口論

 先に私から目を逸らしたのは、アルファだった。

 痛みに眉を寄せている私に一言もなく、興味なさそうに視線を外した。

 エリカお姉様も無言で、おもむろに鍵を取り出して差し出して来た。


「これは、私の部屋の鍵よ。どうぞ使って」

「あ……はい」


 先程の冷酷な無表情が嘘のように優しく微笑みながら差し出された鍵を、未だにジクジクと痛む左手首を押さえていた右手で受け取った。

 二階で唯一行けなかった、部屋の鍵を手に入れた。

 私は、エリカお姉様の顔を直視出来ないでいた。

 彼女の顔を見た時から感じている嫌悪感は募るばかり。


「……マリカ」

「は、はい?」

「どうか諦めないでね」

「え?」

「ごめんね。思い出さない方が良いとか、色々言って惑わせて。

 もしかしたら……とてつもなく身勝手なお願いなのかもしれない。

 でもどうか、最後まで……全てを思い出して……お願い」


 家族のこと、犯した罪のこと……全て。

 私自身が辛くて捨てた記憶を……全て。

 私の脳裏に、先程聞いたアルファの言葉が過ぎる。

 『――――断罪は、罪を思い出させてからだ』


「私を裁きたいから……全てを思い出せって言うんでしょ?」


 私は、しっかりとエリカお姉様の目を見て言った。

 お姉様は一瞬、ハッとしてすぐに大きく横に首を振った。


「そうじゃない! そんなわけないじゃない!」

「…………オレは、そうだよ」


 アルファが、つまらなそうに答えた。

 私はビスクドールの言葉よりも、彼女の返事が耳に入った瞬間、蓄積していた嫌悪感が怒りに変化して爆発した。


「嘘吐き。私のことが嫌いなんでしょ?」

「そ、そんなわけないじゃない! どうしたのよ、マリカ!?」

「……最初っから、どうかしているよ!?

 こんな、訳のわからない世界に突然放り込まれて!」

「ちょっと落ち着いて」

「落ち着けない! さっきは殺されかけたんだから!!」


 怒りを吐き出すことが快く、止まらなかった。

 怒鳴りながら、私は……前にも同じような事があったような気がしていた。

 記憶が、徐々に鮮明になっていく……。


 黒条園こくじょうえん 英梨花えりかは、自分にも他人にも厳しい人だ。

 現在、仕事の都合上、一年で数回しか会えない母親と三年間一緒に暮らした事がある英梨花お姉様は、母親から直接指導された礼儀作法を、私や蓮花れんか……妹達に伝えようとした。

 まだ幼い蓮花は素直だった。とても素直で覚えが良かった。

 一方、私の方は……酷かった。注意されれば機嫌をすこぶる悪くして、悪癖のように反抗したり、わざと間違えたりして困らせた。

 しかし幸いなことに普段の言葉遣いは、彼女の基準をクリア出来た。

 だが問題は……食事の作法だった。

 お決まりのように、この食堂で注意された。姉妹全員が揃う、夕食時。

 『姿勢が悪いわね。椅子に深く腰掛けて。ちゃんと背筋を伸ばして』

 『スープをすくう時は手前から奥に向かって。音を立てずに飲むのよ』

 『お肉は、左端から食べ易い大きさで切るの。

  全部切ってしまうのは駄目。みっともないわ』

 『ライスを食べる時も、ナイフとフォークを同時に使うのよ』

 目ざとく間違いを見つけては、一つ残らず注意した。

 それが嫌で嫌で堪らず、私は彼女と共に食事を摂る事をしなくなった。

 自分の部屋に食事を運ばせて、一人で食べた。

 私と英梨花お姉様は、反りが合わなかった。

 いつも、つまらないことで言い争いになった。

 目を合わせるだけで苛々して、無意識に喧嘩を売る言葉を口にしていた。

 本当に、致命的に反りが合わなかったのだ。


「違うのよ、マリカ……誤解よ」


 激昂した私には、エリカお姉様が何を言おうが、無意味だった。


「何が誤解だと言うの? 『思い出さないままの方が、マリカにとっては良いのかもしれない』って言っていたのに、何にも覚えてないと責められないと知った途端『思い出して欲しい』って言った!」

「私はただ、マリカは現実世界に帰るべきだと思っただけ……。

 それに私は……マリカを裁きたいなんて微塵も思っていないわ!」

「嘘よ!! お姉様は、いつも私に対して怒っていたじゃない!

 いつでも私を敵視していて……私のどんなに些細なミスを見つけるやいなや、自分が全て正しいって顔で、ずっと私を正論で責め立てていた!!

 それが……それが、どんなに苦痛だったか!」

「私は――――マリカの為を想って」

「それは、単なる自己満足でしょう!? 私はずっと、嫌だったのよ!!」


 感情の爆発に任せて、私はテーブルを両手で叩いた。

 思っていたより大きな音が響いて、食堂の空気が凍りつく。


「何が……何が『私の為を想って』ですって?

 自分の考えを押し付けようと、口任せに怒鳴っていただけじゃない!

 私に『明亜あくあと付き合うのは、やめなさい』って――――」


 自分の口から出た言葉に、驚いて閉口した。

 そして唐突に、こめかみを万力でしめられているかのような激痛が襲った。

 悲鳴を上げる余裕もなく、私は頭を抱えて蹲った。

 痛みが、忘れていた記憶を無理矢理、起こした。



『あの男と付き合うのを、やめなさい』

『……どうしてですか? 彼は従兄であり、黒条園家の次期当主様ですよ?

 付き合って……何がいけないのですか?」

『何がいけないのか、わからないと言うの?』

『ええ、わかりませんね』

『だってあいつは……』

『あいつ? 英梨花お姉様らしくない乱暴な言葉遣いですね』

『……明亜について、よくない噂を聞いたわ。

 彼は、複数の女性と交際しているのよ。人間性を疑いたくなるわ』

『そんなの、低レベルな根も葉もない噂でしょう?

 まともに気にするだけ貴重な時間の無駄だわ』

『でも! 現に明亜は、茉莉花まりかに関わっているじゃない!

 この前、二人で食事に出かけたでしょう!? 私の友達が見ているのよ!』

『…………何が悪いの。何がいけないの。

 どうして、いつも私が責められなきゃならないの!?

 ……あーわかった! 自分は連れて行って貰えなかったから?

 彼に誘われなかったから拗ねているの? フッ……お子様みたいね!』

『茉莉花……!』

『お姉様が何を言おうとも、私は彼と付き合うのをやめたりしないわ!!

 もう、私のする事に口出ししないで!!』



 思い出した記憶の衝撃に、私はよろめいて椅子から落ちた。


「マリカ!? どうしたの、大丈夫!?」


 慌てて駆け寄って来た、エリカお姉様の手を私は振り払った。

 両手でしっかりと頭を抱えたまま、私は必死に自分を落ち着かせようと深呼吸を何度も繰り返した。

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