第7話

亜希子の通う学校のすぐ裏手にある喫茶店アシンメトリー。

古びたマンションの一階にある、垢抜けない外観の店だった。

だが、店内は白い漆喰の壁と、落ち着いた南欧風の、

ダークブラウンで統一された、

テーブルとチェアが5セットほどあり、

オーナーのセンスの良さを感じさせた。


その店内の窓際の席に、

祐介と亜希子は互いに向かい合うように座った。

カウンター内には白いものが混じる口ひげを蓄えた初老の男が、

サイフォンでコーヒーを入れている。

BGMはリストの名曲ラ・カンパネラだ。


 亜希子もこの店の存在は知っていたが、

入るのは初めてだった。


 「マスター、俺、コーヒー。日向は?」


 「私も同じので・・・」


 「コーヒーひとつ追加!」


 祐介はこの店の常連なのか、

慣れた感じでその初老の男に注文する。

マスターと呼ばれた初老の男は、祐介の方をちらとも見ずに

コーヒーカップにコーヒーを注いでいった。

トレーに乗せてコーヒーを持ってくる。


 「ここのコーヒーはハンパじゃなくうまいんだぜ」


 祐介はそう言うと、運ばれてきた

コーヒーの香りを楽しむかのように

鼻先にカップを持ってきて、悦に入った表情を浮かべた。

その顔が可笑しくて亜希子は思わず吹き出した。

祐介が憮然としたようにそっぽを向いた。

だが、すぐ思い直したように

亜希子に顔を向けると言葉をきり出した。


 「今日、お前すこし変だよな。

  心ここに非ずって感じでさ」


祐介にそう言われると、亜希子は顔をこわばらせた。


「米倉たちが心配してる」


祐介はそう言いながら、カップを口に運び、

「俺もだ」という言葉をコーヒーと一緒に飲み込んだ。


「俺でいいんなら、・・・・・聞くぜ」


里美が祐介に、亜希子のことを気にかけて、

何かあれば話を聞くように頼んだのだ。

だが、そんなことは今までになかった。

それくらい亜希子の様子が、

里美の目には奇異に映ったのだろうか・・・・・。

たしかに、これまでは悩み事はほとんど里美に打ち明けてきた。

それに里美はとても親身になってくれた。


そんな亜希子が里美に打ち明けようとしないことに里美自身、

不穏なものを感じたのだろう。

 それなら宮島祐介になら、あるいは話すのではないか。

実際、祐介は亜希子たちとは

親しい仲でありながら微妙な距離もあって、

かえって話やすい相手でもあった。

それに祐介は亜希子のことを想っている。ならば必ず、

祐介は亜希子の味方になってくれるはずだ。

それで里美は祐介に亜希子のことを任せたのだろう。


しばらく二人の間に沈黙が続いた。

亜希子はうつむき、膝の上でこぶしを握っている。

亜希子はまだ迷っていた。

里美の心配は痛いほどわかっている。

本当は自分が相談相手になりたいのだろうけど、

しつこく訊き出そうとすることは

里美の主義に反していた。

里美はいつでも、相手から打ち明けない限り、

余計なおせっかいはしない。

その里美が祐介に頼んでまで、

亜希子のことを気にかけてくれたのだ。


しかし、祐介に呪会や菅野好恵のことを

打ち明けてもいいものだろうか。

里美に話して嫌われるのも怖いが、

祐介にだってもし嫌われたら・・・・・。


「別に何もないのならいいけどさ・・・・・」


祐介は努めて明るい声で言ったが、

本気でそう思っていないことが

その声の響きに含まれていた。


亜希子は思った。

里美がそんなにも心配してくれているのだ。

その気持ちに応えるべきではないか?

そうしないのは、亜希子自身が里美を親友として

信じていないことにはならないか?

目の前の祐介に対してもそうだ。

彼の真摯なまなざしを信じて、

打ち明けるべきではないか?


それに、今、話さなければ、

もうその機会は永遠に来ないかもしれない―――――。


「じゃあ、遅くなるとまずいだろ?もう出ようか・・・・・?」


あきらめた様子で、祐介は

飲みかけのコーヒーを一気に煽ると、

伝票を手に立ち上がりかけた。


「待って・・・・・」


亜希子はかすかに聞き取れる声で言った。


祐介が少し驚いたように亜希子の様子をうかがった。


「・・・・・お願いがあるの。

 これから話すことは、里美たちには

 まだ言わないで」


「ああ・・・・・約束する」


祐介は座り直して言った。


亜希子は顔を上げると、祐介に向かって、

静かに語りはじめた―――――。


「呪会か・・・・・」


亜希子の話を聞き終わった祐介は

ため息交じりにつぶやいた。


「・・・・・軽蔑するでしょ?私のこと」


亜希子は悲しげに訊いた。


「軽蔑?なんで?」


「だって、そんなサイトに入会して

 人を呪ってるなんて・・・・・」


「何言ってんだ?お前は誰も

 呪ってなんかいねえじゃねえか」


亜希子は黙ってうつむいたままだ。


「それにお前はその菅野って女に

ひどい目に会わせられてたんだ。

たとえ憎んでたって、無理もない話だ」


「・・・・・でも、私が彼女の名を書いたから・・・・・

『呪い殺すリスト』に書き込んだから・・・・・」


「呪い殺されたって本気で言ってんのか?

そんな馬鹿なことあるかよ。事故に決まってんだろ」


祐介は少し怒ったように言った。

でもそれが亜希子の気持ちを少し楽にしてくれた。


「とにかく、その菅野って女が事故にあったことと

日向がそのサイトにその女の名前を

書き込んだこととは無関係で、

それが重なったのは、単なる偶然だとオレは思う」




「とにかくさ、米倉にも話した方がいい。

 きっとオレと同じことを言うよ」


「・・・・・うん。ありがとう、宮島君・・・・・」


亜希子にそう言われると、

祐介は聞こえないふりをしながらコーヒーをすすった。

そこではじめて亜希子はコーヒーカップを手に取った。

コーヒーはすっかり冷めている。

カップを口に運ぼうとしてその中に水滴がひとつ落ちた。


涙が亜希子の頬を流れ、顎を伝ってカップに落ちたのだ。

涙はとめどなくあふれてくる。


「・・・・・あれ、どうしたんだろ。

 涙が・・・・・とまらないよ・・・・・」


祐介に打ち明けたことで、

今までの緊張の糸が切れたのだろうか。

亜希子は頑なに閉じられていた、

自分の心の中の窓が開け放たれたように感じた。


その解放された感覚は、

呪会に入会した4年前からずっと続いていた、

いつまでも心を締め付けていた束縛を誰かに打ち明けたことで、

断ち切られたことによるもののように感じたからかもしれない。


それと祐介が味方になってくれて

安心したからか―――――。


「日向・・・・・」


祐介はあわてて、テーブルの上に備えてあった

紙ナプキンを数枚引っこ抜くと、亜希子に差し出した。


「・・・・・ありがとう」


亜希子はそれを受け取るとメガネをとって、

涙を拭った。その姿を、祐介は少し驚いた顔で

見つめている。


その様子に気づいた亜希子がメガネをかけ直し、

怪訝な様子で見つめ返す。


「・・・・・どうしたの?宮島君」


亜希子に問われ、祐介はあわてて視線をそらした。



「祐介、カノジョ泣かしちゃだめじゃないか」


祐介は驚いて声の主を見た。

そこにはいつのまにかトレーをかかえた、

エプロン姿のマスターが立っていた。


「お、おじ・・・マスター、

オレが泣かしたんじゃねえよ!

それにカノジョじゃ・・・・・」


マスターは祐介の抗議をさえぎって、

ふたりのカップをソーサーと一緒に

トレーに乗せ、さっさとカウンターへ持っていく。

そして新しくコーヒーをカップに注ぐと、

ふたりの席に戻って来た。


「これは私からのおごりだ。

 コーヒー冷めちまっただろ?」


マスターは亜希子に優しく言った。


「聞くとはなしに、聞いてしまったんだが・・・・・」


マスターは、一息つくように溜息を漏らし、

少し厳しさを含む声で、訊ねた。


「お嬢ちゃん、落ち着いたら今の話、

もう少し詳しく聞かせてくれないか?」


マスターの名は村田和久。驚いたことに、

宮島祐介の母親の実兄だった。

つまり祐介にとっては伯父にあたる。

そして元捜査一課の刑事で、すでに定年退職をして3年前から

この喫茶店のオーナーをやっているということだった。


村田は簡単な自己紹介を済ませると、

亜希子にいくつか質問をした。

呪会の管理者Dという人物についてや

呪会の会員同士は面識があるのかとか

『呪い殺すリスト』に登録された人は実際、

どれだけ死んでいるのか・・・・・などだ。

 質問の中には、亜希子にとってつらいものもあったが、

村田の丁寧な口調と、彼という人物の温かさが

伝わってきて、知りうる限りのことを答えられた。


「なるほど・・・呪会というのは

今までの闇サイトとは、少し違うようだな」


村田は不精ひげに覆われた顎を掻きながら言った。


闇サイトの中には、一見仕事を

斡旋するように見せていて

実際は犯罪者を募る場になっているものがある。

それには金銭などの報酬を

約束しているものがほとんどだ。


 だが、呪会は『呪い殺すリスト』に

その人物の名前と住所などの個人情報を

書き込む以外、具体的に殺人などの教唆や

依頼を行っていない。

当然、報酬などもうたわれていない。

ただ、会員皆で『呪い殺すリスト』に

書かれた人物を呪い殺すことを

求めている・・・。


亜希子から得た情報からは犯罪組織としての

疑いを持つことは困難といえた。

単なる子供じみたカルト集団としか思えない。


「マスター、なんで呪会のことなんか聞いてきたんだよ?」


そう言うと、祐介が入れたばかりの

熱いコーヒーを旨そうに一口含んだ。


「いや、サイバー犯罪を担当している後輩がいてな。

いろいろと情報を集めているらしいんだ。

この前もこの店に来て、その話をしたばかりなんだよ。・・・

で、その呪会もそういった闇サイトの

一つじゃないかと思ったわけだが、

どうやら違うらしい。お嬢ちゃんの言ってた

菅野っていう女の子の死亡事故も

祐介の言ったとおり、

単なる偶然の一致と考える方が自然だろうな・・・・・」


「ほら、言ったとおりだろ?

 元刑事が言ってんだ。間違いないぜ」


「・・・・・うん」


亜希子の顔にかすかだが、自然な笑みが浮かんだ。



アシンメトリーを出ると、

外はすっかり夕闇に包まれていた。

祐介はバス停まで亜希子を送ることにした。


「ねぇ、訊いてもいいかな?」


亜希子が隣でマウンテンバイクを

押している祐介に向かって言った。


「なんだ?」


祐介はぶっきらぼうに答えながら、亜希子を見下ろした。


「なんで伯父さんのことマスターって呼んでるの?」


「ああ、そのことか。店ではマスターって

 言わないと怒るんだ。あのオヤジ」


「なあんだ。そうだったんだ。じゃあ、

私も今度会った時はマスターって呼ばなくちゃ。

 里美たちも誘ってみよっと・・・」


「あのとおり閑古鳥が鳴いてて、

いつ潰れてもおかしくないからな。

売り上げに協力してやってくれ」


祐介の言い方があまりに真剣だったので

亜希子は思わず、吹き出してしまった。

祐介もつられて笑い出す。

それに亜希子はあることに気づいていた。

祐介にに対して敬語を使っていない自分に・・・。


今朝とは全く違った気分だった。

朝のニュースで菅野好恵の事故を知った時は

ショックで心が鉛のように

重い澱に包まれているようだった。

だが、祐介に相談して自分が抱いていた疑念も晴れた。

これでまた明日から元気よく学校へ行ける。


バス停について間もなく、バスがやって来た。

亜希子はバスに乗り込むと

、振り返って言った。


「今日は本当にありがとう。また明日」


「ああ、明日な」


 相変わらず、祐介の返事はぶっきらぼうだ。

扉が閉まり、バスは走りだす。

そのテールランプが小さな点になるまで

祐介は見送っていた。



帰宅時間にもかかわらず、

バスの車内に乗客の姿は多くはなかった。

学生は亜希子を含めて、数人ほどしかいない。

亜希子は後部座席のひとつに腰かけた。

すると、カバンの中の携帯電話が着信音を鳴らした。

亜希子はあわてて携帯を取り出してメールを読んだ。


(To 亜希子さま

 おめでとうございます。菅野好恵は削除されました。

 今度はあなたの番です。 呪会より)


亜希子の全身を戦慄が走った。携帯を持つ手が震えだす。


菅野好恵の事故と呪会とは

関係なかったのではないか?

あの事故と亜希子がサイトに、

彼女の名を書き込んだこととは

偶然なのではなかったのか?

やはり菅野好恵の死には呪会が

関わっているのか?そうだとしたら・・・


亜希子は崩れるように、

バスの車窓にもたれかかった―――。

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