
「面白くないのです」
「ただいま」
「おかえり」
門限きっかりに帰ってきた迷路は、ふわ、と欠伸を一つ。
玄関で出迎えた隘路の横を通り、洗面台に手を洗いに行く。いつもの習慣、何事もない。
「ねえ、隘路、隘路」
「ん」
迷路の持っていた黒い傘には雨粒が付いている。
ああ、裏に行ってきやったか、と。
「僕が信じるのは隘路だけでいい。そうでしょう?」
何も不自然などなかった。
「そう、かもな」
前言を違えることなど、生を受けてから初めての事であった。
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