第百六十六話:波乱の足音

 いつもの様にマナがたっぷりの魔物と食料を食べて眠りについた夜、サラはふと思い出した様に顔を上げた。




「そろそろ一緒に旅をして一年になるね」




 ちょうど去年の今頃、サラは己に課した試練を突破してクラウス達に合流した。


 それから一年も経てば、クラウスもサラも少しだけ大人びた表情になっていた。




「もうそんなになるのか。色々あったけれど、サラが居てくれたから早く感じられた気がするよ」




 そう言いながら、クラウスは眠るマナの頭を撫でる。


 されるがまま気持ち良さそうに眠るマナを見ながら、サラは微笑んだ。




「今さらそんなことを言って好感度を上げようとしても大して意味無いよ」


「少しはあるんだね」




 思わず漏れ出た本心とクラウスの返しに、互いにふっと笑う。


 互いに少し照れくさくお互いを見つめると、再びマナに視線を落とす。




「マナの見た目は全く変わらないね」


「魔物を食べ始めると一気に成長するんじゃないかと思ってたんだけど、変わらないね」




 マナの見た目は未だに五歳児のままだった。


 身長が変わることも無ければ、角が伸びることも、舌ったらずさも変わらず。更に言えば、髪の毛すら殆ど変わっていない。


 まるで人形の様な可愛らしさのまま、その姿を保っている。


 それもこれも、今では理由が分かっている。




 マナは剣だ。


 始まりの剣と呼ばれる、今の世界を形造った奇跡の一振り。


 人間の子どもでは無いのだから、成長しなくとも不思議はそれほどない。


 むしろ、存在そのものが不思議で出来ている。




 そんなマナを愛おしげに見つめると、サラはふと意地悪そうな顔で言う。




「でも、成長してお嫁に行っちゃうと悲しくなっちゃうでしょ、パパは?」




 そう言われて、クラウスはうっと言葉を詰まらせた。


 確かにマナの存在はクラウスにとって、愛娘にも等しい。


 まるで自分自身の一部の様な、居なくてはならない感覚が襲いかかる。




「ははは、クラウスもそういうところは私のパパと似てるね」


「……良いんだよ。英雄レインだって、エリーには似た様なものだったって言うじゃないか」


「ふふふ、そうだね」




 何処か含みがありそうに笑うサラにクラウスは少しだけ苦い顔をする。しかしそれも一瞬で、すぐにふう、と息を吐いていつもの表情を取り戻した。




 ……。




「ところで、そろそろ一年ってことを思い出した理由なんだけど、今日から大会が始まるね。今年もやっぱりサンダルさんはくじ運悪いのかなぁ」




 毎年この時期になると、世界中の国々が代表者二名を選出しあい、世界最強を決める大会が開催される。


 二人が旅を始めて一年ということは、今年もそんな季節がやってきていた。




「サラは今年の順位はどうだと思う?」


「いつも通りかな。ま、サンダルさんが運良くパパと当たれば、二位サンダルさんって可能性も高いけどね」




 大会の順位は決まりきっている。


 それは第五回大会辺りから散々言われ始めたことだった。


 トーナメント方式のこの大会では、前大会の一位二位はそれぞれトーナメント表の両端にシードとして確定。表の中心である三位と四位のシード位置はくじ引き、となるのだが、毎回サンダルは前回優勝者エリザベートに準決勝で当たる位置に決まってしまうのだった。


 故に、サンダルは最強候補の一角と言われながらも毎大会三位に甘んじてしまっていた。


 そしてそのシード位置は、毎回開会式の直前に決定する。


 今年こそはサンダルが優勝と息巻くファンも多いのだが、大方の見方はサンダル、今年こそはくじに好かれ準優勝なるか、といったものだった。




「やっぱり魔法使いのルークさんと勇者のサンダルさんだと、サンダルさんに分があると?」




 クラウスから見て、二人に実力差はそれほどない様に思えた。


 魔法使いの王道。聖女の直弟子にして幼少期から天才と呼ばれ、誰にも真似出来ない大魔法を高速で扱うルーク。


 対して小細工一切無しの、ただひたすらに己を死の淵まで鍛え抜いた、跡形もなく魔物を消し去る史上最速の勇者サンダル。


 そのどちらもが、デーモンを倒せば一流などという言葉すら恥ずかしくなる程の歴戦の英雄だ。




「それは勇者に分があるとは思うんだけど、パパも魔法使いの限界なんて振り切ってるレベルの速さだからなー」




 魔法使いの肉体は弱い。


 それは魔法使いなら誰しもが嫌という程身に染みて実感している弱点だった。


 咄嗟のイメージが出来ない程に猛攻を仕掛けてしまえば、魔法使いは成すすべなくやられてしまう。


 サラが最初に思い描いた事実はそれだった。


 しかしそれを思い出しても尚、ルークがそう簡単に負けるとも、やはり思うことは出来ない。




 ルークの得意魔法には、空間を跨ぐ瞬間移動が存在する。曰く、殆どイメージを挟むことなく歩くだけ、らしいのだが、そんなことを言いながらその魔法を使える魔法使いは世界中でもルークただ一人。




「勇者最速のサンダルさんと魔法使い最速のパパ、もしも当たったら面白い戦いになるだろうってことは間違いないよね」




 つまり、もしも二人が戦えば、それはより速い方が勝つ戦いとなるだろう。




「まともに目で追える人が殆ど居なさそうな気もするけどね」


「あ、それはそうかも」




 この大会で最も盛り上がる戦いはいつも決まっていた。


 準決勝、ルーク対イリス。


 ド派手な魔法を使いこなすルークと、勇者ながら魔法に近い行為が出来る、大会上最も派手となる戦い。


 それは分かりやすく面白くて、会場中がまるで決勝戦を見ているかの様に白熱するものだった。




 逆に、9連覇を達成しているエリザベートの戦いは盛り上がらない。


 それは彼女が嫌われているからだけではなく、余りにも研ぎ澄まされた動きが、観客達には余りにも地味に映るからだった。


 目で追えない程の速度のサンダルが、あっさりと高まってしまう準決勝一回戦。あれだけの戦いをしたルークが、特別活躍することも無くあっさりと負けてしまう決勝戦。


 それはエンターテイメントと言うにはあまりも、呆気なさすぎるもの。




「でも、私的にはやっぱり分かり切った上位四人よりも、エリスさんに健闘してもらいたいな」




 クラウスの出身国、グレーズ王国の王妃エリスは、時代さえ違えば英雄だったと言われる程の勇者だ。


 現代の英雄達が強過ぎる為に埋もれてこそいるものの、世界でもトップクラスの勇者と言っても良い。


 昨年、サラがやっとの想いで勝利して以来、二人はライバルになっていた。




「分かり切った四人って……。でもそうだね。今年は僕達は役目があるから行けないけれど、良い報告があることを祈ろう」




 ――。




 それは突然のことだった。




 サラには時折、母である英雄エレナからの念話が飛んでくる。


 英雄曰く母娘なんだから距離なんか関係ないというその超高度な念話は、世界の状況や世間話やらを気軽に送ってくるのだけれど。




「…………え? あり得ないでしょ」




 サラはこれまで見たこともない程に目を見開いて、呆然と声を漏らした。


 今は深夜だが、今回の大会開催地を考えると、ちょうど大会が始まって三、四戦終わった所だろうか。




「どうしたんだサラ?」




 青い顔にこそなってはいないものの、余りにも驚き硬直しているサラを心配してクラウスが声をかけると、サラは人形の様にカクカクと首を向けつぶやく様に言った。




「……えーと、え? エリスさんが一回戦敗退だって」


「は?」




 クラウスにとってもまた、それは衝撃的なことだった。


 しかしふと、思うことがあった。


 相手が英雄ならば、仕方がない。


 サラの動揺ぶりからしてもそれは無いと思いながらもそう考えた矢先、サラは再び口を開く。




「イングレスのアランとかいう18歳の若手勇者に、3分14秒」




 イングレスという国は、大国グレーズに面した小国で、とある英雄の出身地だった。




「……英雄ボブの出身国。聞いたこともない選手だな」




 そもそも、イングレスの選手が一回戦を勝ち抜いたという話すら、今まで聞いたことは無い。




「去年までは出てなかったみたい。…………まさかあのエリスさんが3分しか持たないなんて……信じられない」




 動揺するのは当然だった。


 エリスが勝てないということは、サラもまた勝てないかもしれないということ。


 クラウスから見て、去年の時点では英雄を除けば、エリスに対抗出来そうな選手は他にウアカリのカーリーくらいのものだった。




「あの小国にそんな勇者が隠れてたなんてな」




 国力の強さは、殆どそのまま代表の強さに直結する。


 そうでない場合はつまり、その小国でたまたま英雄クラスが生まれたということ。


 その確率もまた低いけれど、ない訳ではない。




「今年こそエリスさんに……ん?」


「ん?」




 落ち込んだ様子で何かを言おうとしたサラは、次いで唐突に渋い顔に変わる。


 その表情は若干怒っている様でもいて、クラウスでも読み取れない。




 そんなサラから発された言葉は、意味不明だった。




「なんか、狛の村第二から一人、特別ゲストでエントリー、名前、ヘイムスイミー」




「は? 狛の村?」




 その村の名前は、簡単に口にして良いものではなかった。


 かつて魔物だった人々が住んでいた、人知れない英雄達の村。


 鬼と呼ばれた彼らは、先の魔王戦の前に全滅している。




「いや、そこも気になるんだけど何やってるのあの人……」




 しかしそれすら些細なこととでも言うように、サラは呆れ顔に変わる。




「え、誰だ?」


「えーと、エイミー先生だね」


「……は?」




 それは、ついこの間サラの口から聞いたばかりの名前だった。


 サラをして世界で二番目に怖い人物、通称『殉狂者エイミー』


 聖女の魔法書を絶対の聖典とし、それに反する者達を私刑に処す狂った魔法使い。


 その私刑が直接傷を付けるものでこそ無い為にそこまで捕縛に力も入れられず、世界中で暗躍する狂人。




「あの人をゲストに招くとか、何考えてるの運営……」




 心底呆れた様にサラは溜息を吐いた。


 それでも絶対ダメと言わない辺り、自分の母であるエレナが出るよりはマシなのだろう。




「エイミーさんについては今一知らないんだけど、今年の大会は荒れそうだな」


「というか狛の村第二って何?」




 クラウスがようやくもっともな発言をしたころ、サラは思い出したかの様に所属について少し苛立った様に呟いた。




「サラが知らないってことは、英雄絡みじゃないってことなのか?」




 まだ冷静ではなさそうなパートナーに、クラウスは出来る限り優しく問いかける。




「あー、あの人、世界で一番自由な魔法使いだから。悪人じゃない、悪人じゃないんだよ?


 でも、制御出来ないって点で言えばママよりもずっと上なんだよ……」




 少なくとも、悪夢のエレナはルークの言葉には真剣に耳を傾ける。


 それならばエイミーにも何かストッパーは無いものかと考えて、それは儚い希望だと一瞬で納得することになった。




「英雄達でも止められないのか」


「いや、ママは、面白そうふふふって笑ってる……」


「ああ……」




 エレナ一人なら、ルークが居ればなんとかなる。


 しかしそこにもっと厄介な者が、ましてやエレナとルークの先生が付けばどうなるのか、流石に分からない訳もない。




「あ、ちなみに、十回目にしてやっとサンダルさんはパパ側になったって」




 最後にどうでも良さそうに、サラはそう呟いた。

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