カフェ・ド・アミサル
綺麗な砂浜の隅っこにポツンと佇む小洒落た喫茶店。
その名はカフェ・ド・アミサル。
オールホワイトの外観に白を基調とした内装。
そんな店のマスターもまた、ロマンスグレーの優しげな老紳士であった。
常に穏やかなマスターの怒った顔を見た者も、張り上げた声を聞いた者も居ない。
それはまるで、優しいリズムで砂浜に寄せては返すさざ波のよう。
ごくたまに、カフェの客同士が何かしらの理由で口論をし始めることがある。
そんな時、マスターは一言こう呟く。
「仲良くやりましょうよ。ほら、ちょうど焼き上がったばかりのクッキーをサービスしますので。もちろん、いま店内に居る皆様に」
すると、踏み荒らされた砂浜を波がさらうように、店内はまっさらな状態に戻る。
マスターのいれるコーヒーは絶品だったが、マスターが作るクッキーは天下一品だった。
いや、クッキーに限らず料理全般、どこで磨いたのか不思議なほど美味しさが輝きを放っていた。
しかし、マスターの料理について大きな疑問がある。
それは、海の幸を使ったメニューがひとつも無い…ということ。
店のすぐ外にはこんな綺麗な海が広がっており、歩いて十数分の場所に日本有数の漁港があるにも関わらず、だ。
前に1度、その件についてマスターに尋ねてみたことがあった。
「ああ、すみません。あの日の事を思い出してしまって、どうも手を付けることが出来ないんですよ……」
マスターは遠い目をしながら静かに答えた。
あの日の事?
もしかして、マスターは以前どこかの料理店でコックをしていて、その時に魚介類の食あたり騒ぎでも起こしてしまったとか……いや、まさか。
誠実で思慮深いマスターに限って、そんなミスをするとは到底思えない。
何かきっと、私なんかじゃ想像も付かないような優しい理由なんだろう……。
このカフェに関する謎はもう2つある。
1つは、レジの奥の棚に置かれた黒い箱。
漆塗りの立派な弁当箱……私はそう思っていたのだが、マスターがその箱を開けてる所を1度たりとも見たことが無い。
その件についてもマスターに尋ねてみたことがあったのだが……。
「すみません。わけあって絶対に開けられないんです。もしかしたら大丈夫なのかも知れませんが、万が一この上さらになんてことになったら……」
マスターは遠い目をしながら、申しわけ無さそうにペコリと頭を下げた。
謝るのは不躾な質問をした私の方ですと頭を下げ返しつつ、「この上さらに」という言葉が気になって仕方が無かった。
そして、残る最後の謎はお店の名前。
カフェ・ド・アミサル。
フランス語で『カフェ・ド・●●』は『●●のカフェ』という意味らしい。
つまり、この店は『アミサルのカフェ』となる。
直感的に捉えるなら、『アミサル』とはマスターを現す何かなのでは……と言っても、明確な答えが全く思い浮かばない。
マスターのあだ名?
いや、それともマスター自身の苗字が『網猿』とかそういうことなのだろうか……気になりだしたら質問せずには居られない性分の私は、懲りずにまたマスターに質問を投げかけてしまった。
すると、これまで2つの謎とは違い、マスターはハッキリとした答えを返してくれた。
「はい、確かにアミサルは私の事です。ただ、自分の苗字をそのままカフェの名前にするとなると恥ずかしいので、少しだけ捻っているんです。まず、アミサルをローマ字に変換してみて下さい。そして、それを逆から読んだものが、私の苗字になるんです」
おお、そういうことか!
アミサルのローマ字表記は……AMISARU。
それを逆から読むと……あっ……。
〈了〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます