Ⅴ 抗え!心を読む魔法!

 エメラルド――!?


 思わず駆け寄りそうになるのをグッと堪え、圭介はその場に留る。

 代わりに目線で無事なのか? と問いかけたのだが、うつむいたままでいるエメラルドの顔は垂らされた前髪で隠れていてその表情を窺い知ることは出来ない。

 ただ、手荒な真似はしないと言っていたジェイルの言葉を信じるのであれば、こうしてここにいること自体には一応の安堵を覚えることができた。


「その子は確か……昨夜の」

「はい。我々がそちらの方と接触した際、現場の森にいた娘です」


 そう答えたジェイルは圭介と目を合わせた後、軽く会釈をする。

 しかし、そんなジェイルの言葉にオリガはますます腑に落ちないといった面持ちだ。


「……その子が何か?」


 昨夜の出来事について――警備隊からおおよその報告は受けているであろうオリガも、恐らくはジェイルたちと同様、エメラルドを魔女だと疑っているクチに違いない。

 となればジェイルも言っていたように、後はオリガ自身が先にも見せた『読心』の魔法を使ってその是非を判断するだけだ。

 問題は、なぜ今それをここで持ち出すのか、だ。わざわざ本人を連れてきてまで来客のいる場を中座させる必要があるとは思えない。

 オリガも突然の臣下の訪問に少なからず不快感を覚えたようで、続きをうながした後も変わらず眉をひそめたままだった。

 と、そこでジェイルの口から驚きの事実がもたらされる。


「はっ、実は取調べにおきまして身体を改めましたところ……この娘、なんと魔法石を身につけておりました。それも驚くことに、そちらの方がお持ちになられていた魔法石――緑の魔法石とまったく同じ物なのです」

「なんですって!?」


 一転。

 信じられないといった声を上げるオリガ。

 だが、声を出さなかったというだけで、目を大きく見開き驚きの表情を浮かべるのは圭介も同じだった。


「こちらが娘の所持していた魔法石です」


 そう言って、ジェイルが差し出したのは言葉通り、緑の宝石であしらわれたネックレスだった。

 オリガも慌てて近寄りそれを手に取る。


「た、確かに。周りの意匠は若干異なりますが、石そのものはオズ殿がお持ちになられているこの『ほうせき』と全く同じ色……。これは……一体……?」


 二つのネックレスを見比べながら困惑する女王の疑問に、エメラルドを取り調べたジェイルたちも返答に窮した様子だった。

 無論、それは圭介にも同じことが言える。手持ちの魔法石が家の下敷きになったと騒いでいたエメラルドが、まだ他にも石を所持してるなんて露ほども思っていなかったからだ。この期に及んでエメラルドが嘘をついていたとも思えない。だから圭介が気が付かなかっただけで、ずっと衣服の下に隠れていたのだろう。水浴び中でも唯一身につけていたことから察するに、多分、エメラルドにとっては大事な魔法石なのだ。

 この状況においては致命的と言わざるを得ないが。


「……この石はどうしたのです」

「…………」

「この石は一体どうしたのかと聞いているのです。お答えなさい」


 底冷えしそうな空気を纏ったオリガの声が響き渡る。

 そんなオリガの詰問に対して口を閉ざしたままでいるエメラルドも、正直に答えれば自分がどうなるかわかっているのだろう。今は圭介の位置からでもわかるくらいに身体が震えていた。


 エメラルドの魔法石――。


 各々の反応を見る限り、それがこの場にもたらした衝撃と意味は計り知れない。

 それは単純に、所持していた者が魔女である疑いを強めるという以外にももう一つある。すなわちオリガを始め、森で圭介の家から発見されたネックレスを見たジェイルが口にしていたように、緑の石そのものが彼女たちにとってまったくの未知なる存在であるということだ。

 産地国によって魔力を異にすると言われる魔法石には、オリガの持つ紫の指輪の他にも様々な色をしたモノがあるらしい。しかし二人の言葉を鵜呑みにすれば、この世界に「緑の魔法石」はこれまで存在しなかったということになる。

 つまりは誰も知りえぬ特性を秘めた新たな魔法石。

 それをエメラルドが何故――?

 オリガたちの疑問や驚きも当然だろう。その事実だけを考慮すれば、圭介にしてみても確かに不思議に思える出来事だ。

 ただ、異世界から来た圭介にとっては、どんな魔法石であろうと全てが等しく初見だ。そこに多少の驚きが交じることがあっても、戸惑うことなど最早ない。それよりも今はエメラルドがこの場に連れて来られていることのほうがはるかに重要なのだ。

 助命を願い出るなら今しかない。

 ここを逃せばきっともう、後がないように思えた。

 丁度そこで、質問を繰り返していたオリガが相変わらず口を閉ざしたままのエメラルドに代わって今度はジェイルに訊ねる。


「取調べでは何か喋りましたか?」

「いえ、それが全く口を割りません。それどころか名前、住んでいる場所、あの森にいた理由、その他一切について黙秘を続けている状態です」

「……なるほど」


 微かに溜息をつき、再度エメラルドのほうに向き直るオリガ。


「名前くらい答えなさい。黙っていても私にはすぐわかるのですよ?」


 だが、その言葉にますます怯えた様子のエメラルドの口は、何かを言いたくても言えないといった感じに震えていた。

 その光景に、圭介は森で誇らしげに名乗っていたエメラルドの姿を重さね、今やそれとは打って変わったあまりの痛々しさに口端をギュッと結ぶのだった。


 けど、どうすればいい。


  ――昨晩、必死に考え抜いた挙句、結局辿りついたのはオリガの情に訴える作戦だ。が、この状況下でそれが望み薄であることは明白だった。エメラルドは単に魔女という負い目だけでなく、その身に背負う爆弾が大き過ぎるのだ。

 『エメラルド』――。

 つまり、その名だけで十分だろう。祖母がかつての大魔女といえば聞こえはいいが、オリガたちにとっては世を乱した大罪人を容易に連想させるに違いない。そしてその名前を受け継ぐエメラルドは直ちに素性が露見する羽目になる。

 そうなれば、完全に終わりだ。

 恐らくエメラルドも自分の名の持つ意味、そしてオリガの持つ魔法石の力を把握している。だからこそ取り調べで偽名を名乗ることすら出来なかったのだ。

 おまけに止めと言わんばかりに降って湧いて出た新たなる魔法石。

 魔女の練成こそが世に災いを解き放つ元凶であると断じたオリガがこれを見逃すわけがなく、もはや、圭介が願いを訴えるのみでは何一つ動かすことの出来ない最悪の状況といえた。


 だったら、どうすればお前を助けることが――。


 すでに処刑台へと足を踏み出したエメラルドの背中に圭介が問いかける。

 だが、両脇に控える立会人に背を押されたエメラルドから答えが返ってくることはなかった。

圭介の目の前で一歩一歩、先へ続く階段を登って行くのだ。

 

 エメラルド――!


 まるで、二人を隔てる鉄格子がそれさえも遮るように、声が届かない。

 代わりに圭介の背後から苛立ちの交じった怒声が飛んできた。


「女王陛下の御前だ、質問にお答えしろ! 名前は!」


 立ち止まったエメラルドがゆっくりと後ろを振り返る。

 その瞳には涙が――。

 すぐにでも側に駆け寄りたい衝動に駆られ、圭介は何度も扉を叩いた。


「あ……う……」


 エメラルドは震えながらも何かを言いかけているのだが、それが声になることはない。もしかすると正直に名を答えようとしているのかもしれない。が、もはや呼吸すらままらない様子で口を開け閉めするだけの魔女の運命は決まりつつあった。

 何度もエメラルドの名前を叫ぶ。しかし圭介の呼び声もむなしく、次に聞こえてきたのはオリガの冷たい声だ。


「……仕方ありませんね。何も喋らないのであれば、それはそれで結構」


 間違いなく、次にこの場を覆うのは紫色の光だろう。

 そして、恐らくその輝きの中、エメラルドの姿はどこかへ消えてしまう。

 時間がない。

 だが、どうしてもこの扉の先に進むことが出来ない。鍵穴はあるのに、肝心の鍵が使えないのだ。

 全てが露見した後では、人の情に頼るというだけの、あまりに頼りない鍵は本当に何も意味を成さなくなる。つまりオリガが魔法を使うと同時に、わずかに灯るエメラルド助命の希望は一瞬にして失われるのだ。

 扉に額を擦り付け、焦れる思いに歯を軋ませる。

 エメラルドから見ても、つっ立ったままでいる圭介の姿はさぞ無力に映っているに違いない。

 そんな風に考えると悔しさが込み上げてくる。

 ただ、どうすればいいのかがわからない。


「わ……私、は……」

 

 頬に雫を伝うエメラルドの顔が絶望のそれへと変わっていく。

 緑の瞳の奥で、まさにオリガが指輪をかざそうとする姿が映しだされていた。

 その時、だった。


『なんという僥倖』


 圭介の耳に、四方から響くような声が聞こえてきた。


 ……え?

 

『これでオズ殿に頭を下げる必要はなくなりました。これで、緑の魔法石が私の手に――』


 緑の石が。緑の石が。緑の魔法石が。

 オリガの声色が、そう繰り返す。

 だが。

 いや、違う。

 オリガの声なんかじゃない!

 確かに聞こえたのだ。弱々しくも、圭介の名を呼ぶ声が!

 ハッと頭を上げ、格子の向こうにいる少女の顔を捉える。

 そして――


「オ、ズ……た……す、けて……」


 瞬間、それまでの思考がすべて弾け飛んだ。

 同時に、開いた圭介の目に映るのは――

 やはり頬を濡らした魔女、エメラルドの姿だった。


「『トト』」


 思わずそう口にしていた。


「……?」


 だから、驚くのも無理はない。なにせ突然発せられた一言だ。

 この部屋にいる誰もが一様に目を丸くして、声の主である圭介の顔を伺う。

 しかしそんな周囲の視線を意に介すことなく、圭介の表情には堂々たる雰囲気が漂っていた。

 そう、たった今気が付いたのだ。

 足りなければ、足せばいい。きっかけは、オリガの声が創り出してくれた、まさにこの瞬間。


 いつの間にか手には新たな鍵が握られている。

 圭介は、ゆっくりとそれを鍵穴に差し込んだのだった。

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