32 ネリンの手紙

 一風呂浴びてすっきりしたところでカルロスは自室に戻る。堂々とカルロスのベッドに寝そべって飲み物を片手に本を読むクレアがちらりと視線を上げた。

 

「お帰りなさい」

「……部屋、間違えたかな」

「間違えてないわよ。ちゃんとカスの部屋だから」


 そんな事は言われずとも分かっている。とカルロスはクレアの言葉に溜息を吐いた。ただ、そこにいた人間がまるで自分の部屋の様な寛ぎ振りを見せているから口に出さずにはいられなかっただけだ。

 

「大して距離が離れて無いんだから自分の部屋に居ろよ……」

「酷い事言うのね。折角出迎えてあげたのに」

「とてもそうとは思えない程リラックスしてたよね」


 知らぬうちに本棚に書物が増えている。クレアが持ち込んだ物だろう。そこでふと気づいた。

 

「クレア、お前自分の部屋の本棚はどうなってるんだ?」

「…………別に全部埋まってたりなんてしないわよ?」

「やっぱりか……お前、自分の部屋の本棚が埋まったから俺の部屋の本棚使いに来たな?」


 その指摘が図星だったのか、口笛を吹いて誤魔化そうとしているがそもそも吹けていない。しばし苦心していた様だったがその内諦めたらしい。開き直ったように言う。

 

「読んでも構わないわよ?」

「書庫を作るべきかな……」


 高い書籍をそこまで集められる人間が居るとは思っていなかったので、個々人での所有物に留まっていた。この島にある本の大半はそうした個人所有だ。だが植物紙の生産技術の普及によってカルロス達がハルスに来てからも大分書籍の値段は落ちてきた。この調子ならば共有財産として書物を購入するのもアリかもしれないと算用を始める。

 

「ったく……」


 とは言えクレアの何時も通りの元気そうな顔を見られてホッとしたのもまた事実だ。無事だと分かっていても直接目にするのとはまた違う。そんなカルロスの視線に気付いたのか。クレアの視線がカルロスの方に向く。

 

「どうしたの」

「何時も通りだなって思ってな」

「……そうね。皆無事に帰ってこれてよかったわ」


 さて、とカルロスは自分の机の上に置かれた手紙を手に取る。ネリンからの手紙。一体何が書かれているというのか。封蝋のされた封筒の封を切る。

 

『親愛なる後輩様。お元気でしょうか。これが届く頃は私が旅立ってから大凡二月ほど経過した頃でしょうか。少々オルクスでトラブルがありまして、挨拶もせずに急遽旅立った非礼をお許し下さい。しばらくは戻る事が出来ないと思いますが、ご心配なさらず。必ず戻ります。誰が止めようとも、後輩様の元に戻って見せます。その日を待っていて下さい。私のこの思いは例え千里の距離に阻まれていようと、どれだけの時が経とうとも色褪せる事は無く――』


 便箋の一枚に目を通したカルロスはそっと折りたたんで封筒に戻す。最後まで延々とこの調子だった。しばらく戻れないという事が分かればそれで良い……のだが、何かが気になる。確かにネリンに取っては重要な事だろうが、こんな長い手紙を送ってくるだろうか。来る気もするが何か違和感があった。

 もう一度文章を見返すとその違和感に気付く。

 

「夜空の見える温泉にまた入りたい……?」


 ネリンが温泉に入ったと言えるのは例の地下温泉の筈だ。そんな所を勘違いするとも思えない。他にも内容を見返してみるとバランガ島の思い出を書いている様で事実に反した内容が多い。全体として出鱈目な内容となっていた。文章に意味が無い。そう考え別の所に視線を向ける。

 

「……封筒の折り目だ」


 封筒はよくよく見るとここまでの旅で着いた皺とは別に、一度きっちりと折られた跡が見れる。まるで折り紙の様に一度複雑に折った紙を使っている様だった。まさか人へ出す手紙で資源節約と言う事も無いだろう。明らかに何かの意図が有って流用している。ペーパーナイフを使って封筒を解体して折り直す。

 

「ここがこうで……こうなって……」

「何やっているのかしら、カス」

「折り紙、かな?」


 少々苦労したが、折り目の通りに折り直して形状を蘇らせる。その形は――。

 

「鳥? いや、これは」

「あら、懐かしいわね」


 後ろからカルロスの折った物を覗きこんでいたクレアが意外な物を見たように目を瞬かせた。その反応こそが意外でカルロスは戸惑う。


「懐かしい?」

「ええ……幼い頃にお母様が見せてくれた絵。その絵柄にそっくりだわ」

「何なんだこれ。鳥っぽいけど」

「龍よ。人龍大戦時の事を描いた絵だったから」

「龍……」


 今アルバトロスがメルエスに侵攻していて、そんな折に神剣使いから龍を模した折り紙が届いた。そこに関係性を見出すべきか否か。ネリンが酔狂でこんな事をするとは思えない。手紙が届いたタイミングを逆算すると一月前の時点。そのタイミングでネリンが手紙を出そうと思う何かが有った。ただ問題はこんな回りくどい事をした理由だ。普通に文章に書かなかった理由。ただ龍と言う断片的な警告なのか何なのか。その真意も定かにならない形で送ってきたのは何故か。

 

「……オルクスでのトラブル。それもアルバトロス絡みか?」


 アルバトロスの手は長い。全てを疑っていたらキリがない。だが今回の迷宮への不自然な魔力の流入。疑わしさが散らばっているのも事実だ。

 

「クレア。ラズルがどこにいるか分かるか?」

「彼にあてがった部屋よ。他の人に呼び出されていない限りそこだと思うわ」


 その返事に礼を言ってカルロスはラズルの元へ向かう。現在の状況。詳しく聞かないと周囲の状況が全く分からない。嫌な予感がした。何か見落としてはいけない事を見落としている。そんな予感。

 

「遅いぞカルロス。戻ってきたら真っ先に俺の所に来るのが筋だろうに」

「悪かった……」


 そう言われれば返す言葉も無い。確かに状況報告をするべきだった。

 

「まあ良い。それよりもメルエスの事は聞いているな」

「ああ。アルバトロスが攻め入ったって」

「違う」

「……? 誤報だったのか」

「攻め入ったのではない。攻め落としただ。既に龍皇は敗北した。メルエスの首都は制圧。北部で未だに抵抗活動を続けている様だが……制圧も時間の問題だろう」

「馬鹿な……有り得ない! 龍皇が敗れただって!?」

「そうだ」


 衝撃的な情報にカルロスは動揺を隠せない。メルエスに一時期滞在していたカルロスはイングヴァルドの凄まじさを間近で見ている。だからこそ信じられない。アルバトロスがどうやって龍皇を落としたのか。その手段は想像も出来ない事だった。ネリンの手紙はこれを示唆していたのだろうか。

 

「間違いなく次はハルスに来る。……急ではあるがお前たちの帰還を待たずに次期量産機の選定はほぼ決まった」

「どっちに、なったんだ?」


 選定が行われる事自体は想定内。だが既に結論が出かけているというのは予想外。恐る恐る問いかけたカルロスにラズルは――。

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