35話「擬反魂(もどきはんごん)」

「特別に強い怨念を持った悪霊を、更にこの世に定着させる|擬反魂_もどきはんごん》……」

 その部屋の住人は、自分のデスクの上のにロウソクの明かりだけで本を読んでいる。部屋の明かりは全て消し、カーテンも閉めている。そして、夜も深い。住人の部屋を照らすのは、カーテンから僅かに差し込む、夜の町を照らしている蛍光灯と、百円ライターで付けられたロウソクの火だけだ。

「由来は反魂になりそこねるという意味から来ている……」

 暗い部屋の中にロウソクの明かりだけをつけて本を読む時間は、住人にとって至福の時だった。こういったオカルト、とりわけ呪いの本はスリリングで、住人の心を満たしてくれている。暗い中では特にだ。


 闇。人々が根源的に不安に思うそれは、住人にとっても同じだった。闇の中から、何者かが出てくるかもしれない。恐怖、そして不安が住人を襲う。しかし、そんな刺激がたまらない。

 こんな呪いの本を、闇の中で見ているのだから、なにか得体の知れない存在の手が体を触れてくることくらい、あるのではないか。この空間は、そう思わせてくれる空間だ。


「この呪いには、反魂鏡という道具が必要になる、作り方は……」

 図書館の隅っこ、忘れられ、誰も近寄らないのではないかという雰囲気を醸し出している空間に、ひっそりと置かれていた、この本。住人の心は、この本を一目見た時からこの本に惹きつけられた。


「呪い指南」


 シンプルな名前だが、だからこそ、他の本には無い本物っぽさを感じた。「本当にある」とか「危険!」だとかの余計な文言の無いこの本に、インチキ臭さを感じなかったのだ。人の目を避けるように、図書館の隅っこに置かれていたのも雰囲気があって良い。掘り出し物を見つけた住人は、心を躍らせながら貸し出しカウンターへと向かっていったのだった。

 実際、この本に書いてある、いくつかの呪いについては本当に効果があった。住人は、一時的であれ、霊を見ることができるのだ。そして……住人の目に映ったのは、怒り狂った吉田の姿だった。

 住人は、その吉田の幽霊の姿を見るなり思った。これは利用できると。

 杉村という刑事の魂についても、同様のことが発生しそうになったが……それは早々に、忌々しい巫女服の女によって祓われてしまった。残念な事だ。そういった魂が二つも同時に生まれることなど、滅多に無いというのに。住人は、その事を思い出す度、深い怒りの念に襲われる。

 ……しかし、怨霊となった魂に出会えること自体が稀だ。一つだけでも十分に楽しめそうだ。本のページをめくる住人の口元が緩む。


 |擬反魂_もどきはんごん》の説明は、擬反魂もどきはんごんの図解を含めて見開き四ページにも及んでいる。本当の呪いの目星を付けるのは得意だ。住人の口元が、更に緩む。やはりこれだ。これは本物に違いない。住人の興奮が高まる。住人は自信を露にした。この呪いが住人の嗅覚を無性にくすぐるからだ。


 住人のギラギラとした目が、何回も「呪い指南」の|擬反魂_もどきはんごん》の項目を撫でる。住人の頭はフル回転した。日付、天候、道具……様々な条件が、住人の頭を駆け巡る。呪いは得てして、時刻や天候、または必要な道具を要求してくるが、この呪いもその例に漏れない。いくつかの条件下でしか使用できない類のものだ。しかし、裏を返せば、それだけ強力だということでもある。

 ……まず、場所は決まった。吉田が死んだ、あの場所だ。


 部屋のカーテンが大きく揺らぎ、外から吹き込む風が、住人の頬を撫でる。そして、朝方の薄明りが、住人の部屋をさりげなく照らした。






「良かったー! 多分、まだ桃井君が家を出る前に着けそうだよ!」

 悠が胸を撫で下ろした。

「そうなのか? じゃあ、もう走らなくてもいいか……」

「うん、桃井君ちは、もう目と鼻の先だから」

「そうか、ふー……結構疲れたな」

 駿一宅から桃井宅まで、結構な距離があった。駿一は、肩で息をして、体中にジワリと汗をかいている。


「ま、いい運動にはなったか……てか、何で桃井が家を出る時刻が分かるんだよ。お前、霊になって、何か変な能力に目覚めたんじゃなかろうな?」

 駿一が悠を警戒して、二歩ほど後ろに下がった。以前なら、超能力など信じるはずもなかったが、駿一は本物の除霊師、本物の妖怪、本物の怪力女、本物の宇宙人と出会ってしまった。これでは、さすがの駿一も、そういった心霊以外のオカルトを信じざるを得ない。そして、自分についても、超霊媒体質は、一種の超能力なのではないかと思い始めている。


「違うよー、地道な尾行の結果だよ! 桃井君、大体出る時間が決まってるんだよねー」

「自慢げな笑顔で言うな! もはやストーカーだぞそれ!」

「ストーカーじゃないよー! だって、駿一の事だって、いつも見てるもん! だから、そんなに避けないでよ!」

 悠はそう言いながら、二歩引いた駿一の方へとすり寄ってきた。


「ああ、くそっ! 寒気もするし、暑苦しいし!」

 霊にいつも見てると言われ、しかも、悠の言うことを察するに、どうやら今の桃井と同じくらい、自分も見られているらしいという事が分かって、駿一は背筋を凍らせた。と同時に、こんな風に厚かましさ全開で密着してくる悠自身も、霊なので透けて通るとはいえ、物凄く暑苦しく感じる。実にわけが分からず、実に不条理で、実にイライラする。


「ああっ! 駿一、ここだよ! この電柱に隠れて!」


「おっと、ここか……結構、隠れる所、無いんだな」

 駿一は、きょろきょろと周りを見渡した。何の変哲も無い住宅街である。この辺りの家には塀が少なく、見通しが良い。桃井の自宅を見るためには、自販機と、自販機の近くに立っている電柱を利用して身を隠すしかなさそうだ。

 桃井の家から左に曲がった所にある脇道は身を隠すのに適していそうだが……


「あっちの方が隠れ易そうだが……」

「あっちは桃井君が曲がる場所だから、そこに居たら鉢合わせになっちゃうよ」

「ふうん……やっぱりそうなのか……」

 予想はしていたが、やはりそういうことらしい。とすると、やはり、隠れ場所はここしかなさそうだ。


「てか、昨日だろ、荷物を結構な量、持って家を出たの」

「でも、多分、今日もそうするよ。殆ど毎日だもん」

「本当にそうなのかぁ?」

 駿一は、疑念の心を抱きながらじろりと悠の方を見る。悠は今まで以上に楽しそうに、桃井の家の玄関を見ているだけだ。

 周りに「うきうき」という字が目に見えて現れそうなそうなくらいに目を輝かせている悠に、駿一は呆れた。何がそんなに楽しいのか。女の、特に悠の気持ちは本当に良く分からん。


「あっ、出たよ! やっぱりリュックしょってる!」

「ああ? ……本当だな、あいつもあいつで何やってんだ……」

 玄関を出た桃井を、駿一が目を凝らして見た。確かに、リュックサックの膨らみから察するに、相当に中の荷物は多いようだ。桃井は迷いを感じさせずに明確に玄関を左に曲がり、更に左へと道を曲がっていった。

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