罪悪感の苦しみ

 百合花ゆりかお姉様は、時間を掛けて少しずつ精神が落ち着いてきた。

 ずっとフォローに尽くしていた英梨花えりかお姉様と、何も知らない蓮花れんかは喜んだ。そして……恋人である、明亜あくあも。

 明亜は、回復した百合花お姉様の前に平然と顔を出して交際を続けた。

 百合花お姉様は、明亜を愛する気持ちがまだ残っているようだった。

 会う事を禁止した英梨花お姉様に見つからないように、百合花お姉様は明亜と文通して連絡を取っていた。

 当然、私と会う時間は、前よりも減ってしまった。

 だからすぐ、百合花お姉様と明亜が交際を再開させた事を知る事が出来た。

 その頃の私は、明亜への気持ちが抑えられなくなっていた。

 彼の姿を見るだけで、声を聞くだけで、寂しさは紛れて幸福が得られた。

 彼が望むのなら、いつでもどこでも、今すぐにでも会いに行きたいくらい。

 彼とずっと片時も離れず、ずっとずっと傍にいたい。寄り添っていたい。

 私は自覚できる程、明亜の虜になっていた。

 だから……不確定の関係への焦燥感で、明亜に迫ることが増えた。


「ねえ……明亜は私の事、好きなのですか?」

「好きだよ」

「百合花お姉様と私、どちらが好きですか?」

「二人とも好きさ」

「……では、どちらの方が、好きの度合いが大きいですか?」

茉莉花まりか……僕は君と一緒にいれると幸せな気持ちになれる。

 だから、茉莉花は特別な人なんだよ」


 言葉と共に、頭を撫でられても……私の気持ちは晴れなかった。

 いずれ、明亜は百合花お姉様の元へ行ってしまう。

 そして紛れもない愛を、百合花お姉様にも囁く。

 百合花お姉様のところに行かないで!

 ……そう叫べたら、どんなにいいだろう? でも出来ない。

 だって明亜に嫌われたくなかったから。

 初めての恋が実ったのに、それを自らの手で摘み取ってしまうなんて。

 ……私は、手に入れたいものは努力をして勝ち取って来た。

 今回のことだって同じだ。私は、私の出来る努力をしよう。


 あの日は、朝から雨で気分が落ち込んでいた。

 雨の日なのに落ち込むどころか、いつもと変わらず元気いっぱいの蓮花が、隣の部屋で数多のぬいぐるみ相手に、はしゃいでいる声が耳障りだった。

 思考を巡らすことを妨げる笑い声に我慢ならず、私は隣の部屋へ向かった。


「蓮花!!」

「あっ、まりおねえちゃま! あのね」

「もう、静かにして! 静かに遊べないのなら、遊ばないで!」

「だって、今日はアルファとシータのけっこんしきなんだよ?」

「――――はあ? 結婚式?」

「まりおねえちゃまも、しゅくふくしてね!」


 蓮花が抱える、二つのビスクドール。

 お姉様達から譲り受けた、男の子のビスクドール。

 そして明亜からのクリスマスプレゼント、女の子のビスクドール。

 明亜に手渡された時、無邪気に笑っていた蓮花を思い出した。

 私は、シータと名付けられた人形を手に取った。

 どこか百合花お姉様に似ている気がした。

 衝動的に頭を鷲掴みにして、気が付いたら首をへし折っていた。

 火がついたように大泣きする蓮花。

 泣き声を聞きつけて、すぐにお姉様達が部屋にやって来た。

 百合花お姉様は、泣いている蓮花を慰めた。

 そして英梨花お姉様は、私に詰め寄った。


「何をしているの、茉莉花!」

「……うるさくして私の思考の邪魔をした、蓮花が悪いのよ」

「その指輪は何っ?」

「何よ、指輪くらい着けていても良いでしょう?――――痛っ」


 英梨花お姉様は、私の右手を掴み上げた。


「本物の宝石を使った指輪を買えるはずないでしょ!

 一体、誰から貰ったの!? まさか……盗んだんじゃ!?」

「失礼ね! これは、明亜からのプレゼントよ!!」

「渡しなさい。13歳で、身に着けていい代物じゃないわ」

「何で!? 恋人から貰ったのよ! 身に着けて何が悪いの!」


 空気が凍りついたのを、肌で感じた。

 この発言を聞いた一週間後……百合花お姉様は自殺した。



 百合花お姉様が死んで、明亜は屋敷に来なくなった。

 英梨花お姉様は葬儀の準備をてきぱきこなし、親族が心配するほど気丈に振る舞っていた。働いていないと、駄目だったのだろう。

 蓮花は、姉との永遠の別れだと知ると、泣き喚いて手がつけられなかった。

 私は始終、具合が悪くて、葬式は半分も出れなかった。

 百合花お姉様の死の原因が、私のせいであると……既に親戚中に知れ渡っているのかもしれないと思った。

 彼らの前で、とてもじゃないが普通に振る舞うことなど出来なかった。

 英梨花お姉様も、心の奥では私の事を殺したいほど憎んでいるに違いない。

 私が、百合花お姉様を死に追いやったのだから。

 七色の毛糸のロープで首を吊った百合花お姉様さえ、毎晩……夢で恨み言を言い続ける。私は毎晩、悪夢にうなされて、夜中に飛び起きる。

 私は、明亜に連絡を取った。

 本家へ電話を掛けて、喫茶店で落ち合うことになった。


「やあ、茉莉花。三週間も顔が見れなくて、とても辛かったよ」

「私も……寂しかった」

「とても具合が悪そうだ」


 メイクアップしても、目の下の隈は隠しきれなかったようだ。


「あんまり見ないで。こんなひどい顔……」

「僕も悲しい。百合花さんは、僕にとっても姉のような人だった」

「――――〝姉〟?」

「そう。僕は一人っ子だからね。

 それを知って、百合花さんは僕を甘えさせてくれた」

「〝恋人〟じゃあ……なかったの?」

「そうだったけど。もう、亡くなってしまったからね」


 胸の奥がザワザワと、蠢いて苦しくなった。


「それで……英梨花と蓮花ちゃんは? 様子はどう?」

「…………わからないわ」

「どうして? 一緒に暮らしているのに」

「もう、長い間、顔を見てない。あまり自室を出てないの」

「ああ……ごめん茉莉花。君も百合花さんを亡くして、苦しんでいるのに」


 私が苦しんでいるのは……悲しみよりも、罪悪感だった。

 でも……明亜は、私より苦しんでいないようだった。


「――――あれ?」


 どうやったら、苦しみをわかってくれるのか考えていた頃……。

 明亜の手元を何気なしに見たら、気付いてしまった。

 一番、気付きたくなかったことを。


「明亜? ブレスレットは?

 誕生日プレゼントとしてあげた、青いブレスレットは!?」

「え? ……そう。あのブレスレットは切れてしまったんだ」

「あ、そうなの? じゃあ、また作り直して」


 私の言葉は、黄色い声にかき消された。

 喫茶店にやってきた、モデル並みに長身の美人は親しげに明亜に近寄った。


「明亜、この前はコンサートに連れて行ってくれてありがとう!

 これ、ほんのお礼の気持ちよ」


 美人は、綺麗に包装された箱を明亜に手渡した。


「あら……妹さん?」

「彼女は、従妹なんだ」

「へえ~? どうも失礼しました」


 美人の後ろ姿を目で追いつつ、明亜は箱を開けた。


「……わあ、腕時計だ! 僕の好きなモデル最新作の!」


 嬉しそうに取り出して、左利きの彼はすぐに腕時計を右手首にはめた。

 明亜の右手首……私のブレスレットが、はめられていたはずだったのに。

 青いブレスレットを贈った時の言葉が、脳裏に浮かんだ。


 『僕の為に……ありがとう、茉莉花。

  一生、大切にするよ。この素晴らしいプレゼント……そして、君も』


「コンサートって、いつ行ったの?」

「え? 二週間前さ。友達がチケットをくれたんだ」

「二週間前? ……嘘でしょ、どうして?

 百合花お姉様が死んで、一週間しか経ってないじゃない……!?」

「友人は、落ち込んだ僕を励まそうとして」

「それで……あなたは……新しい恋人と行ったのね! 最低!!」


 私は、その場を後にした。

 店を出て、家に着くまで一度も振り返らなかった。

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