第4章 あなたの変遷の物語

第55話 水族館、潜入

 アリナの私服姿を見たことがないのかもしれない。いくら雑巾絞りのように脳味噌を絞っても私服姿の記憶がにじみ出てこない。

 アリナの姿を想像するとまず彼女の美脚を描いてしまう。やつは容姿とスタイルは五つ星なのだ。足に目がいってしまうのはしょうがないだろう。それに制服はいつも足を露出するよう作られている。制作者の性癖が手に取るようにわかってしまうのだがあえて言おう。

 よくやった。この変態め。


 そもそもスカート自体が罪だ。なぜ誘惑するような構造にしたんだ。しかも限界まで短くする輩まで現れるからとても目のやり場に困る。

 見過ぎ、とよく非難される。文句を言いたいのは我々男たちだ。俺たちがズボンを限界まで上げても、すね毛が世界を覆い、この世に地獄を見せることだけしかできない。が、女性陣の脚は芸術の分野であるので大切にすべきものであると自覚してほしい。


 そんな葛藤で思考を曇らせている俺は今、とある喫茶店の席でくつろいでいる。

 店外に置かれた席に座ってコーヒーを啜る。残念ながらここにはトマトジュースがなかったので仕方なくコーヒーを注文した。俺は尿路結石の不安を感じつつまた黒い液体を口に含む。にげぇ。炭だろこれ。とても人類が飲むものとは思えない。

 真琴の追跡役として俺は休日だというのに外出している。土日は家に籠もってひたすらナメクジみたいに床にへばりつきたいのに太陽光が降り注ぐ外に出てしまったら死んでしまうじゃないか。ひどい話だ。

 こんなイベントに俺一人が単独で臨むわけでは断じてない。アリナはしっかり呼んである。喫茶店でコーヒーを啜っているのはここが待ち合わせだからである。

 そろそろ来ていいころなのだがそよ風が気持ちよかったのでこのまま夕暮れになるまで何もしないのもありだな、と思っていた矢先、モデルみたいなファッションセンス抜群の女が近づいてきた。日差し避けハットにサングラス。ショートパンツに乳白色のコート。映画『プラダの悪魔』にでも出てきそうな奇抜さを纏って日羽アリナはご登場した。

 

「すみません、身長180センチくらいで鳥の餌みたいな人を探しているんですが。よくメタンハイドレードと見間違えられる人なんですがご存じですか」


 アリナは俺にそう問いかけてきた。


「あああああ!! それ俺だわ! 俺俺俺俺! ……相変わらずスゲーファッションだな」

「あんたなんでサングラスかけてるのよ。私と被るじゃない。それにタキシードって……」

「サングラスは顔の印象を残さないようにと思ってかけてきたんだがこれじゃあマトリックスみたいだな。俺が外すわ。マスクでもする」

「身長がでかい時点で見つかりやすいわよ。今回は流歌に気づかれなければいいんでしょう?」

「そうだ。真琴からの頼みで、何かあれば助けて欲しいとのことだ。何も無ければそれでよし。何かあれば何かする。そういうことだ」


 自分で言っていても荒唐無稽だ。でも真琴から言葉通りそう頼まれたのだ。臨機応変には努めるつもりだ。

 流歌が変に違和感を覚えられることが一番あってはならないことなので慎重にいこう。


「さっさとコーヒー飲みなさい。行くんでしょ」

「ちょっと待ってくれ。トマトジュース大好き人間には結構キツイんだ」

「グイッと飲んで」

「そんなおっさんが酒勧めるような口ぶりすんなよ。うごぅ、にっが。――全人類に復讐してやる」

「行くわよ。時間余裕無いんでしょ」


 口直しのためにトマトジュース買っといて良かったぜ。俺はポケットからトマトジュースを手に取り、すぐ開けた。

 

「ゲロウマー!」

「私の隣にいるときは綺麗で丁寧な口調にしなさい。次ふざけたこと言ったら思いっきり大きな声で『痴漢!』って叫ぶから」

「すみませんでした」






 真琴が流歌と待ち合わせしているであろう公園に到着した。

 俺とアリナは公園には入らず少し離れた場所から単眼望遠鏡で観察している。


「なんてもの持ち込んでるの……覗き魔じゃない」

「俺は名前が宇宙に関することだけあって宇宙が好きなんだ。この小っちゃい望遠鏡は星に狙いを定める用のものでデカい望遠鏡にくっついてる望遠鏡だ。でもちゃんと見えるんだぞ。ほら覗いてみろ」

「あ、見える」

「だろ? そしてお前もこれで覗き魔だ。やったな」

「あんたほんと卑劣外道鬼畜腐敗物ヘドロ……」


 真琴はそわそわと落ち着きなさそうにしている。

 先ほど真琴から「来てるの?」とメッセージが来た。俺は「監視してるぞ。服の中身までスケスケだ」と返しておいた。返信は途絶えた。

 それから数分経ち、ついに流歌が来た。目をぱちくりさせて真琴はぎこちなく手を挙げていた。

 

「アリナ、デートが始まるぞ」

「そ。なんかあったら言って。私は食べ歩きしてるから」


 既にアリナはアイスをチロチロなめながら興味なさそうに真琴流歌カップルのいる方向を凝視していた。

 二人は予告通り水族館に向かうようだ。公園自体が水族館と隣接しているので歩いてすぐである。二人とも緊張気味で初々しい姿がなんとも心くすぐる光景で爆笑しそうになった。いつも顔を見合わせる友人のあの調子を見ると面白おかしい。


「二人はどんな会話してんの?」


 アリナが缶のココアを啜りながら俺に訊く。


「アホ。四〇メートルくらい離れてんだぞ。ミュータントの俺でも流石に聞こえねぇよ」

「ほら、読唇術とかあるでしょ。覗き魔なら十八番でしょ?」

「わかったわかった。えぇーっと。『流歌、今日は来てくれてありがとう。早速南極で新幹線を食べてみないか?』」

「もういいわ。壊滅的よ」

「無理ゲーです」


 真琴流歌カップルは水族館の入り口を通って施設に入っていった。これじゃあもう様子を見れない。


「消えちまった。どうする?」

「え、行くんじゃないの?」

「わお。お前なら『あんたと行くくらいなら外で待った方がマシよ!』とか吐き捨てるかと思ってたからびっくらこいた」

「水族館で何かあったらすぐに対応できないでしょ。頼まれごとはしっかりやる。彼の友人でしょ」

「アリナさんにも人の心がまだ残ってたなんて……」


 ぎゃんぎゃんとアリナに言われる前に小走りで水族館に向かった。

 チケットを買い、俺とアリナはゲートをくぐった。

 もはやダブルデートみたいなもんじゃねぇかと突っ込むとまたギャオギャオ叫びそうなので寸前で飲み込んだ。


 水族館なんていつ以来だろう。少なくとも制服を着るようになってからは一度もない。最後に訪れたのは小学生の時だろうか。

 懐かしい感覚がこみ上げる。まだ頭上で流れる水のように透き通っていて純粋だった頃の匂いがする。何に対しても驚き、心躍らせる幼い自分が蘇る。ついガラスにへばりついてしまった。


「他のお客さんもいるんだから自重しなさい」

「いやいやこのアザラシ可愛すぎだろ。犯罪だ。刑法にひっかかる」

「もう。あのカップルは私が監視するから楽しんでなさい」

「はーいママぁ」

「殺すわよ」

「すみませんでした」


 見たことのないグロい魚や変な顔した魚、生きててつまんなそうに穴からこちらを覗く魚。久しぶりに来てみると面白いなあとしみじみ感じた。

 アリナは棒付きの飴を舐めながら監視している。屋内でもサングラスとか俺よりおかしいだろ。

 

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