第176話:母の救いと
エリーの母親アリスは今現在幸せに暮らしている。
娘は勇者としてすでに一流と呼べるほど、つまりデーモンが倒せる程に成長しているし、3年前受け入れてくれた宿屋『漣』の女将や大将の家族と言っても良い扱いを受けている。
もちろん、宿屋の仕事もやりがいを感じていて、小柄な体と金髪赤眼のその少女の様な見た目で、一児の母ながら看板娘として活躍している。
アリスとエリーがこの町に来て以来、宿屋『漣』の客は随分と増えたらしい。
と言うのも、町の警護兵の関係者は殆ど誰もがお勧めの宿を聞かれれば『漣』と言うようになったからだ。
元々、落ち着いた雰囲気の民宿の様な佇まいをしている宿に、可愛らしい母娘の看板娘がいれば、それだけで申し分ない。
そして料理も美味で、女将の人当たりも良い。
部屋の清掃も行き届いているし、欠点があるとすれば、部屋から海が見られない事くらい。
とは言え、それは窓の外を見るとエリーの修行風景が見られると言う事で、案外相殺されるものであるとか。
ともかく、アリスはそんな充実した幸せな日々を送っている。
「アリス、調子はどうだ?」
「あら、レインさんが話しかけてくれるとは珍しいですね」
挨拶程度はするものの、いつも忙しそうに、楽しそうに、そして少し、辛そうに仕事をしているアリスに、レインは中々話しかけられなかった。
切実な希望は、裏切られた時に凄まじい毒となる。呪いに罹っているアリスにとって、最も楽に生きられる方法は、それを意識させないこと。つまり、普段と何も変わらぬ日々を過ごさせてあげる、と言うことだった。
もちろん、女将の見事なサポートによって、いつでも相談出来る環境も整えられている。そう言う意味もあってのアリスの幸せ。
そして今までは、だからこそそれを崩してしまう可能性のある様なことを言えなかった。呪いに罹っているアリスに、妙な希望を持たせることは、レインにもサニィにも出来なかった。
「なに、エリーの成長があまりにも著しいからな。親が良いのかもしれんと思ってな」
「ふふ、口説いてます?」
「勘弁してくれ。ただでさえサニィにあらぬ疑いをかけられてるんだ……」
「ふふふ、冗談です。あの子はいつも師匠ししょうって言いながら頑張ってますよ。王女様に対抗心燃やしまくりなのがちょっと良いのかどうなのかって思っちゃうくらいで」
「あの王女もエリーに負けない様にって頑張ってるさ。良いコネが出来たとでも思っておけば良い」
「あの子最近普通に王女様を小突くものだから冷や冷やしちゃいますよ。ところでコネではないですけど、オリヴィア様が持って来て下さった着物がとても豪華で、最初は着るのを躊躇っちゃいましたよ」
まずはそんな、他愛ない会話をする。
今回彼女に話しかけた理由は、いよいよ呪いの解除が現実味を帯びてきたから。
とは言え、確実なものではない以上言えはしないのだが、なんとなく話しかけみたのだ。
ここ漣は彼女の家である。それを、その自然な様子から見て、改めて実感したものだった。
「レインさん、いつもエリーの修行、ありがとうございますね」
「…………他人の娘を魔王討伐に駆り出そうとしている時点で、感謝されて良いようなことはしていないはずだが」
「いえ、あの子、能力のおかげで前の村では少し、ね。それが今は楽しそうに頑張ってますし、今となっては町のみんなが気にかけてくれてますし。そうですね、責任を感じると言うなら、絶対負けない様にして下さい」
全く隙の見えない笑顔で、そんなことを言う。
その強さは流石にエリーの母親。呪いを受けて尚、気丈なもの。
必ず。レインにはそう答えるしか出来なかった。
それから少し、アリスに休憩を取らせると、二人でエリーとオリヴィアの様子を見に行くことにした。
もちろん女将は快く了承し、いってらっしゃいと見送る。
金属の交わる高音が響き渡る護衛兵の訓練場、アリスは驚いた顔をする。
「エリー、こんなにも」
「強いだろう」
「初めて、見ました」
娘の成長を実感する程に、残りの短さを実感する。
その為に、今までは見ることが無かったのだと言う。
毎日修行の成果をエリーから聞いては、それで満足と、自分に言い聞かせて来たのだと、そんなことを言う。
「今は、どの位の強さなんですか?」
「俺の村の平均少し下くらいだな」
「あの狛の村の……。凄いです。王女様も、あんなにも。何をやってるのか全然見えませんけど、ふふ」
今のエリーなら、以前の盗賊なら撃退出来るだろう。
これからは、少し時間をとって見に来ようかな。
そんな会話を続ける。
同じく呪いに罹っているレインがここに連れてきたということは、何か意味があるのだろう。そんなことを感じたのだろう。
アリスは年不相応に無邪気な笑みを浮かべると、声を上げてエリーを応援し始めた。
――。
「女将、一つ言っておくことがある」
「あら、何かしら」
「これから一生、アリスの面倒を見る準備をしておいてくれ」
「……もちろん。最初からそのつもりよ? あの子は私の子どもだもの」
40歳手前の女将は、26歳のアリスをそう呼んで、いつもと何も変わらず、仕事を続けた。
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