第八話・魔界に参上! わんこ天使君!!

「う~ん、う~ん……」


「姫しゃま、姫しゃま~。魔王様がお呼びでしゅよ~!!」


「ぐふぅっ!! ……と、父様が?」


 豪勢な天蓋付きの寝台。

 そのあちらこちらに散らばっている……、大量の『本』。

 夜更かしをしてそれらを読んでいたシャルロットは、まだ眠くて毛布の中に包まっていた。

 そんなシャルロットの上にダイブしてきた小さな女の子。

 頭の両サイドにぐるりとした羊を思わせる角が生えた女の子をごろんと転がし、シャルロットは起き上がる。


「お客しゃまが来てるんでしゅよ~! だから、姫しゃまを呼んでくるように、って!!」


「客……? ふむ……、わかった。すぐ支度をしよう」


「お手伝いいたしましゅ~!!」


 自分の専属メイド……、にしては、あまりに幼すぎる容姿をした女の子と共に、シャルロットは顔を洗いに向かった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


(げっ……)


 声に出ずとも、頭の中は常に素直な反応を展開している今日この頃。

 魔界の王女として美しく着飾ったシャルロットは、魔王との謁見の間である場所に足を運び、一歩踏み込んだ時点で引き返したくなった。

 魔王に対して頭を垂れ、跪いている逞しい背中……。

 神々しく穢れのない純白の両翼と、……わんこオプション。

 

(何故君が魔界(ここ)にいるんだぁああああああああっ!!)


「シャルロット、よく来てくれたね。さぁ、こちらへ」


「父様……、その」


 物凄く見知った存在の登場に慄き足を引きかけたシャルロットを笑顔で引き戻したのは、現魔王……、彼女の父親だ。魔界の城だからといって薄暗くおどろおどろしいわけでもなく、むしろ明るい光を取り込んでいる玉座の間の奥で、父親はひょいひょいとシャルロットを手招いている。

 人間界などで勝手に噂されている恐ろしい魔王像とは似ても似つかぬ、人の好さそうな笑顔。

 だが、……伊達に魔王ではないのだ。シャルロットが逃げようとしている事を見抜いており、「さっさとおいで?」と、水面下で圧を掛けにかかってきている。ぐっ、抗えない……!!

 

「ふふ、今日は素敵なお客様が来ているんだよ。なんと! 天界からの使者殿だ。君とは地上で面識があるそうだね? 会えて嬉しいだろう?」


「御無沙汰しております、シャルロット王女殿下……」


「お、お久しぶり、です……。シグルド、殿」


 王の許しを得て顔を上げ、シャルロットの戸惑う深緑の瞳を見据えたシグルド。

 一ヶ月ぶりの……。あの日以降、再度別れを告げたシャルロットの頭の中には、常に目の前の男が最後に見せた、悲しそうな顔が浮かんではまた戻ってくる日々を繰り返していた。

 自分は合理的な判断をした。何も間違ってはいない。……だけど。

 儀礼的に手を差し出したシャルロットの手袋越しの甲にシグルドの唇が触れ、何故か、そこに熱が籠った気がした。


「シャルロット、シグルド殿は今度魔界で行われる、あのイベントに参加してくれる事になったんだ」


「え?」


「全大天使殿の推薦でね。彼は天界の代表として、交流に来てくれたのだよ」


 大天使達の推薦、……だと!?

 これが他の天使であれば、あ、そう、で終わっただけの話だ。適当に相手をして終われる。

 だが、ここにいるのはシグルドだ。

 大天使の推薦状を持って来た、任務でここに来た。……いや、絶対に何かある。

 父親にシグルドの案内を頼まれたシャルロットは、玉座の間を後にし……、深紅の絨毯の上を歩き、誰も見ていない事を確認し、叫ぶ。


「何が狙いだ!! シグルド君!!」


 自分よりも背の高い男に指先を突き付けた姿勢で過ごす事、……三秒後。

 

「うきゃぁあっ!!」


 背を屈めたシグルドに無言で抱き締められた! 

 

「会いたかった……」


「なっ、ななななっ!! 何をやってるんだっ!! シグルド君!!」


 男の力を宿した逞しい両腕。首筋にシグルドの熱い吐息が触れて、どうしようもなく恥ずかしい!!

 その上、また恒例のクンクン行動が開始され、挙句の果てには両頬にキスまでお見舞いされた!!


「は、破廉恥だ!!」


「キスは、普通に挨拶だ」


「違う!! 君の場合は絶対何かが違う!!」


 どちらかといえば、――この男は自分にマーキング行為をやっている!!

 と、自信を持って言える!!

 離れよう、引き剥がそう、全力で距離を……、いや、やっぱり今すぐに逃げ出したい!!

 だが、シグルドの腕力は凄かった。戦闘に慣れているはずのシャルロットの動きを封じ込め、すりすりと頭や頬を……、おい!!


「わ、私に……、触れるんじゃっ」


「シャルロット、何をしているのですか?」


 これ以上の狼藉許すまじと怒るシャルロットの耳に響いた、理知的な響きのする綺麗な女性の声。

 動きを止めたシグルドと共に振り向くと、少し離れた廊下の曲がり角の辺りに、何人かの女官達に傅かれている美しい人の姿があった。

 銀フレームの眼鏡を掛けた知的美人が、真顔のままシャルロットとシグルドを観察するように見ている。


「か、母様っ!!」


「母様……?」


 シャルロットの声にシグルドは彼女の正体を察し、――魔界の王妃に対する礼を表した。

 王妃は足音ひとつ立てずに二人の前へと近付き、冷ややかに声を落とす。


「シャルロット、場を弁えずに殿方と戯れる事を、母は良く思いません」


「私も同意見だ、母様」


「ならば控えなさい」


 それは、今自分の隣で膝を着いている男に言ってほしい。

 だが、シグルドにだけ非を押し付けるような気にもなれず、とりあえず、自分も謝っておいた。

 

「――なるほど。陛下の仰っていた天界の者ですね。両界の絆が深まるのは良き事。シャルロット、心を尽くしておもてなしをなさい」


「はい」


「私はもう行きますが……、あぁ、そうだわ。もしよろしければ、昼からの茶会に顔をお出しなさい。そちらの、シグルド殿も御一緒に」


「お招き、光栄に思います。必ず、伺わせて頂きます」


「楽しみにしておりますよ」


 王妃は天界の出身。きっと仕えていた大天使の事や、天界の近況を聞きたいのだろう。

 ……だが、悪気のない母親のせいで、シグルドと過ごす時間が増えてしまった。

 

「母様の、馬鹿……」


「シャルロット」


「こ、今度は駄目だぞ!! 私に抱き着いているところを他の者達に見られたら、変な噂が立つ!」


「……じゃあ、部屋に着いてから続きを」


「ない!! 大体、続きって何だ!!」


「……シャルロットの匂いと温もりを堪能して、……それから、それ、から」


 自分の顎に緩く丸めた拳を添えたシグルドが、……無言になった。

 深刻に考え込むような素振りをし、ちらりと視線をシャルロットに落とす。


「友達関係の集大成は親友だと思うが、……」


「な、何だっ、その目はっ」


「……足りない」


「はっ!?」


「…………わからない」


「だから何がっ!? 私を置いてきぼりにするな!!」


 いや、突っ込んで聞く方が危ない気がする。

 シグルドの接し方、自分を見る瞳に宿る熱……。

 本人に自覚があるのかは甚だ怪しいところだが、……やはり、不味い。

 シャルロットはササッとシグルドから距離を取り、先を歩き出した。早足で。

 

「ほ、ほら、行くぞ!! 部屋に案内する!!」


「シャルロット……、もう少しゆっくり」


「駄目だぞ!! シグルド君!! 時間は有効活用しなければ!!」


「……わかった」


 ブンブンと手を振りながらシグルドから逃げるように歩むシャルロットだったが、案の定、すぐに追い付かれ、互いに競歩となり。


「うわぁあっ!!」


 シグルドがひょいっとシャルロットを抱き上げ、がっしりとしたその胸に彼女の顔を押し付けた。

 

「な、ななななっ、何をするんだ、君はぁあああっ!!」


「俺が運んだ方が早い。時間の有効活用、間違っていないだろう?」


「うぐっ」


「道を教えてくれ」


「うぅ~、あぁぁぁっ、……あ、角を、右に」


 自分の言葉で罠に落ちるとは、……あぁ、無念。

 シャルロットは上機嫌になったシグルドに抱かれたまま、誰にも見られませんようにと願ったのだが。


「と、殿方が姫様をっ」


「とても親密なご様子だった。シャルロット様に春がきた~」


「めでたいわっ、めでたいわねぇ!! 今夜は御馳走だわっ」


「良い男ねぇ~。ふふ、シャルロット様って、ああいう殿方がご趣味だったのね」


 人生は無常だ。後に囁かれる噂の数々がシャルロットの耳に届くまで、後、少し――。

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