第62話 森の女王

「こんなのどうすればいいんだよ」


 自分達を包囲する様に出現したマンティコアの群れに、聖騎士達が顔を絶望に歪める。


「あらまぁ、沢山でてきましたわね」


 しかしそんな中にあって、ドライアドだけはいつもと変わらない涼やかな態度であった。


「アンタ! 何人事みたいな態度取ってるんだよ! このままだとアンタも死ぬんだぞ!」


 聖騎士がドライアドに怒りの言葉を投げかける。

 原因となったのは自分達の上司ではあるが、彼女が無計画に森の奥へと入っていったからこそこの様な絶望的な状況になってしまったのだからそれも無理はない。


「バカ者! 女性に責任を押し付けるとは何事か!」


 エディルが部下を叱るが、当の本人が女の色香に惑ってここまで入り込む事になったので説得力が全く無い。


「ドライアドさん、我々が血路を開きます。どうか貴方だけでも逃げてください」


 このままでは全滅は必至だと判断したエディルは、ドライアドだけでも逃そうとマンティコアの群れに切りかかる。

 しかしマンティコア達はエディルの攻撃には回避に徹し、彼が攻撃を外したスキを狙って他のマンティコア達がエディルへと毒針で包まれた尻尾を叩きつける。


「くっ!」


 間一髪で回避するエディル。

 しかしマンティコア達は執拗にエディルだけを狙い始めた。


「隊長を狙っている?」


 マンティコアがあからさまにエディルを狙い始めた事で、部下達の心に1つの疑念が湧く。


「もしかして隊長が群れのボスだと分かったから優先して狙っているのか?」


 それはエディルが死ねば指揮系統が乱れ、自分達は烏合の衆になると判断されたという事だ。 

 しかしそれは、逆に言えばエディルが死ぬまでは、自分達が狙われる事は無いという事でもあった。


「俺は一抜けるぞ!」


 これ以上色ボケした上司に付き合っていられないと聖騎士の一人が逃走を開始した。


「お、俺も!」


 たった一人の裏切りに、戦列が一瞬で総崩れになる。

 だが、それはあまりにも甘い見通しだった。

 敵の逃亡を察知したマンティコア達が、即座にエディルを無視して背中を向けた聖騎士達を攻撃し始めたのだ。

 そう、マンティコア達はエディル以外の聖騎士達を無視などしていなかった。

 彼等が戦意を喪失して背中を見せるのを待っていたのだ。

 戦場は戦いの場から狩りの場へと変貌して行く。

 満身創痍となって戦意を無くした聖騎士達が再び戦意を取り戻すのは容易ではない。


「ちくしょう! 何で俺達が魔物なんかに! 俺達は悪魔と戦う為に集められた聖騎士だぞ!」


 応える筈の無い魔物相手に叫ぶ聖騎士。

 教会の信徒の中でも選ばれた自分が何故こんな事になっているのか、そう思うと彼は叫ばずにはいられなかった。

 下賎な魔物相手に苦戦を強いられ、なす術もない絶望な状況である事が彼等の精神を著しく磨耗させたが故の悲しい絶叫であった。


「あらあら、皆さんだらしないですわねぇ」


 だというのに、この絶望的な状況の中にあって未だ変わらぬ声を上げる者が居た。


「そろそろ私の出番みたいですわね」


 ドライアドだ。

 彼女はその手に緑色の鞭を手にして目の前のマンティコアに向き直る。


「いけない! 逃げるんだドライアドさん!」


 どこまでもドライアドを気遣うエディル。

 既に彼の鎧はマンティコアの毒針によって貫かれ、その身は強力な毒に犯されつつあった。

 助けに行きたいのに、毒によって体が思うように動かない。

 マンティコア達が他の聖騎士達を襲いに掛かったのも、既にエディルが毒に犯されたのを確認したからなのかもしれない。

 

「ドライアドさん!」


 悲痛な叫びがドライアドを呼ぶ。


「はいはい、今追い払いますから、もうしばらく待っていてくださいましね」


 今がどれだけ危機的な状況なのか、たった一人が戦ったところでどうしようもないのに何故それが分からないのか。

 何故彼女は自分の言う事を聞いてくれないのか?

 エディルの胸に答えの無い疑問があふれ出してくる。


 マンティコアがドライアドに対して襲い掛かる。

 対するドライアドは手にしていた緑の鞭でマンティコアを攻撃する。

 しかしマンティコアはドライアドの攻撃を横に飛んで軽々と回避する。

 そして大地に着地するなり、ドライアドに反撃……する事無く転倒した。


 一体何が起こったのか、動けなくなった体でドライアドの戦いを見ていたエディルにもその理由は分からなかった。


「えーい」


 ドライアドの鞭が転倒したマンティコアの顔面打ち据える。

 マンティコアはギャンという悲鳴を上げ、もだえながら身体を丸める。


「獣の弱点は眉間か鼻、もしくは目です。直接狙っても回避されてしまいますが、あらかじめ避ける事を想定して相手の動きを封じてしまえば顔面の急所を狙う事は容易です。そして一度急所に当ててしまえば、相手はこちらを認識する器官の一部が使えなくなり著しく不利になるわけです」


 だがそれは言うは易しというやつだ。

 普通はそんな簡単に相手の動きを止める事などできない。

 ドライアドは再び鞭を振るい次のマンティコアを攻撃する。

 当然マンティコアは回避する。

 しかしまたしてもマンティコアが転倒して動きを止めた。


「一人で戦うのが困難な場合は、複数人で一体と戦い、残りの者達は守りに徹するのもありですわ。そうすれば一体だけの敵は多方面から攻撃されて確実に倒されますもの。この様に」


 ドライアドが鞭で攻撃する、すると今度のマンティコアは転倒する事無く回避に成功した。

 しかし次の瞬間大きな悲鳴を上げる。

 マンティコアの背後からも鞭の攻撃があったからだ。

 しかし鞭を放った者の姿は無い。

 エディルが鞭の繋がる先を見れば、その持ち手はドライアドへと繋がっていた。


「なっ!? どうやって!?」


 ドライアドの鞭はマンティコアに気付かれる事の無いように迂回して背後から回っていた。

 だが、どうすればそんな不可思議な軌道で鞭を操れるのか分からない。

エディルの脳裏は疑問符で埋め尽くされた。


「更に、この様に周囲から一斉攻撃をすれば、敵は回避する事すら不可能となりますの!」


 今度は四方から鞭がマンティコアを襲う。

 もはや普通に人間には不可能な攻撃だ。

 4本もの鞭をどうやって操っているのか、エディルはドライアドの姿をつぶさに見つめる。

 そして彼は奇妙な点に気付いた。

 ドライアドから伸びた鞭は、彼女の手には握られず、なぜか彼女のスカートの中へともぐりこんでいたのだ。

 そしてもう一点、ドライアドが持っている鞭もまた、その柄の部分から奥がスカートの中へと伸びている。


「アレは一体!?」


「つまり数とは使い方なのです。どれだけ数が多くても使い方を間違えればただの烏合の衆。ですが、少数でも上手く扱えば数に勝る敵に勝つ事もできます」


 ドライアドのスカートが膨れ上がる。


「私のように」


 そして弾けた。

 ドライアドのスカートからあふれ出した幾多の鞭が、マンティコア達に襲いかかる。

 ある鞭はマンティコアの顔面を狙い、ある鞭はマンティコアの尻尾の付け根に叩きつけられる。

 四方八方から縦横無尽に襲い掛かる鞭の攻撃に翻弄されるマンティコア。

 溜まらずマンティコア達はドライアドに襲いかかるが、何とドライアドは宙に飛び上がった。

 彼女が飛んだわけではない。

 ドライアドの鞭がまるで棒のように延びて彼女の身体を空へと押し上げたのだ。


「魔法やブレスの使えない魔物に対しては高所に陣取ってから戦うのもありですわね」


 そうして、攻撃の届かない箇所から一方的にマンティコアへの攻撃が開始された。


「そうそう、薬草を調合した薬を相手に投げるというのもありですわ。魔物には特定の薬草を煎じた物を嫌う種がいますから」


 そういってスカートの中から取り出した袋を上空から散布するドライアド。


「人間には無害ですが、マンティコアには覿面ですわよ」


 すると、粉を吸ったマンティコア達が地の底から響くような声を上げながら地面に転がる。

 しかしそれは苦しむというよりは脱力、ゴロゴロと喉を鳴らしながらマンティコア達は舌をだして足をプラプラと動かしていた。


「こ、これは一体? ドライアドさん、貴方は一体何を使ったんですか?」


 副長の質問に、ドライアドは1つの植物を見せた。


「マタタビですわ」


「……はい?」


 ドライアドが見せたのは、森で自生していたマタタビであった。


「マンティコアは獅子の身体を持つ魔物。つまりはネコ科ですの。ネコですからマタタビが効くのですわ」


「……は、はぁ……」


 まさか自分達が全滅寸前に至った相手がマタタビ程度て無力化できると知って脱力する副長。


「さぁさぁ、このままここにいてはいつマタタビの効果が切れるとも分かりません。毒を受けた方達を癒したらすぐさま帰りましょう」


「あ、はい」


 毒を受けた者達がいる事を思いだした副長は、即座に魔力が残っている者に解毒魔法を使わせて撤退を指示した。

 マンティコアの毒を受けて倒れていたエディルでは碌な指揮ができない為、彼が臨時指揮官となって部隊の指揮権が一時的に移譲される。


「では負傷者を連れて撤収! 可能な限り戦わずに撤退だ!」 


「「「了解!!」」」


 負傷者に方を貸しながら騎士達が応答する。

 命の危険から救われた彼等は、残った気力を総動員して撤退をするのだった。


 ◇


 命からがら大魔の森から撤退した聖騎士達は、重い体を引きずってようやくデクスシの町へと帰還した。

 近くを歩いていた住民に頼んで回復魔法使いを呼んでもらい、重傷者の治療を行う。

 そうして、ようやく全員が動ける様になったところで、彼等はライズの事務所へと向かった。


「ライズ様、ただいま戻りましたわ」


 ドライアドが何事も無かったかのような気軽な口ぶりでライズに帰還の挨拶を述べる。


「おかえり。皆さんもご無事で何よりです。ドライアドを連れて行ってよかったでしょう? 森は彼女の独壇場ですからね」


 疲労困憊ながらも、脱落者が居ない事をライズは祝福する。


「あ、ああ。お陰で助かった」


 ぎこちない様子で副長が応対する。


「と、ところでライズ殿」


「何か?」


 副長はここに戻るまであえて口にしなかった疑問を言葉にした。


「ドライアドさんはもしかして魔物なのか?」


 先ほどまでのドライアドの不可思議な戦い方を見た事で、副長は彼女が人間では無いのではないかと思い至ったからだ。


「な、何を馬鹿な事を……ドライアドさんが人間で無いわけが無いだろうが」


 毒の除去には成功したものの、いちじるしく体力を失ったエディルが力ない様子で副長を叱りつける。


「いいえ、副長さんの言うとおりですよ」


 エディルに対し、ライズは副長の言葉を肯定した。


「ドライアドは魔物です。植物型の魔物、ドライアドです」


 ライズの紹介を受け、ドライアドがスカートをつまんでお辞儀をする。

 すると、スカートの影から現れた植物の足が聖騎士達の眼に入った。


「ご紹介に預かりましたドライアドですの。私、植物属性の魔物で、特技は様々な植物を操る事、そしてこの様に幾多の蔦を鞭として扱う事ですわ」


 そういってドライアドはスカートから十数本の蔦の鞭を伸ばす。

 先ほどの戦いで鞭の様に扱っていたのものの正体は彼女の蔦であった。


「そ、そんな……ドライアドさんが、まも……の?」


 その事実を、かけらも想定もしていなかったエディルが目を丸くしてつぶやく。


「はい。私は魔物ですわ」


「きゅう」


 現実を受け止めきれず、意識を手放すエディル。


「あー……報酬はお支払いしますので、我々はコレにて失礼させて頂きますね。上官がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


「いえいえ、報酬を頂けるのでしたこちらは一向に構いませんよ」


「寛大な対応、感謝の言葉もありません。では我々はコレで。上司が目を覚ます前にこの町から出て行きます」


「やっと王都に帰れるー!」


「やったー!」


 部下達から歓喜の声が上がる。

 どうやらエディルの叱責が怖くて帰りたいと居えなかったらしい。


「それではお達者でー」


 騎士達が馬に乗って去ってゆく。

 疲れた身体を碌に休める事無く、これ以上上司がバカをしでかさないようにと、彼等は足早にデクスシの町を去っていった。


 一人の男の恋心を残して。

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