第五十六話:魔法使いエリック
「へえ、クラウス君にはそう見えるんだ」
クラウスの抱いた違和感に対して、エレナはそう答えた。
通常は鞘は鎧に完全に固定されることはあり得ない。
鞘を完全に固定してしまえば、剣を抜く方法は一つしかなくなってしまう。
鎧に固定され鞘に対して真っ直ぐしか抜けない剣は、つまり抜く角度が完全に決まっており、鞘を払うことも出来ないので、腕の長さ分しか抜くことが出来ない。
そして見る限りでは、剣の長さは両方とも腕の長さに対してギリギリ、もしくは届かない程に長いロングソードだ。
それでも抜ける能力を持った宝剣だというのであればそれは奇襲には使えるかもしれないが、もしも使えばストームハートの名声的に考えて、直ぐに情報広まり対処されてしまうだろう。
そしてそうでないのであれば、抜く際の柄を押さえてしまえば簡単に無力化出来てしまう。
それは、勇者相手にならストームハートがより優れた身体能力を発揮すれば押さえられるよりも先に抜くことが出来るだろう。
しかし魔法使いであれば、魔法で押さえてしまえる可能性がある。
それではルークが、魔法使いでは絶対に勝てないという理由と矛盾してしまう。
そしてそもそも、鞘を鎧に完全に固定するメリットが全く無い。
「意味もなく剣を、それも二本を装備する意味が分かりません。
ということは、ストームハートはこれまで剣も抜かずに勝ってきたのではなく、剣を使えない前提で勝ってきたのでは?」
「おおー、入場しただけでそこまで見抜くとは流石だね。やるね、鬼姫の愛息子」
クラウスが答えてみれば、エレナはパチパチといい加減に手を叩きながらそんな風に言う。
どうやら素直に褒めているらしいが、マイペースなエレナのこと、あまりそんな気はしない。
「とは言え、理由は全く分かりませんが」
使えない剣を何故持ち歩くのか、謎は逆に深くなる。
「それは、実際にアルカナウィンドに行けば直ぐにわかるかな。私としては全部言っちゃっても構わないんだけど、考えるのってクラウス君も好きでしょ?」
言外に、自分は考えるのは専門外だけど、などと言いつつエレナは問う。
エレナが適当に疑問をぶつけ、それを元にルークが思考するのがこの夫婦の会話パターンで、魔法の修行方法の一部。
とは言え、クラウスは魔法使いではない。
最終的には考えたことが何も上手くいかず、単純に体の反応が勝負を決めることも多い。
「ルークさん程の鋭さはありませんけどね……。それにエレナさんに好きに話してもらうと、アルカナウィンドに行く意味もなくなっちゃいましたってなりそうでちょっと怖いです」
霊峰からの意趣返しとばかりにそんな事を言ってみても、エレナの微笑みは一切変化しない。
「大丈夫大丈夫。そうなったらサラが何の為に頑張ったのってなっちゃうもの。あれでも愛娘なんだから」
「昔サラは、ママは私よりパパの方が大切なんだって言ってましたけどね……」
そのあまりの余裕に、なんとかして一杯食わせたいと思いながら言ってみても、やはりエレナの調子は変わらない。
「ほら、それは事実と言えば事実だし?」
「母親として言って良いんですかそれ……」
思わず突っ込んでしまうが、エレナに一杯食わせたいと思った時点で既に決着は付いていたことを、クラウスは知らない。
「私はサラが誘拐されれば誘拐した連中を皆殺しにする位サラが大切。でも、ルー君が死んだら私も死ぬものね」
「…………試合、始まりますね」
重過ぎる愛も考えものだ。
エレナはおよそ母親がかけるべき愛情位は、確かにサラに対して注いでいる。間違いなく、それは言い切れる。
ただ、ルークに対しての盲信的な愛情はやはり悪夢と言うべきか、よくルークは平気なものだと妙な部分で尊敬の念を抱いてしまう。
どうかサラはその様にはなりませんように、といつの間にやら脳内ではサラを迎えることに決まってしまっていることにすら気付かずに、クラウスはその思考を外に追いやって試合に集中することにしたのだった。
そしてエレナの発言は当然、サラが関係無い話だった筈なのに、サラへの同情を誘う様に誘導していたことを、クラウスは知らない。
――。
「魔王信仰の反逆者め」
男は、静かに呟いた。
政治的なことは禁止ながら、個人間の感情は闘いで決着を付ける。
男は、今年20歳になった貴族のエリックは、それなりに冷静だった。
本当は、声を大にして言いたいこと。
グレーズの貴族として生まれたエリックは、魔王は絶対悪で聖女は邪悪な魔王に騙されて殺されてしまったのだと教わりながら育ってきた。
本当ならなんの犠牲も払うことなく、聖女様なら呪いを解くことが出来たのに、魔王の甘言に唆されて命を落としてしまった。
そんな、荒唐無稽な作り話を、聖女信仰の強かったエリックの両親は真剣に説いていた。
エリックは世界で最強の勇者が、そんな邪悪な魔王を擁護している国の人間なのだということが許せなかった。
たまたま類稀なる想像力を持つ魔法使いとして生を受けたエリックが、両親の言葉を鵜呑みにする、ある意味純粋馬鹿な人物だったことは何かの皮肉なのだろうか。
ともかく、そんなエリックは打倒ストームハートの為訓練を続け、いつしかグレーズ軍の魔法使いの中で、若くして個人戦トップの才能を開花させていた。
それに気付いたのは、ジョンとの模擬戦で、特に苦労もせずに勝利を収めてからだ。
世界トップクラスと呼ばれる魔法使いであるジョン・ジャムに勝つということは、すなわち英雄ルークに並ぶということ。
どこをどう勘違いしたらそうなるのだろうか、エリックはジョンに簡単に勝利したことで、本気でそんなことを信じ込んでしまった。
魔法使いは、勇者よりも優れている。
最近のそんな妙な風潮もまた、エリックの勘違いを加速させた。
エリックは、驕っていた。心の中は冷静に、しかし確実に。
「いやー、そういうことかー」
ふと、そんな間抜けた声がエリックの耳に入ってくる。
仮面の向こうで素顔は全く見えないが、その視線はエリックを向いていないことが確実だ。
仮面はその顔を、国王陛下の座る観客席の方に向けていた。
「貴様、何処を向いてる……」
「あ、ごめんごめん。ちょっと確認してた」
「確認だと?」
「もう済んだから大丈夫。良い試合にしようね」
エリックの額に青筋が浮かぶ。
ストームハートの口調はまるでエリックを敵とすら認識していない、友人に対するものの様だったからだ。
まるで待ち合わせにほんの少し遅れて、ごめーんと謝っているだけの様な。
もちろん貴族のエリックはその様な待ち合わせは体験したことが無かったが、それは貴族出身のエリックにとって、随分な侮辱と感じた。
しかしエリックは、冷静だった。
それもこの女の勝利の為の布石なのだ。
相手を怒らせて、冷静な思考能力を奪う。
パニックに陥ればただの人である魔法使いには、随分と有効で、姑息な手段。
だからこそ、エリックは激昂したい気持ちを抑え、ふぅと肺の中の息を全て吐き出し、深呼吸をする。
そして務めて冷静に考えたのは、勝利のイメージだった。
殆どの魔法使いにとっては、決着前にそれをイメージしてしまうことが即負けに繋がってしまうことを、経験の浅いエリックはまだ知らない。
「出来ればその激情が、人には向かない世界であれば良かったのにね」
ストームハートのそんな呟きは試合開始の掛け声に掻き消され、エリックには届かなかった。
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