怪ノ九十三 走る像

「そういえばあの二宮金次郎の像、撤去されるんだって」


 友人が休み時間の話題として選んだ話に、あたしはしばらくぽかんとした。


「それ、なんだっけ? どっかにあったっけ」

「うちの正門のすぐ近くのさあ、本持ってる子供みたいな像」

「ああ、あれのこと!」


 それくらい印象に薄かった。

 今も、説明されてようやく「そうだったっけ」と思ったくらいだ。


 そういえばそうだ。中学生になってはじめて正門から入ったとき、何か像があるなと思ったけど、あの像のことか。


「建て替えかなにかで?」

「ううん、なんかPTAの人たちから抗議あったんだって。あの像って、歩きながらでも本を読んで勉強したっていう偉い人でしょ。だけど、真似してスマホや本でも読んだら危ないって」

「ふうん? なんかピンとこないなあ」


 そもそも歩きスマホをしてる子は、あの像を見て自分も、なんて思うだろうか?

 スマホを見てるのは単にゲームとかラインとか楽しいことをしてるだけだし。もし注意した時にそんな事を言っても、苦しい言い訳ぐらいにしか思えないかも。

 よくわからないけど、そう考える人もいるのかな、と、あたしの興味はそれくらいだった。

 さっさと話を変えようとしたところで、友人は身を乗り出した。


「で、さあ。あの像って昔は七不思議のひとつだったんだって」

「七不思議? って、学校の七不思議? 花子さんとかの?」

「そうそう。夜中にあの像を見ると、目が光って追いかけてくるんだって」


 急にそんな話が出て来たので、あたしはちょっと身じろいだ。

 だけど、怖い話になって急に興味が出てきたなんてちょっと恥ずかしい。あたしは相変わらず興味はそこそこですよというような反応をし続けた。


「それで、捕まっちゃうと、延々と運動場を引きずられちゃうんだって」

「そういうのって小学校の時のほうがよく聞いたかも」

「だよねー」


 けらけらと笑う友人に、もっと詳しく聞こうとしたけれど、結局話が二転三転してずれているうちに鐘が鳴ってしまった。

 話はそれで終わって、次の時間の準備に入る。


 でも、この学校にも七不思議あったんだ、というかすかな興味は消えなかった。


 それでも学校が終わって塾の時間になると、そんなことはすっかり忘れていた。

 塾が終わるのは九時近く。迎えの車が来る子たちを毎回「いいなあ」と思いながら帰るのが常だ。親が忙しいのもあるけど、単に家の近くにあるからだ。途中からは学校のそばも通るし、そこからは通学路だからまったく知らない道じゃない。

 塾の終わり、あたしはいつもどおり学校の前を通りすぎようとして、ふと昼間の話を思いだした。


 ちらっと正門を見ると、その向こうに二宮金次郎像が佇んでいるのが見えた。

 土台の上でいつも通り(というか普段は見てないけど)本を読んでいる。


 灯りがついているとはいえ、夜の学校は普段と違う気配がしてわくわくする。


「うーん……」


 ちらちらと見てみたけど、目が光る様子はない。

 正門からじゃ職員室までは見えないから、まだ先生たちが残っているかどうかもわからない。

 なんだか子供っぽいなあと自分でも思う。

 諦めて帰ろうとしたとき、ふと視界のなかに学校のフェンスがうつる。


「あれっ」


 フェンスの隙間に穴が開いていた。そこそこの大きさがあって、ここからなら入れそうだった。

 誰か開けたのか、それとも壊れたけれど直してないのか。

 今まで全然気付かなかった。

 ちょっと迷ったけど、夜の学校って面白そう、という誘惑に勝てなかった。あたりに人がいないかを見回してから、そこから忍びこむ。


 中に入ってしまうと、いっそうわくわくした。

 帰るのが遅くなるのは困るけど、その前に帰ればいい。ほんの五、六分のことだ。

 あたしはそそくさと正門近くの像へと向かう。


 像の前まで来ると、改めて像を見上げた。

 だけど、像は歩きだす気配もなければ走りだす気配もなかった。


 なんだか馬鹿みたいだと思う。

 とはいえこういうのは、見てみたけどやっぱりなにもなかったというのが常なのだ。


 学校についている灯りが反射してるから、見方によって目のところが光って見えるのかも、と、ちょっと左右から見てみたりもする。

 すると、ぎらりと目が光ったかと思うと――ばっちりと目があった。


 あ、このへん!


 ――そう思って、ちょっとニヤついた直後のことだった。

 ぐらりと像が傾いたかと思うと、既にその顔面が目の前に迫っていた。


「えっ」


 咄嗟に目の前の出来事が信じられず、走り去ることもできなかった。

 あたしはその後どうすることもできなかった。


 それから耳につくのは、ダッダッダッという妙に重い足音だ。

 他にも以前に捕まったであろう子たちと一緒に、運動場をずっと引きずられている。視界の隅で、既に引きずられて首が曲がってしまった子が見える。あたしはまだ大丈夫だけれど、この首もいつまでもつのかわからない。


 ダッダッダッダッ……


 音は規則正しく、模範的なランナーであり続けている。

 それはひどく正確で、几帳面な性格を思わせた。


 金次郎像が撤去されるなんて嘘だったのかもしれない。


 何しろ、夜が来るたびにあたしたちはずっと引きずられているのだから。

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