第64話 山田静子と速水桐花



「山田…、さんが…、何故?」



「お見舞いですよ。…それでは速水さんのお母さん、少し二人で話したいので、席を外して頂けますか?」



 !? 何を言って…?

 そんなの、駄目に…



「あ、はい。わかりました」



「っ!? ちょっとお母さん!? 待って!」



 これはおかしい…

 いつも私の事を最優先に考えてくれるお母さんが、私の意見も聞かずに人を通すなんて、あり得ない。



「少し暗示をかけさせて頂きましたので、呼び止めても無駄ですよ」



 暗示…?

 暗示って、何…?

 山田さんは、一体何を?



「それでは、失礼いたしますね」



 そう言って、彼女は私の部屋のドアを開き始める。

 本当であればそれを阻止する為にドア押さえつけるべきだったのだろうけど、私は恐怖から思わず後ずさってしまった。

 しまった、と思った時には時すでに遅く、山田さんは私の部屋に入りこんでいた。


 …久しぶりに見た山田さんは、あの日の傷がまだ残っているのか、眼帯を付けていた…



「そう怯えないでください。確かに少し痛い思いもしましたが、これは自業自得でもあるので、特に恨んではいませんよ。それより、今日はその事について謝罪と、これからの事について相談に来ました」



 山田さんが何を言っているのか、私には理解できなかった。

 謝罪? 謝罪をさせに来たの間違いでは無く?

 それに、これからの事って、どういう事?



「さて、まずは謝罪についてですが、こちらを見て頂きましょうか」



 そう言って、山田さんは学校の鞄から布に包まれた何かを取り出した。

 布は簡易的に巻き付けられただけだったようで、すぐにその中身があらわになる。

 それと同時に、彼女の後ろ手で部屋の扉が閉まる。



「ひぃっ!?」



 その音と彼女の手に握られているモノを見て、私は思わず尻餅をついてしまった。



「見覚え、ありますよね…? これは、貴方が使用していた、呪物です」





 ◇





「なぁ、本当に山田を一人で行かせて良かったのかよ?」



「静子が自ら言い出したことだし、問題無いと思うよ」



「…随分と信頼しているんだな」



「付き合いが長いからね」



 現在、俺と尾田君、そして如月君は、速水家の最寄り駅にある喫茶店で一緒にお茶をしている所である。

 当然だが、仲良くお茶をしてボーイズトーク等をしているわけではない。

 目的は静子の護衛である。

 そうでなければ、わざわざ男三人でこんなお洒落な喫茶店に入ったりはしない。

 本当はファミレスなどのもっと客層がまばらな店にしたかったのだが、立地的に条件が合う店がここしか無く、やむを得ずといった感じだ…



「おい尾田! 兄者が平気だって言ってるんだから問題ないに決まっているだろう!」



「…シンヤ君、外では兄者と呼ばないようにと言ったはずだけど?」



 もう、本当に勘弁してほしい。

 ほら、あの女子高生達も変な目で見てるじゃないか…

 ただでさえ目立っているというのに…



「す、すみません…」



 俺が注意すると、如月君は途端に萎縮してしまう。

 うーん、彼ってこんなキャラだっけ…

 あの件から本当にガラリと性格が変わってしまったようで、何か怖い。

 別に魔術的なものは何も使っていないんだが…



「…まあ、如月が言うように山田の事は問題無いと思うんだがよ、俺が気になっているのは速水の方でな…。山田のあの目って、速水にやられたんだろ? …恨んでたりしないのか?」



「…ああ、成程。尾田君は、静子が復讐心から何かしやしないかと思っているんだね?」



「まあ、な」



「尾田! 山田さんがそんな事するわけ…」



「いや、シンヤ君。尾田君の心配はもっともだと思うよ」



「そ、そうですか?」



「静子を信用してくれるシンヤ君の気持ちは嬉しいがね。ただ、人間の感情は複雑なものだよ…。何も考えていないような人間でも、中身までそうだとは限らない。今回の件で、それは良くわかっただろう?」



「た、確かに…。でも、じゃあ、山田さんは…?」



「その上で、断言させてもらうよ。静子は、絶対にそんな事をしない。それは俺が保証する」



 長い付き合いだからこそ、これだけは断言が出来る。

 静子は別に聖人君子というわけではないが、俺とした約束を今まで一度も破った事が無いのだ。

 それが例え、命に関わるような事でさえ…



(静子もある意味、速水さんと同様に歪んだ人間なんだよな…)





 ◇





「…良かったです。ししょ…、良助君は呪いに関する知識にロックをかけたと言っていましたが、これ・・自体の記憶は消していないようですね…」



 私には山田さんが何を言っているのか、半分以上理解できなかった。

 ただ、アレが何なのかは良く知っている。何せ同じものを、私は所有していたのだから。

 …アレは駄目だ。アレには近寄ってはならない。アレに触れてはならない。



「…成程。これ自体の記憶を消すのではなく、これ自体に拒否反応を持つように暗示をかけたのですね。確かにその方が効率が良いし、記憶を操作するよりも確実性が高い…。勉強になります」



 山田さんはそう言いながら、徐々に私に近づいてくる。



「ひぃっ! いや! ち、近寄らないでっっっ!」



 私は尻餅をついたまま後ずさるが、部屋の広さなどたかが知れており、すぐに壁に到達してしまう。



「安心して下さい。これを貴方に使うつもりは、ありませんから」



 そんな事を言われても、信用なんか出来るワケがない。

 アレは人に害を成すものだ。

 現に私は、アレを利用して鴫沢さんと山田さんを…

 山田さんは私を恨んでいる筈だ。だから、きっと…



「ふむ、これで何ができるかも、ちゃんと覚えているようですね。手間が省けました」



 そう言って山田さんは、アレを自分の胸の前に持ってき、祈るようなポーズをとる。



「ご存知の通り、これはこのように祈る事で思い描いた相手に天罰を下すことが出来ます。これの優れた点は、多くの人間がより簡素に扱うことが出来るよう、呪文自体を内蔵している事です。意識しただけで扱える為、年齢や性別を問わず利用できる素晴らしいアイテムだと思います。使い方を間違えなければ、ですが…」



 それが何だというのだろうか。

 山田さんの言っていることの大半は理解できなかったが、アレが危険なものであることは言われなくても理解している。

 今更そんな事を説明されても………っ!?


 そうか…。これは多分だけど、脅しなのかもしれない

 簡単に扱える。それはつまり、山田さんが私に使用するのも簡単だと言う事である。


 事前に山田さんは、私にアレを使うつもりは無い、と言った。

 では、何故わざわざアレを取り出したのか? …その答えは簡単だ。

 山田さんはアレを使って復讐するのではなく、脅すことで私に何か要求するつもりなのだ。



「…ふふっ、わざわざ脅さなくても、私はもう何もする気無いよ? 学校だってもう行くつもり無いし、いっそこのまま、死んじゃおうかと思っていたくらいなんだから…」



 そうだ。さっきあのタイミングでお母さんに声を掛けられなかったら、本当に今頃は…



「いえ、それは速水さんの勘違いです。先程も言ったように、私はこれを貴方に使うつもりはありませんし、脅す気もありません。そもそも、私にそんな事をする資格は無いのですよ」



 資格が、無い?

 そんなワケはない! だって、その顔の傷は、私が…



「今から、その事について説明させて頂きます。先程、これについて優れた点を述べましたが、当然悪い点も存在します。誰でも扱えるという点は利点でもあり欠点でもありますからね。素人が銃を扱えば危険なように、これも相応に危険が伴いますから…」



 山田さんは祈る姿勢を解き、笑顔で説明を開始した。



「この呪具には、もう一つ駄目な点があります。それは、思い描くだけで対象に天罰が与えられるという簡易さ故に、雑念があったり集中力を欠いていたりすると、対象を誤ってしまう点です。一応、これには回避策がありまして、今からそれをお見せしましょう」



 そう言って、再び山田さんはアレを胸の前に持ち祈るようなポーズを取る。



「天罰を下す対象は頭の中に思い描く他に、言葉にすることで指定することが出来ます。例えば、このように…、『神よ、どうか山田 静子に、天罰をお与えください』」



「っ!? 山田さん!? 一体何を!?」



 その瞬間、山田さんの顔が苦悶に歪む。

 この光景は、先日私が祈った時と同じものだ。

 山田さんは、何故こんな事を…?



「っく…、相変わらず中々痛いですね…。ですが…」



 しかし、その瞬間驚くべき事が起こる。

 山田さんの周囲に漂っていた歪みのような空気が、弾け飛んだのである。



「ふぅ…、うまくいきましたね」



「これは、一体…? どういう事、なの?」



 状況に頭がついてこなかった。

 確かに、山田さんには天罰が下ったように見えた。

 でも、今の山田さんには何も変化が表れていない…

 何故…?



「驚かせてすみません。ですが、直接お見せした方が理解しやすいと思いましたので」



「理解…?」



「ええ、見ての通り、私はこの天罰を自力で解除可能だったのですよ。あの時も、ね」



「っ!?」



 何を言って…?

 それでは、まるで…



「ええ、速水さんの想像通り、私はあの時、わざと・・・この天罰を受け入れたのですよ。だからこの傷は、自業自得なのですよ」



「そ、そんな!? なんでそんな事を!?」



 自ら天罰を受け入れた?

 一体何故? そんな事をするメリットが思いつかない。



「理由は簡単です。良助君に心配してもらう為ですよ」



「っ!?」



「私は一重ちゃんのように容姿が良いわけでもありませんし、スタイルも良くありません。それでも、この気持ちだけは負けていないつもりです。ですが、だからと言って一重ちゃんから良助君を奪いたい、というワケでは無いのですよ。私にとっては、一重ちゃんもまた、大切な人なのですから」



 そう言って、山田さんはアレを布で包み込み、鞄にしまった。



「だから、今回の件は私の悪戯というか、ヤキモチというか、それが招いた結果なので、速水さんが自分を責める必要は無いのですよ。むしろ、私の我儘に巻き込んだことを謝りたかったのです…。今日ここに来たのは、それが一番の目的なんですよ」



 山田さんは、本当に済まなそうな顔をして頭を下げてきた。

 正直、山田さんの言葉に、私はただただ混乱していた。


 それでも…、まとまらない頭で、真っ先に浮かんできた言葉があった。



「…本当に、そんな事の為に、天罰を、受け入れたの?」



 私の脳裏にはかつての鴫沢さん、そして先日の山田さんの顔が脳裏に刻み込まれている。

 焼けたように爛れ、醜く歪んだ、化け物のような顔。

 そんな理由だけでアレを受け入れられるなんて、到底思えなかったから。



「ええ、良助君なら、きっとそんな私でも受け入れてくれると信じていましたから。…まあ、それと同じくらいに治してくれるとも信じていましたがね」



 信じられなかった。

 いや、信じたくなかったのかもしれない。


 まさか、山田さんがそんなにも神山君の事を信じているだなんて…

 これでは、私の思いなんて、到底…



「…異常だよ」



 私は悔しさ交じりで、そんな事しか言えなかった。



「ええ、私も速水さんと同じで、ちょっと異常なんですよ。…でも、だからこそ、私たちは友達になれると思うんです」



 山田さんは、そう言って私に手を差し伸べてくる。

 本当に、山田さんは何を言っているのだろうか?

 とてもじゃないけど、そんな事を言い出す雰囲気では無いと思う。

 いや、この状況でそんな事を言い出すこと自体が、彼女の異常性を示しているのかもしれないけど…


 でも、それなのに、…何故だろうか?


 気づくと、私は彼女の手を取っていたのだ。



「これからは、友達としてよろしくお願いしますね。速水さん」




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