第11章 裏切り(9)


「いよいよだな。もうすぐだ」


 礼韻が呟く。いつの間にか、再び震えが走っている。


 涼香もまた、寒さからではない、昂った気持からの震えが抑えられないでいた。


 間もなく、日本史上でも指折りの、裏切りと逆転劇が起こる。そしてそれを、目の前に観ることになる。震えが起こっても当然だ。涼香はそっと、礼韻の腰に手のひらを置いた。


 この合戦を有名なものにしている要因はいくつもある。裏切りや逆転を含めたドラマ性、登場人物の知名度、期間と勝敗の明確さ、など。


 そしてもうひとつ、戦いの全貌がつかみやすいということがある。


 関ヶ原の合戦は戦いの部類では「野戦」だが、野山を駆け巡ることはなく、まるで城攻めのように戦の場が固定して動かない。そしてまた、各武将の配置が収束までほとんど変わらない。図で示されなくても、位置関係がつかみやすいのだ。


 配置は、関ヶ原の場を四角い箱と考えれば把握しやすい。右上には家康が、左上には三成が陣取る。この2人が総司令官。左下に小早川秀秋がいて、この三成から小早川まで降りていく間に、島津、小西、宇喜田、大谷ら西軍の各武将がいる。要は左側面にラインを作り、右から左へ進んでいこうとする家康ら東軍を通せんぼしているのだ。


 名だたる東軍諸将は、西軍のラインの少し右側に並んでいる。上部に三成がいるということで、東軍のラインは上の方が過密になっている。


 残る右下は、毛利・吉川の陣取る南宮山。そんな配置から合戦が始まり、この形は戦いが終わるまでほとんど変わらない。


 この昼に、家康は四角形の右端部分から上部中央までグイッと進んだ。合戦中、唯一の大きな動きといえるもので、そしてこの動きが、東軍に勝利を呼ぶものでもあった。


 家康の前進に、東軍各武将の動きが活発になった。圧されている状況に家康が憤慨していることを感じたからだ。この進軍は家康の激だと、それぞれの武将が恐れたのだ。


 そしてもうひとつ、動きがことさら慌ただしくなった武将がいた。家康から裏切りを指示されていた西軍の小早川秀秋だ。


 礼韻たちは肉眼ですら見える地点に陣取っている。それほどの近距離であれば、高性能の望遠鏡なら表情まで覗ける。彼ら3人はその幼い小さな顔を見ていた。小早川秀秋は絶えず唇を震わせ、目を泳がせ、となりに侍る平岡頼勝に話しかけていた。


 


 

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