第141話

 その夜、昼間あれだけ賑わいを見せていた場所は、テントが全て片付けられており、再び何もない更地になっていた。


 レスティナは、明日の戦いに支障が出る様な行為は控えるようにと、全軍に指示を出していたが、それは罰則もない事から、個々の判断に任せるもので、実際に早めに身体を休めようとする者もいれば、酒盛りに興じている者までいる状態である。


 レスティナとクロエのテントでは、クロエが歩人から貰った髪飾りを付け浮かれていたが、一方のレスティナは髪飾りを大事そうに抱えながらも、今の小さい自分では髪飾りを自らの髪に飾る事も出来ない為、クロエを羨望の眼差しで見ていた。


「クロエ、まさか戦場にまで付けていく気ではなかろうな」


「まさか、その様な事はしませんよ」


「しかし、私の場合は持っていく事も出来ないから、どうしたら良いものか」


 レスティナは髪飾りを抱えたまま考え込む。


「それであれば、先に城に送っておくのは、いかがでしょう?」


 クロエの言葉に、レスティナの髪飾りを持つ腕に力が入るが、やがてため息と共に脱力した。

 

「下手に傷ついたり壊れたりするよりは、それが最善だな」


「それでは、今の内に手配しておきます」


 レスティナはクロエに髪飾りを渡すが、クロエも髪飾りを外し、レスティナの髪飾りと共に小箱に入れる。


「わたくしのも、一緒に送って構いませんか?」


「好きにしろ」


 そう言いながらレスティナは笑みを浮かべると、クロエは頭を下げテントを後にするが、外で何者かとの話し声が聞こえたかと思えば、すぐにテントに戻って来る。


「どうした、忘れ物か?」


「いえ」


 クロエは少し迷っている様な表情を見せており、レスティナが気になって立ち上がると、クロエは観念したように口を開いた。


「トーラス殿下がお見えです」


「そうか」


 レスティナは動揺する事もなく落ち着いており、そのことがむしろクロエを不安にさせる。


 クロエに連れられレスティナがテントの外に出ると、そこにはトーラスがランタン片手に落ち着かない様子で待っていたが、レスティナを見るなりその表情は明るくなった。


「レスティナ姫、夜分に失礼します」


「殿下、このような時間にどうしたのですか?」

 

「少しの時間で構いませんから、歩きませんか」


 レスティナはクロエに向かって頷くと、クロエはトーラスにレスティナを預ける。


「それでは、わたくしは荷物の手配を済ませてきますので」


 クロエが2人に一礼をしてその場を去ると、トーラスもレスティナを抱え歩き出した。


「明日は大変な戦いになりそうですね」


「我々だけではなく、大陸の行く末を決める戦いになると思っております」


「私もそう思うがあまり、今宵の内に一目でも姫にお会いしておきたいと思いまして」


「それは光栄です」


「生憎と今宵は曇っているので星の一つも見えませんが、それでも貴女と歩けるなら、おのずと心は晴れてきます」


 レスティナはトーラスから向けられる好意に、相変わらずこそばゆく思い苦笑するが、悪い気がしないのも確かであった。


 しばらく歩くとトーラスは立ち止まり、自らのハンカチを木の切り株に敷くと、その場にレスティナを座らせる。


「少し話を良いですか?」


 ランタンの光に照らされたトーラスの顔は、なぜか冴えないもので、彼の陽気な表情しか見た事がないレスティナは思わず心配をする。


「それは、構いませんが」


「実は昼に、レスティナ姫を誘おうと思っておりましたが」


 それを聞いたレスティナは、歩人の事を優先した事でトーラスに悪い事をしたと思い、気まずそうな表情を見せる。


「いや、別に責めている訳ではありません。しかし」


「しかし?」


「1つ確かめたい事がありまして」


「なんでしょうか?」


「歩人君の事です」


 トーラスの口から歩人の名が出た途端、レスティナは自身の鼓動が速くなっていく事に気付く。


「歩人が、どうかしましたか?」


「彼とは友人という事でよろしいのですか?」


「それは、どういう意味で」


「今日、貴女と歩人君が一緒にいるのを見かけましたが、正直に言いますと、彼といる時の貴女は私が見た事の無い表情をしていたので、私は嫉妬しました」


 そう言いながらも、トーラスは笑顔を浮かべていた。


「歩人は、友人ですよ」


 レスティナも笑顔を浮かべつつ、静かにそう告げる。


「そもそも、歩人とは住む世界が違います。この戦いが終われば歩人は向こうの世界に帰るのですから」


 その表情は口調は淡々としており、トーラスから見れば彼女が感情を押し殺しているようにも聞こえていた。


「そう、向こうの世界で、戦いとは無縁の世界で、優しい母親の杏奈と共に過ごし、こちらの世界の事など、すぐに忘れてしまうでしょう」


「もう、分かりました」


「え?」


 トーラスの反応にレスティナは驚くも、彼は寂しげな笑みを浮かべつつも、その目はレスティナをしっかり見据えていた。


「気付いていないのですね」


 そう言うと、トーラスはそっとレスティナの頬に伝う涙を指で拭った。


「こ、これは」


「どうやら、私が貴女の心に入り込む余地はなさそうですね」


「で、殿下!?」


「忘れてください」


 トーラスは優しい口調そでう言いながら、レスティナに笑顔を向けた。


「婚約の話も、私が今までかけた言葉も」


 トーラスの優しい微笑みは、レスティナの心に突き刺すよな痛みを与えるが、同時胸のにつかえがとれるような相反あいはんする気持ちを覚える。


「あなたは、こんな私を好きになってくれて、思えばあなたの口からは国同士の事は、一切出ませんでしたね」


 レスティナはまっすぐにトーラスを見つめると、深々と頭を下げた。


「純粋に私の事を見て頂き、心から感謝します」


 そして頭を上げると、再びトーラスに真剣な表情を見せる。


「もし、私が」


 しかし、その言葉をトーラスがレスティナの唇を指で触れて制止する。


「仮定の話はしなくても大丈夫ですよ。私は今でもあなたが好きなのですから」


 その言葉にレスティナの眼から一筋の涙が流れると、トーラスは再びそれを拭った。


「私の為に流してくれる涙は、これが最後にして下さい」


「そうします」


「言っておきますが、私も完全に貴女の事を諦めた訳ではありませんから、もしもの時は声をかけてください。っと、仮定の話はしないでと言っておきながら、これでは締まりませんね」


 トーラスはそう言って笑顔を見せると、レスティナもつられて笑顔を見せる。


「では、私は行きます。途中でクロエ嬢に声を掛けますので」


「殿下」


 そう呼ばれ、トーラスは改めてレスティナを見ると、彼女はスカートのすそを軽く持ち上げお辞儀をして見せた。


「ありがとうございました。トーラス殿下」


「どうか、お幸せに」


「殿下も」

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