19 師匠
露骨におびえた様子のカルロスに案内してきたカルラは不思議そうに首を傾げる。
「アルさんがせんせい、ですか?」
既にカルラはこの人物――アルと名乗った長耳族とは互いに自己紹介を済ませている。何度か会話もした事があり、理知的な人物だったと記憶している。物腰も柔らかく、カルロスがこの様に怯える理由が思いつかずにいた。
「彼がメルエスに滞在していた頃に、私が森での生き方を教えていた事が有ったんですよ。御嬢さん。四年……いえ、五年程前になりますか」
「アルさんが、アルニカ君を?」
「ええ。まさしくその姓に私の名前が入っているからと、主からの命で」
その頃はカルラたちはブラッドネスエーテライトとして未覚醒状態だったので知らない時間だった。エルロンドから脱出したカルロスを鍛えたのがこの人物と言う事なのだろう。そう考えると恩人のはずだ。カルロスの表情も良く見ると忌避では無い。敬愛の感情も見て取れる。だがやはりそれ以上に怯えが強い。
「すみません、師匠(せんせい)。急用を思い出したので俺はこれで」
部屋の境界を一歩跨いだかと思ったら即座に踵を返そうとするカルロスの足元にどこからか伸びてきたロープが絡み付き部屋の中へと引き摺り戻す。足を掬われた形になったカルロスは床を自分の服で掃除しながらアルの前に連れてこられた。
長耳族の魔法発動を初めて見たカルラは少し感動している。人間族とは違い、体内で魔力を生み出せる彼らは何時もカルロス達が腰から下げている様な携行型魔導炉を必要としない。そしてその発現速度。カルロスが部屋を出ようとした時には既に足にロープが絡み付いているように見えた。長耳族が魔法に長けているというイメージを裏切らない能力だった。
「カルロス。私は悲しいですよ。久しぶりに会った師を放置するような礼儀知らずに育てた覚えは有りません」
「俺も師匠に礼儀を教えて貰った覚えはありません!」
更にロープはカルロスを拘束しようと這い上がってくるのを彼は必死で振り解いていた。それを見つめていたアルは小さく溜息を吐く。
「全く。まぎきゃばりぃなる玩具に気を取られ過ぎて生身の能力が下がったのではありませんか? 五年前のあなたはもう少し研ぎ澄まされていた様に思えますが」
「ぐっ」
痛いところを突かれてカルロスは口を噤んだ。確かに、あの頃の孤独な戦いを強いられていた頃と比べると自分は温くなったという自覚はある。だがそれは――。
「誰の手も借りずに一人で気張る事が強いっていうのなら俺は弱いままで良いです師匠」
「師の言葉を否定しますか……いえ、それも道理。貴方はあの男に勝って、私たちは負けた。結局そう言う事なのでしょうね」
自嘲する様なその呟きに、カルロスは違和感を覚えた。この己の師匠と言う人物は自分に絶対の自信がある御仁であった。修行中に今の様な口答えをすれば身体が宙を舞った物だが……。
「カルロス。貴方に会わせたい人がいます」
◆ ◆ ◆
「アルニカ君は何でそんなにアルさんに怯えているの?」
着いてきなさいと一方的に告げて歩き始めたアルの背を追い掛けながら、カルラはカルロスにそう尋ねた。カルロスは実に苦々しい表情で答える。
「まず大前提として……師匠は俺達の身体の事を知っている」
「……そうなの? アルニカ君が話したの?」
「いや、しばらく観察されたら見破られた」
「……凄いね」
単純に、今までカルロス達がリビングデッドであると見破った人間は一人もいないと言う事からそのさらっと告げられた事実がとんでもない事だと理解したカルラは一瞬の絶句の後にそう感想を漏らした。それに心の底から同意するようにカルロスも頷く。
「凄いんだよ。本当に。多分だけど今の大陸で一番魔法が上手いのも師匠だ……まあ俺は殆ど教わってないけど」
本当に、森の中の生き方……狩人としての知識だけを叩き込まれたのだ。魔法に関しては。
「汎用的な物なら教えられますが、それは貴方の強みを殺す事になるでしょう。死霊術なんて私は知りませんので教えられることは無いですね」
と言われたきりである。言われた当初は不満に思った物だったが後々はそれで良かったと思っている。
「まあそんな訳で俺は森の中での生き方や魔獣の追い方とかその辺の事を叩き込まれたんだ……実地で」
「実地で?」
「兎に角厳しかった。軽装のまま森の真ん中に放り込まれて自力で生還しろとか」
「……教育?」
それは教えると言えるのだろうかとカルラは首を傾げざるを得ない。
「リビングデッドだって分かってからは『なら死なないから大丈夫ですね』とか言って更に厳しくなるし……普通の人間だったら何回死んだことか……!」
そこにもしも魔法の訓練が加わっていたら……カルロスも己の心が折れなかったかどうか確信が持てない。何しろアル本人が狩人育成は簡単コースと評し、魔法教育は難関コースと言うくらいなのだ。あれよりも厳しいって何なんだろうと思わずにはいられない。
「うん、アルニカ君が怯える理由が分かったよ……」
「理解を得られて何よりだ」
出来れば今からでも逃げ出したいのだが、本気で追いかけてくるアルを振り切るには魔導機士が必要だろうという確信があるのでカルロスは諦めた。これから向かう要件が特訓では無く人と会わせたいと言う事なのもその判断を支えている。
てっきり宿舎の別の部屋だと思っていたのだが、向かった先はカルロスが港で見た見慣れぬ船の場所だった。
「……人って船の中にいるんですか? 船員?」
「いえ、違います。まあ私の上司に当たる人ですね」
「師匠に上司とか居たんですね……」
てっきり龍皇を除いてトップだと思い込んでいたカルロスは少し意外だった。そしてカルロスは真っ先に報告しなければいけない事だったと己の不明を恥じた。
「師匠……龍皇の玉体は俺達が地の底に埋めました。アルバトロスに玩ばれることは無いです」
その言葉にアルは歩いていた足を止めた。振り向かずに平坦な口調で告げる。
「実はその件で貴方に話が有ると私の上司が言っているのです」
「……分かりました」
龍皇イングヴァルド。メルエスの国主であった存在。その末路については是非とも話を聞きたい所だろう。
船室の中でも奥まった場所にある一室。アルはちらりとカルラに視線を向けて口元で指を立てる。
「ここで見聞きした物は他言無用です。この後ノーランド公爵にはお伝えするつもりですが、ハルス連合王国には伝えないで下さい」
「はい」
「もしも喋ったら……貴方達の身体の事が気が付けば広まっているでしょう」
「は、はい」
隠そうともしない脅しにカルラは壊れた人形の様に何度も頷く。それを見てアルは扉を開いた。
「く、くく……黄昏の呪いに囚われたか。我が従者よ。して、供物は……む?」
そんな珍妙な言葉遣いと共にカルロス達を迎えたのは低身長な銀髪の少女。ちらりとのぞく耳は人間族と大差ない事から長耳族では無い。代わりに側頭部から角の様な物が髪から覗いていた。
(有獣族……?)
だがよくよく見るとゆったりとした服――そのスカートから爬虫類系の尾の様な物が覗いている。よく目を凝らすと手の甲辺りに鱗のような物が見えた。有獣族だとしたら獣の特性は一種の動物からだ。それも哺乳類に限定されているのでこの爬虫類系の特性は有り得ない。
「む、そなたは……摂理の破壊を成した人の子か。久しいな」
カルロスの方を見ながらそう言ってくる少女の口振りから初対面では無い様だったが、心当たりが無い。こんな目立つ風貌の少女、すれ違っただけでも忘れそうにも無いのだが――。
「こちらが龍皇、イングヴァルドです」
「は?」
余りに予想外な言葉にカルロスの思考が完全に停止した。
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