第5話

「どうしたの?アッキー。浮かない顔して」

米倉里美の声で、亜希子は我に帰った。


昼休みの教室。

クラスには三分の一ほどの生徒が、

三つ四つのグループに分かれて

残っているだけだった。


亜希子の通う高校は有数の進学校だけあって、

そのほとんどの学生が休み時間にもかかわらず、

辞書や参考書を開き自主的に勉強している。

中には塾の宿題をしている者もいた。


亜希子は菅野好恵の件が気になって、

ずっとそのことが頭から離れられないでいた。

それと〈呪会〉のことも・・・。


そんな物思いに耽っている時、

里美の心配そうな声が耳に響いた。

亜希子は親しい友人からは〈アッキー〉と

呼ばれていた。

亜希子はそのあだ名を気に入っている。

その音の響きは

内向的な自分には似つかわしくないかもしれないが、

呼ばれるたびになんだか

元気になれそうな気がしたからだ。


亜希子は米倉里美、

加原真湖、来島祥子の三人といることが多かった。

彼女たちは机にかじりついているようなガリ勉ではなかった。

東大を目指している生徒達がひしめく中、

普通の女子高生のように高校生活を楽しんでいる。

そんなところが亜希子をなごませてくれた。

それは中学校時代に楽しめなかった友達との時間を、

取り返しているようだった。


「あ・・・うん。なんでもない」


「なんか変だよ。

 今日なんかめずらしく遅刻してくるし・・・」


「ごめん。ちょっと考え事してたから・・・」


亜希子はすこしこわばった顔で里美に返事した。

里美はそんな亜希子の様子に、

怪訝な表情を浮かべた。


「それならいいけど・・・。それでアッキー、

今話してたんだけどさ、クリスマスの夜に

〈シュツルムピストーレ〉のコンサートがあるのよ。

アッキーも行くでしょ?」


〈シュツルムピストーレ〉とは今人気の

ビジュアル系の4人組みのユニットで、

すこしダークなバンドカラーが若い女の子達に

ウケている超人気バンドだった。


 「う・・・うん。」


 微かに微笑みながら亜希子は返事をした。

正直言って亜希子はそのバンドのファンではなかったが、

他ならぬ里美に誘われたのだ。

行かないわけにはいかない。

里美、真湖、祥子の3人は入学当時からの親友だ。

明るい彼女たちといると、楽しくて時間をわすれてしまう。

それは中学時代に関わっていた、

菅野好恵達とは全く違う関係だった。

里美達といると本当の仲間だと実感できる。

特に姉御肌の里美は姉のように

亜希子を助け、気遣ってくれていた。


「日向ってあんなの好きなのか?」


唐突に、すこし嘲るような

ニュアンスを含んだ調子で声をかけてきたのは、

亜希子の斜め後ろの席にいる宮島祐介だった。

振り返った亜希子には顔を向けず、

だるそうに椅子に座り、

机の上に広げたパソコンの情報誌に視線を落としたままだ。


その姿はいつも学生服のボタンを3つほど開けたままで、

髪は校則で禁止されているパーマで茶髪。

それに耳にピアスを4つもつけている。

その外見と比例していつも挑戦的な言動と

挑発的な態度をとる、

どこから見ても巷に溢れる不良学生といった少年だった。

うわさによれば他校の生徒と喧嘩して

補導されかけたこともあるという。


霞ヶ関の高級官僚を多く輩出するこの進学校で、

彼は異質の存在だった。

だがその外見・態度とは裏腹に、

成績は学年で

10位以下に落ちたことはないという秀才でもあった。


 「あんなのって何よぉ」


 亜希子の代わりに言葉を返したのは里美だった。

口をとがらせて祐介をにらんでいる。


 「あんな薄っぺらい歌詞をリズムに乗せて

がなってるだけの、ヘタクソバンドのどこがいいんだ?

米倉はともかく日向までがファンだったなんて驚きだな」


 鼻に嘲笑するような小皺を寄せ、

口元には苦笑いを浮かべている。


 「アッキー、何か言い返してあげなさいよ。

  この馬鹿に!」


 里美が亜希子をけしかける。


亜希子はどぎまぎしながら、祐介に向かって言った。


 「あ、あの・・・人の趣味を・・・

あまり中傷しない方がいいと思うけど・・・」


 その時、一瞬だけ祐介が視線を上げ、亜希子を見た。

すぐにうつむきパソコン情報誌に視線を向ける。

だが、その目は情報誌のページを追ってはいなかった。


 「あーつまんね」


 祐介はそう言うと

パソコン情報誌を乱暴に机の中へ突っ込み、

勢い良く立ち上がった。

面白くなさそうに教室を出て行く。


 その背中を見ながら里美がいたずらっぽく舌を出した。

 誰に対しても不遜な態度をとる宮島祐介だが、

亜希子にだけはいつものなりを潜めてしまうのだ。

それは里美をはじめ、

亜希子と祐介に親しい者には公然の秘密であった。


 「怒らせちゃったかな・・・?」


 亜希子が不安そうにつぶやいた。


 「いいの、いいの。

  他ならぬアッキーに注意されたんだから、

  あいつも悪い気はしてないわよ」


 里美はさも可笑しそうに笑った。

真湖と祥子も同意するように笑い出す。

 宮島祐介とは高校入学以来、ずっと同じクラスだった。

里美と祐介が同じ中学校出身ということもあり、

そのつながりで彼と知り合った。


 最初はその身なりと態度にすこし怖れを持ったが、

里美とのやり取りを見ているうちに、

今ではとてもいい人なのではと思っている。

確かによく突っ掛かって来るのだが、

最後はいつも里美に言い負かされている。

それは彼独特のすこし不器用な、

コミュニケーションのとり方のような気がした。


「あいつも煮え切らない男よねぇ。

さっさとアッキーに告っちゃえばいいのに」


 里美が示したように、

祐介は亜希子に好意を寄せているようだった。

それには亜希子もうすうす気づいていた。

それは亜希子以外の者に対する祐介の態度が

明らかに違うからだ。

他の者はともかく、

亜希子には威圧的な態度で接したことが無い。

それに亜希子に話しかける時の言葉の響きに、

どことなく優しさが含まれていることも

それを証明していた。


 亜希子自身も祐介に

少なからず好意を抱いていたが、

まだ恋心とは呼べないものだった。

 里美の言葉にすこし頬を赤らめながら、

亜希子は主のいない祐介の席を見つめていた。

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