投身日和
「……死のう」
ぽつりと、彼女は呟いた。
学校の屋上、その縁に彼女は立っていた。
今日は綺麗な青空が広がる風のない日、だから絶好の投身日和ではないかと、唐突に思ったからだ。
勿論、ちゃんとした理由も、あることにはある。
所謂いじめ、という奴だ。
文学少女で口下手で地味な彼女は、入学して早々性質の悪い同級生に目を付けられた。
同い年だというのに、彼女には考えられない程派手な格好をした数名の女子グループから大小様々な苦痛を味あわされた。
巧妙ないじめ方をするので当事者以外には分からない方法ばかりで、しかも誰かに相談する事すら封じられる手段も取られてきた。
彼女自身が呆れる程の、絵に描いたようないじめの図式だった。
先程も、他に誰もいない屋上で殴る蹴る等の暴行を受けたばかりである。
今までの事を考えれば、客観的に見れば彼女は追い詰めれれており、主観的にもそろそろ限界かなと、冷めきっていた心がどこか遠い出来事のように、自分を察していた。
「あーあ」
こんな筈じゃなかったのに。
最後に少しだけ世界を呪う。
……別に多くを望んだ訳じゃない。ただ当たり前の日常(幸せ)があればそれで良かったのに。私が何かしたのだろうか?
とはいえ、『いじめは悪い事だが、いじめられる方も悪い』なんて暴言がまかり通る事が往々にしてあるのが今のご時世だ。
昔はそこまでは思っていなかったが、被害者にとって理不尽な暴言だなと当事者になってから実感するのだから、世の中分からない。
……いや、いじめられるのは兎も角、ふらっと自殺をしようとするまで事態を放っておいた私も、悪いと言えば悪いのかな?
いや待て待て、それじゃ部外者の慈悲のない意見と一緒だぞ、と思うが、ま、もう死ぬんだし関係ないか、と逃避とも言える結論を出す。
そんな風に静かに思考が堂々巡りをしそうなところで彼女は首を振り、頭の中を空っぽにする。
そして気を取り直して、彼女は何もない空間に一歩を踏み出す。
「それじゃあ、さような――」
「なんだ、自殺か?」
耳に届いた声に、身を投げ出しそうだった身体が硬直する。
一秒、それだけで全身から汗が吹き出し、二秒で体温が急上昇したのを悟り、三秒で漸く背後に振り向く。
そこにいたのは、彼女と同じ制服に身を包んだ少女だ。
ネクタイの色から同じ学年というのが分かる。だが、彼女より長身の少女とは直接の面識はない。
しかし彼女は一方的にではあるが、自分に声をかけた人物の事を知っていた。
確か入学したばかりの頃に学校内で起こった事件に関わって以来、何かと話題に困らない有名人だったからだ。
そんな存在が、重ねて彼女に問う。自殺か? と。
「だったら何? 放っておいて。貴女には関係ないでしょ?」
その言葉を受けて、少女は「確かに」と、一言。
そういう割にはこちらに近づき、柵を乗り越えて彼女の傍に立つ。
「引き留める気?」
「一応は。とはいえ、そちらもやめる気はないんだろう?」
「ええ」
そうか、と一言だけ言って少女はこちらへの視線を外し、ここから見える景色を眺め始めた。
特に変哲もない光景だ。
住宅街のど真ん中の、普段より視点が高い事を除けば、どこにでもある景色である。
「…………」
お互い何も喋らず、沈黙だけが続いていく。
その微妙な空気に彼女が痺れを切らし、何か言葉を発しようとした時、件の同級生が彼女より先に喋り出した。
「私も、飛んでみるかな」
「へっ?」
あまりにも予想外の言葉に、変な反応になった。
普通なら自殺をやめさせる為に、色々とこちらに語りかけてくるだろうと思っていたのだから。
「なんというか、絶好の投身日和だなと思って」
「…………」
まさか自分と全く違う筈の人間が、自分と全く同じ感想を抱くなんて。
彼女にはそれがとても信じられるようなものでは到底思えなく、しかし、ああ、彼女も私と同じなのか、とそんな感想を抱いた。
……この人にも、私のように誰にも言えないようなものがあるのだろうか?
勿論、飛び降りてみたくなるような理由が本当にあるかは分からない。
だけど自分と全く違う人と、この時この場所で、本当に同じ想いを抱いたのであれば、もしかしたらちょっとは救われたのだろうか。
そんな事を思っていたら、眼前の同級生は不可思議な事を要求してきた。
「ちょっと、手を頭の後ろで組んでくれないか?」
「?」
いきなりの頼み事に訝しむが、何度も催促されたので仕方なく言う通りにする。
すると、
「それじゃ行ってこい」
「え?」
くるりと身体を校舎側に回転させられて、そのまま胸を突かれた。
悲鳴を上げる暇もなかった。
心の準備すら間に合わず、彼女は少女に突き落とされた。
唐突な浮遊感覚に思わず目をつぶる。身体が委縮する。
そして何かに突っ込むような感触と背中側からの痛み、
「かはっ!」
最後に強い衝撃を背中を中心とした身体全体で味わった。
突然の事に頭は既に疑問符で一杯だ。一体何がどうなっている。
更に彼女のすぐ近くに、彼女と同じように下手人が落ちてきた。
「ぐっ!」
落ちてきた少女はそのまま大の字に転がってそのまま動かなくなった。
彼女が抗議しても反応がないので、仕方なく自分も同じように大の字になる。
そうして真上を見ると、そこには一部枝葉の密度が極端に薄くなった木が目に入った。
更に背中には柔らかい土の感触が。
どうやら木に突っ込んで勢いを殺した上に、花壇の柔らかい土がクッションになったおかげで、命拾いをしたらしい。
そして空いた枝葉の向こうには、さっきまでいた屋上と、その向こうの青空が目に映る。
……私、あそこから落ちたんだ。
「あは、あはは」
自然と笑いが込み上げてきた。
なんなんだろうか。突発的に死のうと思ったら声をかけられ、引き留められるのかと身構えたら何故か突き落とされて、でも死なずにまだ生きている。全く以て訳が分からなかった。意味不明すぎて笑う事しか出来ないではないか。
「一回死んでみて、どうだった?」
「…………最高よ」
それ以外になかった。
なんというか、色々なしがらみから解放された気がする。
余計なものが全部剥ぎ取られて、スッキリした。
頭の中にあった靄が払われたようだ。
文字通り生まれ変わった気分だ。
「けど、なんでこんなことしたの?」
一種の爽快感に身を委ねながらも、やはりそれがどうしても気になった。
多分、初めてまともに会話する自分に対する悪意どころ善意すらないだろうに、何故自殺志願者を突き落すようなことが出来たのだろうか。
今、頭の中にあるのはその疑問だけだった。
「別に。突き落として本当に死ぬかどうかはどうでも良かったんだ。一応死なないだろうとは予測していたけど。ただ――」
「ただ?」
少しの沈黙。その間にこの人は何を考えていたのか。
「――ただ、もし死んだり大怪我をしたりしても、私の所為にできるだろ?」
なんて事を、言うのだろうか。
「世界を呪いながら、自分を否定しながら。自殺というのは大なり小なりそう思いながらするものだろう? それじゃ悲しすぎると思ったから。それだったら私一人が恨まれても、別に良いかなって」
馬鹿な話だった。どうしようもなく馬鹿な話だった。
その理屈で言えば、態々背負う必要のない事を自分から背負いに来たと、そう言っているのだ、彼女は。
「なんで、そんな事を」
「なんとなくさ、なんとなく。これ以上は聞かれても答えられない」
なんとなくでここまでするという事は、もうそれはそういう生き方しかできないという事ではないだろうか。
そんな生き方、それこそ自殺志願者と変わらないのではと思うが、その思いを口にすることはなかった。
何故なら、それで救われた身でそんな事、言える訳がないからだ。
だから代わりに、
「まあ良いわ。取り敢えずここは、お礼を言っておくべきなのかな?」
「さあ? それで気が済むならそれで良いと思うが」
どうやら助けた本人は、お礼を言われ慣れていないみたいだった。
だったらと、彼女は言うのだ。それこそ相手が困惑するくらいの気持ちを込めて。
「そう。それじゃ、――ありがとう」
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