藍色の家族
万里
第一話 飛来
車窓から見える草木達は日の光を浴びて色鮮やかに輝いている。
流れる景色を眺めているとバスの車内アナウンスが次のバス停の名を告げる。
――やっと家に着く。
正親は安心感を抱きながら降車ボタンに手を伸ばす。数人の客を乗せただけのバスはエンジン音がよく聞こえる。平日の昼間はバスの利用客は少ない。仕事の無いお年寄りか午前で講義を終えた大学生しか居ない。
バスは民家で囲まれた道路に停車し、正親ともう一人の客を下ろすと走り出す。風がアスファルトの隙間から生えた雑草を揺らす。正親は何だか気持ち良かった。
暫く歩道を歩いていると周囲に緑の水田が広がり始める。水田の上を藍色に輝く奴等が例年通り飛び回っている。
緑の空間に灰色のアスファルトが横切る。自動車が一台通るのが精一杯の道を進む正親。その先に彼の自宅がある。
二階建てでベージュ色の一軒家だ。玄関ポーチの上にはバルコニーがある。玄関の茶色い扉を閉める時、バルコニーを支える黒い梁を見上げると泥のような物が付着していた。しかし、正親はさほど気にせず扉を閉める。
「燕の巣、壊しちゃったの?」
数日後。寝惚け眼でリビングにやって来た正親の耳に母の声が聞こえてくる。母は正親に背を向けてリビングの入り口の側に立っていた。
「だって毎年燕が巣を作らないようにしてるだろ?」
部屋の中央でゴルフの素振りをしている父が母には目もくれずに答える。
「今年は燕の巣を壊さない事にしたのよ。
「何だ、そうなのか」
両親のやり取りを聞きながら正親は母の背後を通り朝食の準備のためにキッチンに足を運ぶ。
燕の巣が壊される。毎年の事なので正親は何も感じない。動物に興味は無く、彼はペットを飼った経験が皆無だ。学校で飼育されていた兎などの動物にも興味を示した事は無い。
彼は冷蔵庫から牛乳を取り出すと目の前に玉子焼きと食パンが置かれた自分の席に座る。牛乳で朝食を流し込み、アルバイトに出掛けるための準備をする。
身支度を終えると玄関の扉を押し開けた。春風が吹き、春の息吹が正親の頬を撫でる。
「びっくりしたー」
扉の目の前に立っている妹の菜々花が胸に両腕を当てている。大学二年生の正親より十歳年下の菜々花は彼より頭一つ分以上小さい。肩まで伸びた黒い髪を耳の下で二つ結びにしている。
「こんな所で何してるんだ?」
玄関に何かあるのだろうかと思いながら首を傾げる。
「燕見てたの」
菜々花は玄関ポーチの梁を指差す。彼は指し示す先を目で追う。二羽の燕は破壊されてしまった我が家の再建を目指して忙しく働いている。
一度無くなってしまった物をもう一度作り直す。気が滅入る作業だろう。セーブせずにゲームの電源を切ってしまった時。今まで進めていた所までもう一度プレイする面倒臭さを思い出す。
彼は鞄から携帯電話を取り出す。画面を見ると八時二十六分になっていた。
「ヤバい、もうすぐバスが来る!」
正親は携帯電話を握り締めたまま玄関ポーチの石畳を強く蹴って走り出す。弾丸のように駆けて行く彼を菜々花が目で追う。
今度は燕の巣は壊されずに作られていった。正親が玄関ポーチを通る度に燕の巣は大きくなってくる。まるで毎日通る道沿いに新しい家が建てられている時の光景を見ているようだ。
ゴールデンウィークが過ぎて一週間ほどした後、菜々花が朝のリビングに飛び込んでくる。引き戸は開けっ放しだ。
「卵が生まれた!」
小躍りしている彼女の髪が新体操のリボンのように揺れている。正親はそんな彼女を見ながらバターが塗られたトーストを口に運ぶ。
「扉を閉めてきなさい」
母に叱られた菜々花は少しも落ち込む事無く、はしゃいでいる。父は菜々花を一瞥した後、新聞に視線を戻してコーヒーを一口飲む。
「お母さん、燕の卵が生まれてたね」
開けっ放しになっていた扉から姉の
二日後の朝、正親は階段を下りて一階のリビングに向かう。その途中に開け放たれた玄関の扉に気付く。薄暗い廊下に朝日が降り注ぎ、白く輝いている。
「卵、三つに増えた!」
パジャマ姿の凛に肩車された菜々花の明るい声が玄関ポーチに響く。
凛の肩から降りた菜々花は玄関で黄色のサンダルを脱いでリビングに走って行く。彼女が消えた後、凛はゆっくり玄関で白い運動靴を脱ぐ。
「もしかして毎日見てるのか?」
リビングに入ろうとする凛に正親は声を掛ける。
「そうだよ。菜々花、観察日記付けてるし」
凛はいつも通りの低い声を出しながら首を縦に振る。そして、凛は食卓の自分の席に座った菜々花に視線を送る。正親はリビングの木で出来たローテーブルに置かれている一冊のノートに気付いた。表紙には『燕の観察日記』と青い字で書かれていた。
第一話まで読んで頂き、ありがとうございました。
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