堕ちた騎士

 15の時、施設を飛び出した。

 充分金は稼いだ。今まで養ってくれた礼として、稼いだ分から少しばかりの金を置いて。

 施設の職員には良くして貰ったから、『礼』の表現は正しいと思った。

 事実、ここで俺はそれなりの学力を得たから。

 必要は無いと思っていた聖書の勉強も、取り敢えずはやっていたから、それなりの知識はあった。

 意外にも、これが俺の生きる糧になった。

 聖書の内容と『視た』事実を上手く絡めて話すと、大抵の奴は提示した金額よりも多く金をくれたから。

 必要無い勉強は無いな、と密かに思ったものだ。

 俺は同じ所に留まらず、旅をし、占って糧を得るジプシーのような生活をしていた。

 そして、少しばかり都会に来た時の事。

 やはり公園で『視て』占って稼いでいた。

 一週間もすると、噂が噂を呼んでお客が列を成す。

 この日もいつも通り占っていた。

 日も暮れて店仕舞いをしようとした矢先、一人の初老の男が、俺に話し掛ける。

「君が噂の占い師?」

 身綺麗な格好だった。

 金もそこそこ持っていた。

「今日は店仕舞いするかと思っていたけど、いいですよ。視ましょうか?」

 俺はそれなりのキャリアを積んだ。

 解るようになっていた。ただ視て貰いたい人と助けて欲しい人の区別が出来るようになる程度は。

 この初老の男は、後者に当てはまっていた。

 拾って修理した椅子に腰掛けるよう促す。

「さて、何を占います?」

 初老の男は黙ってポケットから写真を取り出し、俺に突き出した。

「三年前に消えた娘を捜して欲しい」

 俺は何の気なしに写真を受け取り、それを視る。


 ドックン!!


 写真を視た瞬間、心臓の鼓動が一つ、爆発したように高鳴った。

「娘は三年前…」

 初老の男が話し出すも、俺の耳には届かない。

 何故なら、俺の耳には『別の声』がうるさい程聞こえてくるからだ。


――イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイイイイイ!!

――タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ!!

――カエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテ!!


 全部違う女の声。

 しかし全部がこう言っていた。


――コロサナイデ…


「ああああああああああああ!!!!」

 頭を抱えて絶叫した。

「ど、どうした!?」

 突然の出来事に、驚く初老の男。周りの人間も全て足を止めて俺を見ていた。

「痛い!頭が痛いっっっ!!」

 割れるような頭の痛みと、破れそうな鼓膜。

 あまりの気分の悪さに嘔吐した。

「だ、大丈夫かい?」

 慌てて俺に駆け寄る初老の男。

 俺は瞬時に写真を突っ返した。

「はぁっ!!はぁっ!!はぁっ!!」

 少しマシになった頭を押さえ、涙目になりながらも『仕事』をする。

「写真の女の人…殺されていました…」

 初老の男は一瞬険しい顔になったが、溜め息を付き、額を押さえて座り込んだ。

「…薄々は……そうじゃないかと…思っていたが………」

 俺は口を袖で拭い、リュックに仕事道具を無言で荷物に詰め込む。

「…なぁ、誰が殺したか、どこに遺体があるか解るかい?」

 ポケットから金を出し、俺に渡しながら訊ねて来る。

 俺は振り向かずに金を奪うように取った。

「解ります」

 解る。

 遺体はここからしばらく行った所の雑木林に埋められている事を教えた。

「犯人は?」

「聞いてどうするんですか?」

 荷物を全て片付けた俺は、その場を去ろうと立ち上がる。

「決まっているさ。警察に通報するか、近くにいるなら仇を討つ!!」

 溜め息を一つ付き、話す俺。

「心配しなくても、殺した奴は指名手配犯。警察はとっくの昔に奴を追っていますよ」

 ならばそいつは何処に居る?と、執拗に効いてくる。

「仇討ち?やめた方がいいです。」

 別に返り討ちに遭い、殺されようが、俺の知った事では無いと付け加えた上で言った。

「相手は悪魔。人間に殺せませんから」

 そう、そいつはお袋を殺したあの時の男。

 背中に無数の娼婦の霊を取り憑かせ、喜んで人の血を啜る殺人鬼。

「本名はピーター・レイシー。勿論今は偽名を使っていますけどね」

 あの時の記憶が、恐怖を呼び覚ます。

 二度と見たくない、二度と関わりたくない……

 俺は何も言わずに歩き出した。

「き、君、気分が悪いのなら、今日は私の家に泊まらないか?」

 善意で言ってくれているのは解る。

 だけど俺は…

「あの男の匂いを、少しでも感じる所に居たくありませんから」

 俺は文字通り『逃げるように』その場を立ち去った。

 それから1ヶ月後、俺は別の土地で占いをしていた。

 写真を視た街から遥か離れた土地。

 それなりの田舎だが、さほど物騒じゃないのが自慢らしい。

 田舎故に客の数は少ないが、何とかやっていけるだろう。そう思い、仕事をする。

 そして、一週間も経った頃だろうか…

「何だろう?何か胸がざわめく…」

 この土地に来てから感じていた解らない不安。

 それが一週間程経過してから、段々と激しくなっていた。

「お?これは珍しい。子供の占い師か」

 そう言って、椅子にどっかと座る。

「あ、いらっしゃい。何を占います?」

 慌てて客に向き合う。

 その客は、ブランドのスーツを着ている、穏やかそうな爺さん。

 白髪の頭を全て後ろに流し、俺を優しそうな目で見ている。

「そうだな…先ずは君が本物か確かめたいが、いいかい?」

「構いませんよ。そういう人、結構いますから」

 試す。

 自分も知っている自分の情報を俺に『視させて』、本物かどうか確かめるというものだ。別に珍しい事じゃない。

 実際、俺はそうやって信用を得てから占う事の方が多かった。

 改めて爺さんを視る。

「…凄い身体ですね」

 爺さんとは思えぬ屈強な身体。スーツ越しでも充分解る。

「…軍人…いや違う…だけど何かと戦う職業…第一線は退いているみたいですが、現役でもある…」

 その爺さんは不思議な爺さんだった。

 穏やかそうで、実は気性が荒く、最前線で戦う部下よりも遥かに強く…

「…何ですかあなたは?」

 俺が出した結論は『化け物に近い人間』だった。それ以外は朧気で、よく解らない。

 爺さんはニカッと笑った。やはり優しそうな笑顔だった。

「其処まで解れば充分だ」

 そう言って、札を数枚、俺の手に渡す。

「困ります。結局解らないんだから。僕は物乞いじゃないんです」

 つっ返そうとした俺の手を、手のひらで制し、留める。

「まぁまぁ。今度は私に占わせてくれよ」

 爺さんは穏やかな顔で笑っていたが、その瞳は拒否する事を許さない。そう言っているようだった。

「まぁ、いいですが…」

 札を手に持ち、爺さんの酔狂に付き合う事にした。

 爺さんは真剣な表情をし、眉根を寄せて俺を見る。

「ほぉ…なかなかの力だな。鍛えれば、私以上だ!」

 爺さんは嬉しそうに笑う。

「鍛えれば?」

「シッ!じっとして…」

 質問しようとしたが、制される俺。

 何なんだ一体?そう思いながら爺さんに続けさせた。

「…ふーむ、闇が覆っているな…」

「闇?」

「ああ、君の心は闇の中だ」

 鼻でフッと笑う。

 そりゃ、こんなガキがこんな身なりで、占いで生計を立ててりゃ、誰だって何かあった、と思うだろう。

「君は感情を捨てたね?無力からか…いや、捨てたんじゃないな、諦めたんだ」

 ドキッとした。

 諦めた。まさに俺は諦めていた。

 笑う事も諦めた。怒る事も諦めた。泣く事も諦めた。

 爺さんは尚も続ける。

「だが、生きる事だけは諦めていないな。それだけで結構」

 満足気に頷く爺さん。しかし、それに反比例して、俺は段々と気味が悪くなった。

「暇潰しなら余所でやってくれませんか!?」

 声を荒げて爺さんを拒絶する。だが、爺さんは全く動じずに俺を見ている。

「…成程…辛いなぁ…辛いが仕方無いから諦める。か…」

 爺さんは立ち上がり、俺の肩をポンと叩く。

「本当は他の騎士に任せるつもりだったが、気が変わった。君、今日の夜に、私とまた会ってくれないか?」

「騎士?気が変わった?何を言っているんだあなたは?」

 肩に添えられた手を払い除ける。

「夜に会ってくれ?素性も知らない人に付き合う事は出来ないよ。生きぬくコツは他人を疑う事だからね」

 いくら親切で言おうが、哀れみで言おうが、俺は他人に心を許した事は無い。

 それはお袋を殺される前から根付いている、俺の防衛本能とも言える。

「ああ、そうか。自己紹介がまだだったね」

 爺さんはニカッと笑い、続ける。

「私はネロ。つい最近ヴァチカンの教皇になったんだ。まぁ、現場が好きだから、たまに悪魔祓いに同行させて貰っているがね」

 俺は爺さんに、まん丸になった目を向けて見ていた。


 爺さんに無理やり引っ張られて、恐らくはこの土地一番のホテルに連れてこられた。

「教皇!あまり勝手に行動をされては困ります!」

 SPらしき人間が、爺さんを取り囲む。

「いいじゃないかたまには。君達より私の方が強いんだから」

 爺さんは窮屈から解放されるように、ネクタイを緩める。

「さぁ、こっちへおいで、アーサー」

 爺さんは俺の肩を抱き、大広間に向かう。

「その少年は?」

「最強を継ぐ者さ」

 SPはそれ以上、何も言わない。改めて俺を食い入るように見たが。

「騎士を大広間に集めて。ああ、彼に着替えを買って来てくれないか」

 黙って頷くSP。俺は何が何だか解らぬまま、ただそこに突っ立ったのみだった。


 大広間に通された俺は、爺さんが引いた椅子に座るよう促される。

 何の事か解らないまま、俺はその椅子に座る。

 爺さんは俺の前にそっと座った。

「私がこの街に来たのはね、悪魔を倒す為なんだよ」

「…僕には関係無いじゃないですか…」

 顔を背ける俺。悪魔退治でも何でも、勝手にやればいい。そう思った。

「関係あるさ。悪魔の名はピーター・レイシー。君のお母さんを騙し、殺した奴だよ」


 ドグン!


「ピーター…レイシー…」


 真っ青になり、ガタガタと震えた。


 キィィィイイイ!!!


 また酷い耳鳴りがしてきた。

 耳を塞ぐ俺に、爺さんはそっと頭に手を置く。

「主よ。記憶に根付く、悪魔を祓いたまえ…」

 イイィィィ…………――

「えっ!?」

 顔を上げ、爺さんを見る。

 あの男に関する何か…被害者の写真やあの男の名前を聞いたら必ず起こる事が…激しい頭痛と耳鳴り、嘔吐が…消えた……!!

「君の中に微量だが入り込んでいたようだね。もう大丈夫」

 爺さんは果てしなく優しい手で、俺の頭に添えた手で、そのまま撫でた。

「は、入り込んでいた…?」

 爺さんは頷くと、俺の前に椅子を引き、それに座って俺を見る。

「悪魔は君を無意識に恐れたんだな。自分を守る為に、君に恐怖を植え付けたんだ」

 それから爺さんは、ゆっくりと俺に説明をした。

「君は凄い霊力を持っている。あの君の母親を殺した悪魔など敵では無い程」

 だから俺に恐怖を植え付け、拒絶反応を高めた、と爺さんは言う。

「…それが本当だとしても、僕には関係ない」

 確かに、あの男に対する恐怖は消えたみたいだが、それはただ『消えた』だけ。お袋の仇を取ろうと言う感情も無い。

「あの悪魔によって奪われたのは、どうやら母親だけじゃないようだ」

 そっと俺を抱き締める爺さん。振り払おうとしたが、何故か俺はそのまま身を預けた。

「怒り、悲しみ、そして喜び…君が奪われたのは感情だ」

「…そうですか。それは生きる為には必要ない物ですね」

 ならば俺は不自由しない。

 身体を離す爺さん。俺の目をジッと見る。

「それでは君は幸せになれない。生きるのが望みならば、喜びがなければならないよ」

 それが『生きる』と言う事だ。

 その時の爺さんの目は、俺を哀れだと、可哀想だとも思っていない、ただ、本当に俺を案じている。そう言う目だった。

「じゃあ僕はどうすればいいんだ!!」

 悪意も哀れみも無い瞳を向けられ、諭された俺は苛立った。

「神の声に耳を傾けなさい。そうすれば道は開ける」

「神?ははっ!!神なんかいない!!」

 いたら俺の人生、少しはマシな筈。

 お袋が殺される前、確かに悪さもしたが、教会で祈った事もある。

 教えに確かに反する事をしただろう。

 だが!!

「神は僕を助けてくれなかった!!」

 地獄のような幼少時代。親父にぶん殴られ、町の子供には石を投げられ、大好きだったお袋も毎日泣いていて…

「神が助けてくれた事なんか一度も無かった!!」

 俺は真っ直ぐ爺さんを見て叫んだ。

 爺さんが言う感情が無くなったと言うのは嘘だ。現に俺は神に憎しみすら抱いている。

「さっきも言った通り、君は強い。神の御加護を必要としない程に」

「だから何だ!?それでも僕は助けて欲しかった!!」

 俺には力が無い。

 加護が必要無いとは言え、俺はガキもガキ。爺さんの言っている事は気休めにしか受け取れなかった。

 爺さんは少し考えながら、ポンと手を叩く。

 そして満笑みを浮かべて俺に顔を近付けてきた。

「じゃあ私が助けよう。君は今日から私の息子になりなさい」

 良い案だ。と言わんばかりの爺さん。

「息子?せめて孫にしてくださいよ!」

 馬鹿馬鹿しい。冗談はやめてくれ。そう言う意味で皮肉を言った。

「いいや、孫は駄目だ。孫は君が愛する人を見付けて、子を成したら孫になるからだ」

「何を馬鹿げた事を…」

「まぁ、細かい事は気にするな。私の歳の事とかな。さて、息子よ。着替えが来たぞ!」

 俺の後ろを見る爺さん。先程のSPが、買い物袋をぶら下げながら立っていた。

「何を勝手に決めている…」

 反論は許さないとばかりに買い物袋を俺に押し付ける爺さん。

「着替えたら食事だ。さて、アーサーは何が好きなのかな?」

 さっきまで『君』だったのが、既に名前で呼ばれている。この強引な爺さんのペースからなかなか逃れられない。

 渋々ながら、着替えをする事にした。

 着替えを済まし、食事を取る。

 温かいスープを飲むのは何年振りの事だろう。

 施設を飛び出してから、パンと水、干し肉の毎日…

 それでも別に悲しいとは思わなかった。

「旨いか?」

 真正面でナイフで肉を切りながら、爺さんが笑いながら聞く。

「おいしいよ、勿論」

 そう、旨かった。旨かった『だけ』だ。

「ふぅ、容易じゃないな」

 苦笑いをする爺さん。食事に感動も喜びも感じない俺に対する言葉なのは、容易に想像ができる。

「まぁ何だ、初めて会ったばかりだ。これからだな息子よ」

「僕は養子にはならないよ。僕を可哀想だと思わなくてもいい。世の中には僕以上に可哀想な子供がいるんだ」

 そっちに行ってくれ。

 そう言う意味で突っぱねる。

 爺さんはナイフを皿に置き、俺を見る。

「悪魔に取り憑かれやすい人間はだね、心が弱い人間だ」

「いきなり何?」

 食いながら問い返す。爺さんはそれに応じた。

「弱い人間と言っても色々さ。楽をしたい、認めたくない、そして、諦める。君は諦めている。生きる事以外は」

「さっきも聞いたよ」

 食い終えてナプキンで口を拭きながら答えた。

「そしてもう一つ、強い人間」

「強い?」

 爺さんはニッと笑った。

「漸く少し興味を持ったね?そう、強い人間さ。強さとは、生まれ持った霊力とでも言うか…悪魔である自身を倒せる可能性がある人間の事だ」

「倒せるなら取り憑かれる前に倒すでしょう?」

 矛盾してないか?と言わんばかりに返す。

「だけど、自分は悪魔なんか倒せない、と思い込んでいるとしたら?」

 解らない事を言う爺さん。俺は多分難しい顔をしていただろう。

「心が弱いと、そう思ってしまうだろう?ならば悪魔にとってチャンスじゃないか?自分を倒す可能性がある人間を、先にやっつけられるんだから」

 何となくだが解った気がした。だから素直に言ってみた。

「僕が悪魔を倒せる可能性がある心が弱い人間だから、僕に恐怖心を植え付けた?」

 爺さんはニッコリ笑って頷いた。

「君は私以上の素質がある。諦めたのは、弱さ故。弱さを取り払う事ができれば、君に敵はいない。お母さんを殺した悪魔なんかイチコロさ」

 親指を立てて、ニカッと笑う爺さん。そして俺の手を取る。

「私は君に私の全てを授けたい。だから私の息子になってくれ。私には君が必要なんだよ」

 必要…俺が必要…

 お袋以外に言われた事が無い言葉…

『必要』…

 他人から初めて言われた言葉…

 いつの間にか、俺は涙を流していた。

 何故泣いているのか、解らない。だが、言葉は出せた。

「僕…まだ生きていていいの…?」

 諦めた。

 爺さんは生きる事以外は諦めていると言ったが、俺はとっくの昔に生きる事すら諦めていたんだ。

 生きる意味が無いと思っていたと言った方が正しいか。

 そんな俺に『必要』だと、君が必要だと言ってくれた爺さん。

 目を開ける事も無く、ただボタボタと零れ落ちる涙を感じていた。

 そんな俺をそっと抱き締める爺さん。

「子の敵は親父の敵だアーサー。君のお母さんを殺した悪魔、私が必ず滅しよう」

 俺はただ頷いた。何回も何回も頷いた。

 お袋の仇じゃなく、『俺の敵』を倒してくれると誓った爺さん。

 頷いたのは、それがただ嬉しかったからだ…


 その日の深夜、俺は『父』に連れられて、とあるアパートの前に来ていた。

「やれやれ、騎士も執事も危険だ危険だと煩い事だな」

 父は頭を掻きながら軽く欠伸をしていた。

「みんな行っては駄目だって止めていたけど…」

「だからこっそり出て来たんじゃないか」

 俺の頭にポンと軽く手を置き、笑う父。

「それにあの中で私より強い者なんていないよ。だから私は後継者を捜していたんだ」

 そう言って腰から剣を取る。

「それは?」

「これは聖剣エクスカリバー。代々ヴァチカン最強に与えられた王の剣さ」

 教皇に就任した今でも、自分の手に在る聖剣。

 それが悔しい、と。自分以上の騎士が居ないから、まだ自分の元に在る、と。

「だが、漸く見つけた。見ろアーサー。剣は君の力になりたい、と騒いでいるよ」

 鞘に収められた切っ先から、微量の炎が立ち上がり、揺らめいている。

 揺らめきは俺に向かっているような感じだ。

 父は俺にエクスカリバーを背負わせた。

「?」

 解らずに父を見上げる。

「持っていなさい。御守りにもなるからね」

「じ、じゃあ丸腰じゃない?」

 今から悪魔退治をする父。他の騎士みたいに銃も持っていない。

「武器はあるさ。勇気と言う武器がね」

 父は笑う。全く不安など感じていなかった。俺と言う『お荷物』が居るにも関わらず。

「全く心配は無い。自分より弱い者にしか殺せない、大した奴でも無いからね」

 父は俺の手を引き、アパートに入る。

 そして何の躊躇いも無く、一室を蹴破った。

「違う人が住んでいたらどうするのさ!!」

「そんな心配もいらないよアーサー。完全に気配を消す事もできない小者だからね」

 そう言いながら部屋にあるドアを片っ端から蹴り破る。

「ふん、呑気に寝ていたか」

 ベッドから上半身を起こし、何が起こったか理解していない様子の『ピーター・レイシー』がそこに居た。

 周りに沢山の娼婦と子供の霊を取り憑かせて…!!

「な、なんだジジイ?」

 明らかに怯えているピーター・レイシー。

 俺は取り憑いている霊魂を視る。


 居た。お袋だ。沢山居る霊魂と共に、泣き叫んで助けを求めている。

 霊魂は父や俺に訴える。

 助けてくれ

 助けてくれ

 助けてくれと。

 お袋も俺に訴えている。

 助けてくれと。

 俺とは知らずに助けを求めているんだ。

 俺は不思議と何の感情も抱かなかった。

 懐かしいお袋の姿を見ても、周りの霊魂と同じように、ただ視ていた。

 悲しみも切なさも愛しさも感じない。俺自身が驚いていた。

「散々殺したなピーター・レイシー。下級悪魔が」

 父がピーター・レイシーに近付く。

「ヴァチカンか!?俺ごとき小物に!?」

 起き上がろうとしたピーター・レイシーに拳を叩き込む父。

「ぎゃああ!!」

 ピーター・レイシーは仰向けに倒れ込む。

「己が小さき者だと言う事は理解しているのか」

 父は胸に掛けていた銀のロザリオをピーター・レイシーに押し付けた。

「ああぁあぁぁぁあああぁあ!!!」

 ロザリオを押し付けられたピーター・レイシーは狂ったように暴れる。

「うるさいな。少し黙れ」

 身体を捻ってロザリオから逃れようとしているピーター・レイシーの顔面に一発、パンチをくれる。

「ごあっっ!!」

 一瞬身体が沈んだピーター・レイシー。その隙にとどめか否か、父が祈る。

「主よ。厄を振り撒く悪魔に裁きを」

「ぎゃああああああああああ!!!!」

 ジリジリと肉が焼ける嫌な匂いと共に、身体が黒い霧となり、飛散していく。

「生きたまま『焼けただれて』いく様はどうだ?」

 父は慈悲の欠片も見せない表情をしたまま、ロザリオを強く押し付けた。

「ああああぁぁぁぁ………」

 ピーター・レイシーは焼けた肉の匂いを残し、消えた。

 俺はそれをただ見ていた。

 そこには全く感情が生まれない。

 気持ちが晴れるとばかり思っていたのに、何の感情も抱かなかった。

 ああ、あいつ死んだんだ。

 それだけしか思わなかった。

「終わった終わった。別に大した奴じゃなかっただろ?」

 父は実際、疲労を見せていなかった。

「そうだね」

 何故『あの程度の小物』に恐怖を抱いていたのか。

 父が言うように、『厄介だから』苦手意識を植え付けた。

 本当にそう思った。

 背負っているエクスカリバーの神気でそう思ったのかもしれない。

「さて、天に還すぞ。最後にお母さんに何か言う事は?」

 纏わり付いている被害者達は、苦痛から解放されているようで、手を重ねて父に祈りながら泣いていた。

 お袋も、ただ、その中の一人。

 何故だろう?抱き付きたいとか、話をしたいとか全く思わない。

 不思議に思うと、そんな俺の頭をポンと叩く父。

「アーサー、君はリハビリが必要だ」

 その時の父の顔は悲しそうで、切なそうで…

 父は俺から離れて十字を切る。

「主の導きに従い、在るべき所に行きなさい。アーメン」

 被害者達の頭上に光が差し込む。

 被害者達はその光を目指して上って行く。勿論、お袋も同じように上って行った。

 全ての被害者が還った。俺は光が消えるまでボーっとそれを見ていた。

 父は後ろからそっと俺の肩を抱く。

「アーサー、奴は君から感情を奪った。だが、それはいずれ元に戻る」

 知っている。俺は父の優しさに触れ、泣いたんだから。

「これから君は悪魔と戦うだろう。だが、そこには憎しみも悲しみも無い、義務感だ」

 それでいい。騎士として敵を斬り捨てる。そこに感情は必要無い筈。

「だが、それでは人間として悲しい」

 それは…そうかもしれない。

「君は弱い。だから感情を沈めたんだ。奴の最後の抵抗と言ってもいい。いいかアーサー…君は悪魔に『憑かれた』。それは弱いからだ。強くなれアーサー。悪魔に負けない為に」

 俺は振り向き、父をじっと見る。

「悪魔に憑かれる弱さって何?」

 俺は厄介だから恐怖を植え付けられた筈。ならば俺は強い筈。

「それは挫ける心。諦める心。他人を醜いと思う心。強さとは己の弱さを知る心だ」

 弱さ…

 その当時の俺は、その強さがよく解らなかった。


 今、俺は父の期待に応えてヴァチカン最強の騎士と言われるようになった。

 俺は強くなった。

 だが、俺は感情を失ったまま。

 命令が無ければ戦う事も退く事もしない。

 幼い頃、あの悪魔に憑かれてから俺には何かが欠落している。

 その何かが解らない。

 解らない……

 ずっと解らない儘、俺はここに来た。リチャード、レオノアと共に。

 戦闘の指示はリチャードが出す。俺はそれに従えばいい。

 彼はリーダーだ。父の代わりに彼を信頼しようとしている。

 だが、その彼は、悪魔王にすっかり怯え、退けた者を認めようとせず、取り乱している。

 あれが父の代わり?

 あれが騎士?

 あれは弱い。

 あれは…


 醜い………


 その時、俺の意識の底から冥い沼が現れる。俺はそれに足を捕らわれた。

 な、なんだこれは?

 意識の中、俺はその冥い沼にズブズブと身体を沈められる。

 もがいて、足掻いて脱出を試みようとしている俺の脳に直接話しかけて来る奴がいた。


――貴様か。意外だな。てっきり、あそこで取り乱している者かと思ったが


 なんだ?誰だ貴様!?


 意識の中で問い掛ける。それはいつの間にか俺の目の前に居た。禍々しい瞳だけを俺に向けて!!

――俺は憤怒を司る魔王、サタン。喚ばれて手ぶらで還る訳にはいかぬ

 さっきの奴か!?

 意識の中でエクスカリバーを探す。

――無駄だ弱き者よ。既に貴様は胸まで浸かっている

 言われて初めて冥い沼に胸まで浸かっている事に気が付く。

――弱き者よ、貴様は神に仕える騎士の身でありながら悪魔に堕ちた。嘆くもよし、悲しむもよし、本能のまま暴れるもよし!!

 嘆く?悲しむ?暴れる?何を言っている…

 ぁぁぁぁああああ「あああああああああ!!!」


 俺の意識は…



 そこで途切れた………

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