第13章 エッジ(12)

 

 

 佐和山には、当然礼韻は何度も訪れたことがある。しかし現代のそれは山肌に土塁や石垣などがかろうじて残るだけの荒れた城跡で、今、この世界の佐和山城は堂々と天守がそびえていた。山の上にそれを見上げた礼韻は感が極まり、知らず、頬に涙が伝った。

 

 隊列の速度はがくんと落ちた。佐和山城は佐和山のほぼ頂上。またこの山は勾配がきつい。10キロほどの行軍の終いに待つ急な登り道は、激戦で疲れきった足軽たちの足を鈍らせた。

 

 一歩一歩、高度が上がるごとに琵琶湖が鮮明に見えてくる。現代の佐和山跡地は彦根城を見下ろせるが、この時代には、その城はまだない。

 

 隊列は長い。先頭の宇喜田は城に達したようだった。周りに人が多くいて、望遠鏡を出せないのがもどかしい。礼韻たちは現代から持ち込んだ七つ道具を身に忍ばせていたが、どうしてもというとき以外は出さないように取り決めていた。

 

 優丸は目が極端によく、そしてなぜか武将の顔を知り尽くしている。その優丸が、先頭が宇喜田で殿しんがりが安国寺だと拈華微笑で2人に教えた。

 

「安国寺は、本来なら先頭に位置したいところだろう。しかし関ヶ原でなんの働きもなく、ここは遠慮したんだろうな。重要な殿を受け持てば、まだ恰好がつくというものだ」

 

 礼韻が皮肉な調子で優丸に返す。優丸がこくりと頷いた。

 

 これほどの大所帯が城内に入れるわけがない。小隊は、それぞれ城の周囲、思い思いの場所で陣を張った。

 

 当主を失った小早川隊は西軍における地位も低く、城外での陣張りとなった。しかしこれは、3人には好都合だった。この方が目立たなく、自由が効くからだ。

 

 小早川秀秋も平岡頼勝もいない小早川隊。臨時に率いているのは、家老の松野重元だった。小早川隆景が当主だった頃にいた有力家臣は、多くが去っていた。兵の数こそ多いが、小早川軍は有力者の人材不足に陥っていた。

 

 関ケ原の合戦のなか、小早川秀秋が絶命したあと、隊を東軍に向かわせたのはこの松野重元だった。合戦前から平岡頼勝を不審視していた松野は鉄砲隊に指示し、混乱に紛れて密かに倒す。間を置かず、東軍から派遣されていた奥平貞治と大久保猪之助も撃った。これで寝返りの元は断たれ、16000の大軍団がひとつとなって東軍に向かえることになった。小早川軍が死に体の大玉となって家康本陣を急襲したことが、東軍壊滅の大きな原因となったのだ。その点では、このパラレルワールドでの隠れた殊勲者は松野重元と言えた。

 

 まわってきた昼飯を食ったあと、礼韻は一人、佐和山城の城門に向かった。

 

 西軍は絶対的な権力者がいないからか、それぞれがばらばらに行動している。こういう雰囲気の中では、多少自由に動き回っても問題ない。しばらくおとなしくしていた方が安全だとは分かっていたが、礼韻は衝動を抑えられず、城へと向かっていった。

 

 険しい山の頂上付近に建つ佐和山城。すでに樹々が枯れる時期で、枝の間から琵琶湖が見える。その琵琶湖に向かったかたちで、城門は開いていた。

 

 このなかに本物の三成が、と思うと鼓動が早まった。これが宗教的に崇拝している人間であれば手を合わせたいところだが、武将であれば、どのように態度で示せばいいのか分からない。礼韻はじっと立ち尽くしていた。

 

 そこに、城中から馬上の話し声が聞こえた。

 

 たった数騎。並足で近付いて来る。よく通る声だが、抑揚した口調で荒々しさが微塵もない。背筋が伸び、馬を膂力で抑えつける風でもなく、ツツッと数歩、馬が速ったときだけ、ぐらりとうしろに上体を持っていかれた。細身で小柄に見えるのは、横に付く者がことさら大柄だからだ。それが誰なのか、礼韻は直感で分かった。

 

 

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