第百七十二話:彼らは人間
「文字通り、ここは第二の狛の村。人里で生きられなくなった狛生まれの子達を守る為に、私が作った村なのよ」
集落の中央にある少しだけ大きい小屋の中、魔法使いエイミーは言った。
通称『殉狂者エイミー』
かつて聖女の死をきっかけに自殺を計った彼女は生徒の早期発見もあって生き延びた、自称敬虔なる聖女の信者。
しかし行き過ぎたそれは人々から見れば彼女の行動は最早信仰ですらなく、ただ狂った様に聖女の為と活動することからこう呼ばれることになった、世界で最も戦いたくないと呼ばれる女性だ。
そんな魔法使いが、おそらく食人族と呼ばれているであろう集落の代表者だと言う。
もしもこれを見た人が彼女のことを深く知らなければ、きっと気が狂った魔法使いがまた意味不明なことをする為に世界中から拉致監禁して洗脳でもしているのだと、そんなことを考えるだろう。
しかし本日訪れた三人のうちの一人、サラは彼女のことをよく知っていた。
何度もエイミーから魔法を習ったこともあれば、聖女について深く語られたこともある。
何より、いつも呆れた様な顔をしながらも父が信頼を寄せている人物だということは明らかだった。
実はエイミーという魔法使いは世間で言われている様な意味不明の人物ではなく、彼女なりに聖女を解釈しているだけだということを、サラは知っていた。
つまり、大会が終わって早々こんな場所に居る理由は、ここが彼女の現在の本拠地だからだ。
ここに彼女にとってはやらなければならない、聖女に関連した何かがあるからだ。
そこ答えは、長年の付き合いがあるサラにとっては簡単なことだった。
この集落は魔物の発生地帯のど真ん中にある。
魔物の襲撃以前に、集落内部に魔物が発生することすらあるにも関わらず。
そして、第二の狛の村。
エイミーがそんなことをする理由は、一つしかなかった。
「彼らは人里で生きられなくなった人達?」
「そう。彼らはかつて『聖女の魔法書』に記された、狛の村で子を産めば強靭な子が生まれる、って文だけを読んで、それを鵜呑みにした馬鹿な親達の被害者。
ちゃんとその後には、好戦的な性格になる可能性が高いので控えること、って書いてあるのにね」
エイミーは真剣な表情で言う。
いつもそうならば狂人なんて呼ばれないのに、という感想を心の中だけに留めながら、サラは思い出していた。
かつて聖女と鬼神が世界を救って死んだ後、狛の村で子どもを産むことが流行ったのだという話。
特異な環境である狛の村で子を産めば、胎児は濃厚な陰のマナ、現在で言う魔素を吸収して必ず強い力を持って生まれてくる。
聖女の魔法書にもその危険性は記されていたものの、当時は英雄としか見られていなかったレインの影響も強かったことがいけなかったのだろう。
確率が影響する勇者や魔法使いではなく、我が子を確実に強い存在として産もうという親が数多く存在していた。
しかし僅か数年で、全ての親はそれが間違いだったことを知ってしまった。
生まれた赤子は勇者を見ると泣き叫び、少し成長すれば勇者と見れば襲いかかる、手に負えない凶暴な子になってしまったのだ。
最終的にその事実が広まり、狛の村での出産は当然禁止された上、子どもの処分を余儀なくされたのは今や、少し勉強をしていれば誰もが知る大事件となっている。
「元々魔人の両親から生まれた本来の狛の村の人達と違って、彼らは普通の人から生まれた魔人。彼らの体は陰のマナに対しての耐性の様なものをあまり持ってないのよ」
「どういうこと?」
サラが尋ねると、エイミーは視線をクラウスの膝の上でそわそわとしているマナの方へと向けた。
そして。
「マナちゃん、狛の村の人達はなんで魔物に戻ったの?」
いかにも冷静に、そんなことを訪ねたのだった。
「先生!」
五歳程度の子に、突然お前が悪いんだと突きつける様な物言い。
あまりに突然のエイミーの言葉につい取り乱すサラを制したのは、つい先程までそわそわと落ち着かない様子を見せていたマナだった。
サラの服の裾をひっぱると、にこっと笑顔を見せて言った。
「だいじょーぶ。それはまながやったことだもん。げっこーの力がよわくなったから、まものにもどしたの」
一体どこまでの意識を世界の意思と共有しているのだろうか。
マナの態度は冷静そのもので、舌っ足らずなのはマナのままながら、その言葉は以前ドラゴンと戦った直後の世界の意思と同じものの様で。
しかしそれはまた、エイミーの態度も同じだった。
いつもの狂信っぷりなどなりを潜めたように、訪ねた時のままの冷静な声で口を開く。
「うん。そうだよね。調べたんだけど、異変が起こる前から狛の村の外で暮らしていた人は二人いた。でも、その二人は魔物にならなかったの。なんの問題もなく人間として、社会で暮らし続けてた」
「こまのむらだけ、もどしたから」
「そう。でも、狛の村で生まれた一般の子達はそういう訳にはいかなかった。それは世界の意思とは無関係だった」
「生まれつきの殺人衝動ということですか」
冷静な二人のやりとりにサラがあっけに取られている中、遂に口を開いたのはクラウスだった。
何度も母から聞いていた、世界最高の英雄を生み出した鬼の村の話。
その中で、母が殆ど話さなかった闇の部分。もちろん何があったのかは知っている。
それでも、当事者達の話を聞くのは殆ど初めてに等しい。
だからそれは、聞き入っていた中でサラが硬直してしまった為につい口をついて出てしまった言葉だった。
「勇者に対してだけ、だけどね」
クラウスの方に顔を向けて、エイミーはふわりと笑う。
それはサラすら見たことが無い笑顔だったけれど、サラにはその意味がよく理解出来てしまった。
結局、エイミーは教信者だ。
「……どちらにせよ、人間社会じゃどうやっても生きていけないわけね」
少しだけ呆れた様に呟く。
「その通り。だから、たくさんいた狛の村生まれの子達の大半が殺されてしまったことも、知ってるわね」
「ここにいる人達は、その生き残りの人達ですか」
「そういうこと。彼らは勇者に対してはどうしようもなく殺意を抱いてしまうけれど、それ以外は普通の人。親のせいで生きる権利を否定されてはたまらないわ」
まるで立派な人物であるかの様にクラウスを見ながら語るエイミーは、きっとクラウスにとって英雄達と同等の存在にも見えたのかもしれない。
「だから、残った子達を全員集めてこの何も無い土地に村を作ったの」
エイミーの言葉に「おお」と感嘆の声を上げる一方、サラはクラウスとは違う印象を抱いていた。
「……エイミー先生がそんなことをするなんて」
世界で最も迷惑なテロリスト。
誰にも怪我を負わせることなく、聖女に背いたと見なせば誰彼構わず嫌がらせをする世界でも最高峰の魔法使い。
普段のイメージとは、全く違う一面に、なんと言っていいものか分からなくなってしまう。
「あら、私は敬虔なる聖女様の信徒よ? 聖女様の様に、救える魂は全て救うのが使命なんだから。
まさか、陰のマナを持つ奴は処刑だー、とか言うとでも思った?」
だからつい「うん」と答えてしまう。
すると、エイミーはクラウスに向けたあの笑顔で、サラの方を見て言った。
「あなたの私に対する評価はよく分かったわ」
「あ、ごめんなさい」
咄嗟に謝ってしまう。
本気で生死をかけて戦えば勝てるかもしれないけれど、その為にどれだけ嫌な思いをするか分かったものではない。
世界で最も戦いたくない魔法使いの異名は、サラにとっても有用だった。
しかしサラの予想とは裏腹に、エイミーは実に微笑ましくサラの頭をぽんと撫でて言った。
それは先ほどまで感じていた恐怖とは全く別の、悪寒だった。
「いいのよ。あなたもまた聖女になるのだから」
「え、何それ怖いんだけどやめてよ」
エイミーが何が言いたいのか分かってしまうことが怖い。
聖女の子であるクラウスと結ばれたサラは、エイミーにとってはもうすぐ聖女も同然ということ。
それが分かってしまえば、次にエイミーが言う言葉も、自然と理解が出来るのだった。
「ふふふ。でも、理由は簡単よ。『魔法書』を碌に読まずに子どもを作った親は罰を受けるべきだけれど、狛の村の人とはすなわち、聖女様が愛した人。彼が立派な人間でないわけがないのよ」
「あー、そういうことね……」
やっていることは立派でも何処か残念に思いながら聞いていると、どうやらクラウスは真面目に聞いていたらしい。
「レインが生まれた村は、聖女サニィにとってとても大切なものだったってことですか」
感激する様に言う。
となれば、当然エイミーも盛り上がり始めてしまう。
「その通り。だから、陰のマナを宿してしまった彼らが住むこの村の名前は狛の村第二。余りにも簡単すぎるのは分かってるけど、魔の誘惑を拒みたい彼らにはやっぱりこの名前かなってね。
ま、食人の村、なんて噂されてるけれど」
「今まで誰かを手にかけてしまったことは無いんですか?」
「ここに来てからは100%無いわ。あなた達も彼らの攻撃は追い返そうとしただけっていうのは分かったでしょう?
それに基本的には私自ら、愚かにも何もないと言われてるここを訪れた冒険者を脅してたから。幻術で、村の周囲の木々を串刺しにされた人に見せたりしてね」
「それ、先生のせいで食人族の噂が出来たんじゃん」
「それにイリスやエレナにも頼んで、あの子達の殺人衝動は出来る限り押さえ込んであるから」
「あ、無視なんだね」
「ここでは村の中にも魔物が沸くことがあるから危険はあるんだけれど、それでも人里よりはずっとまし。あの子達はそれでようやく、人として生活出来てるのよ」
クラウスがエイミーを盛り上げてしまったことに呆れながらも、サラはもう一つのことに気がついた。
確かな事実として、エイミーは少しだけ視線を落としている。
「先生もなんだかんだ、英雄やってたんだね」
聖女のため聖女のためと言いながら、最後の言葉だけは確実に、この集落の人たちに向いている。
それが分かったからこそつい口から出してしまった、英雄という言葉。
集落の人数はたったの20人程。しかしどれだけ狭い範囲だったとしても、エイミーは確かにそれの様だった。
集落の人々は周囲を警戒しながらも畑仕事したり家事をしたり、確かに『人間』としての生活を行っている。
人間社会では決して実現することの無かった誰も殺さなくて良い世界で、彼らはエイミーによって人権を守られている。
それは確かに、一人の英雄の仕業だった。
「聖女様が魔法使いではなく勇者だと知った時には、なんで私は魔法使いなんだと思ったこともあったわ。でも、この為だったのね。
私が魔法使いだったおかけでこうして聖女様のお役に立てているのだから、マナちゃんには感謝しないとね」
「まほーつかいは、まななんもしてないけどうまれたんだよ?」
「ふふふ、聖女様の導きね」
尤も彼女が狂信的に聖女を信仰している限り、残念な人物であることは変わりないのだけれど。
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