二〇一八年一月一〇日(その3)
日が落ち、一日が終わろうとしている。
依頼の無いときはOPENの看板が掛かっていても来ないし、来るときはCLOSEDでも関係なく助っ人を頼まれる一色探偵事務所。
兎にも角にも、探偵・中聖子陽子はCLOSEDの看板を掛け、事務所兼自宅に鍵を掛けた。
大きく息を吸い、分厚いコートを椅子に投げ捨ててシャワーで倦怠感を押し流す。ゆったりとした寝間着は火照った身体を優しく迎え入れ、冷たいドリンクが心地よく一日の終わりを心と体に伝達する。
云い方を変えると、服を脱ぎ散らかしてメイクをボディソープで雑に洗い落とし、LLサイズのポリエステル一〇〇%ジャージを羽織り、腰に手を当てプラスチックビンに入ったコーヒー牛乳を一気飲み。
女一人の気ままな事務所。
名探偵という言葉や格式よりも気楽さが必要だと陽子は思うことすらない。直感的に理解しているだけだ。
陽子はショートカットの髪をタオルで拭き取りながらテレビのリモコンを探すが、見つからない。どうやら朝出て行くときにどこかに置き忘れたらしい。
気にも留めずにテレビを諦め、陽子はドライヤーを取に行った。
「……あれ?」
ドライヤーの入れてある戸棚の中に堂々と鎮座しているテレビのリモコン。
朝、身支度をしているときに入れたんだと陽子は苦笑いし、髪を乾かしつつテレビの電源を入れる。NHKで宇宙開発の歴史を追って紹介する番組が放送していた。
「そういえば、ケネディ大統領暗殺って有ったけど、成功してたらどうなってたんでしょうね」
そんな気の抜けた独り言にスマートフォン内の人工無脳アプリ、賢作は反応していた。
閑話休題。
自転車を最初に開発したのは誰だか、知っているだろうか。
油で揚げるという調理法は一体誰が最初に編み出したか認識し使っている人間はどのくらい居るのだろう。
一個人が全ての歴史を把握できないが、それを知ろうと思うこともある。知ろうとする感情は止められない。
検索という活動は、シンプルに知識欲満たすことができ、デジタルネイティブ化が進む二〇一八年ではそれが顕著だった。
人工電子無脳・賢作は、その知ろうとする波を捉える。検索エンジンは求められた文字列を人間の知りたいという質問に答えようとし、探したい文字列と類似、あるいは関連が有ると認識した情報を探す。
高機能・低機能は関係なく、人工知能は自分自身で考えて結論を出す。
しかし賢作のような人工無脳は、自分自身で結論を出さず、規定された情報を自分の考えとする。
「そういえば、ケネディ大統領暗殺って有ったけど、成功してたらどうなってたんでしょうね」
その呟きを賢作が入っているスマートフォンのマイクが拾った瞬間、その言葉を検索エンジンを利用してページを閲覧、似た言葉を探す。
結果として以下の様なページが見つかる。
ケネディ大統領暗殺未遂事件
一九六三年十一月二二日 リー・ハーヴェイ・オズワルドによって企図された暗殺計画だが、未遂に終わった。
ダラスのパレード中、ケネディ大統領を狙撃するも失敗。その場でオズワルドが拳銃で自殺してしまい、事件の真相は闇へと葬られた。
当時、宇宙開発を進めていたケネディ大統領を排除しようとした宇宙人による犯行とする記事が出回り、不謹慎であるとしつつも日本まで巻き込むブームメントとなった。
実際、ケネディ大統領が暗殺されていれば、アポロ計画は中止され、火星への人類進出は百年単位で遅れていたとする専門家も多い。
……。
第一次アポロ計画
予算難から十九号で計画転換となる予定だったが、
ソ連の宇宙開発に対するけん制、アラスカ油田のピークが当てはまり、加えて日本海ガスの発見・開発に伴う日本の計画参入からアポロ二四号にて火星着陸を達成する。
……。
これらと同一、あるいは類似する文字列が検索される。
その内、多くのページに共通するキーワード、アポロ計画・火星などを賢作が導き、スマホのマイクから発する電子音声となる。
「そういえば、ケネディ大統領暗殺って有ったけど、成功してたらどうなってたんでしょうね」
《火星移住が行われなかったりするんじゃないかな? 驚天動地》
「じゃあ月にも火星にも移住しないってことは、地球に七五億人が住むことになってたの?」
《それは無理だよねー。ありえないよねー。咫尺之地だよねー》
二秒に満たない間。賢作は自らの考えを持たずに“会話”を行う。そんな“雑談”を行いつつ、陽子はポストに入っていた茶封筒を開けた。
五つの茶封筒にはそれぞれ二百万円ずつ、合計で一千万円入っていた。
帯封がしてあるどこにでもある一万円札で置いて行った人物の特定はできそうにない。普通の探偵ならば。
さて、タイプ打ちされている情報は【嶋田九朗銃殺の事件、須古冬美の無実の証明をお願いします】という短い文章。
続いて須古冬美、三毛正二、嶋田美香、国木優の四名が記入され、それぞれに住所と電話番号、メールアドレスがセットになっているが、その中で国木優だけは住所しかない。
その理由を陽子は賢作を使うことなく思い出せたが、あえて質問することにした。
「賢作。調べて。国木優っていう人の事件に関して……」
賢作が調べ、表示した情報は陽子が記憶していたものと大差のない情報だった。
事件の発覚は三週間前。一二月二一日、とあるマンションの通路で妙にチワワが吠えた。
マンション住まいらしく普段はほとんど吠えないよう躾けられた犬だったが、そのときは飼い主の専業主婦も奇妙に思うほどにうるさかった。
吠えた場所が国木優の部屋であり、飼い主は友達作りや話題作りの一環とでも思いながらチャイムを鳴らしたが、ドアの前で国木優が出てくるのを待つ間、愛犬が吠えている理由に気が付いた。
ドアと壁の僅かな隙間から、ほのかに漏れ出しているような異臭。嗅いだことのある臭い。その疑問が恐怖へと変わる。
不安は一分に満たない時間、ドアの前で待っていた間に増幅し、彼女は無意識にドアノブを捻ってしまった。
鍵は掛かっていなかった。開いてしまった。開けてしまった。
彼女の愛犬は、その異臭の元から飼い主を守るべくドアの中へと突撃して行き、その愛犬を連れ戻すために彼女も室内へと進入を余儀なくされる。
ドアを開放した瞬間、彼女はその臭いだけで胃液を戻した。血液には催吐性が有るというが、国木優の三〇以上に分断された遺体は、臭いだけでその効果を証明して見せた。
今もなお、犯人は見付かっていない猟奇事件。その一週間ほどあとに起きたのが女子高生による銃殺事件だった。平和な町で何が起きている、日本中の想像を掻き立てるには十分な事件だった。
なぜ、このリストにその国木優の住所が書いてあるのか。
被害者が嶋田九朗であることは新聞にも記述が有ったが、被疑者が女子高生であるとしか一般には報道されておらず、須古冬美という名前を陽子は知らなかった。
だがしかし、日中に会ったばかりの三毛正二の連絡先も有り、これは陽子の知っている番号と全く同じである。
この依頼人は、少なくとも被疑者の名前を知ることが出来る人物であり、そしてその被疑者の無罪を主張してる。
疑問を抱えながらも陽子が番号を賢作に登録していくと、“嶋田美香”という人物の番号を賢作に登録させたとき、エラーが起きた。
《? 陽子? この番号、もう登録されてるよ?》
云いながら賢作が表示された情報は陽子にとっても予想外すぎる番号だった。
嶋田九朗 143―3739―1983
登録日 二〇〇七年二月七日
嶋田九朗といえば、女子高生に撃ち殺されたはずの人物の名前で有り、未だに賢作を一色賢が使っていた頃のデータだった。
まだ賢作を開発中のはずで、まだスマートフォンですらない端末で登録していたであろうデータであり、そもそも一色賢と出会ってすら居なかった。
自分が知らない一色賢の思い出を感じて込み上げる熱い何か、しかし、それと同時に冷めた感情も有ったが、陽子は事務所の資料を当たった。
陽子が使ったことのある資料は乱雑に片づけられていたが、一色賢が使ってから触っていなかった部分に有ったその写真はすぐに見つかった。
一色賢が嶋田九朗とその家族と一緒に撮った写真、日付は十年前のだったが、どうにも陽子にはその写真の中で見覚えのある顔が賢以外にも居るような気がしてならなかった。
そして、陽子の中に疑問が浮かぶが、事実を断定できない。
――この番号をよこした依頼人は事件の真相を知っているのではないか?
――それどころかこの依頼人こそが犯人なのではないか?
――全てイタズラで、何かの冗談なのではないか?
――頼ってくれている誰かを疑うなんて、私は汚いのではないか?
「シロでもクロでも……この辺りのウラを取らなきゃいけないのかなー……」
《オセロでもする? 表裏一体》
無意識の陽子の呟きに、賢作はボードゲームのオセロを引き出して来た。
陽子は賢作が人工無脳であることをこういった瞬間に実感する。
あくまでもデータベース上から返答として相応しいものを探すため、その検索結果にはゆらぎ、波が必ず存在する。
テレビなどの情報媒体で拡散されたミームを拾うことも多く、集団無意識とでも表現すべき存在、それが人工無脳、賢作の限界であり、習性だった。
今、会話はしているが、この事務所には陽子はただ一人。ただ一人でこの事件に挑んでいくことを痛感しながら、夜は深く、黒くなっていった。
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