第49話 リアリティについて 2
前回、経験則に則ったリアリティについて、ご提案?があったので、それについても自分なりの解釈をしてみます。
経験則に則ったリアリティで一番難しいのは、自分よりも賢い人物を描くことです。
もしくは自分の中にはないおちゃらけた人物とか、真面目すぎる人物とか。
想像するしかない人物の内面や表面を書くのはすごく難しいなぁと思ってます。
これはキャラクターなのですが、他にもあります。
行ったことのない場所について書くことも難しいです。
経験したことのないことを書くことも大変です。
なので作家さんは取材というものをするし、自分の足で色んな場所に出向いて空気感を体感してきます。
わたしもその手合です。
グーグルマップやネットの紹介、ほんの記事ではぜんぜんわからないものが現地にはあります。
それでも、こういう島があるというような造形を作り出すことは可能で、そのための下調べであると言って過言ではありません。
他にも、まったく経験したり興味のないものについて書くときも同じようなリアリティについて悩むことになります。
わたしなんかバスケットや運動全般あまり好きではないし運動音痴です。そんなわたしがスポーツの話を書いたら、きっと嘘っぱちっぽくなると思います。
食べ物の描写もそうです。嫌いな食べ物を美味しそうに食べるシーンは多分自分ではちっともわからないでしょう。
余分なリアリティというのは前回書いたとおり、説明文なんですが、自分がそんな説明文を書いているのかわからなかったりします。わかればいくらでも削るでしょう。
もしくは、ホラーなんかは状況描写をきちんとすることで、臨場感がでます。
ラノベでキャラクター中心のものだとキャラクターの造形でリアリティは増すと思います。
ロボもの・ダンジョンもの・ゲームものなら話の中心・もしくは必要な要素になるものの造形・仕組み・状態を描くことで、よりリアリティは増すのではないでしょうか。
書き手には書き手のポリシーというものだってあるかもしれないです。
こういうふうに書くのはこういう意図があるからだというのは、わたしだってあります。
でもそれが読者に伝わらないこともあります。伝わらないときはやっぱり真実味やその意味や理由が書ききれてないからだと思います。
そうでなければならなかったリアリティもやっぱりあるのではないかなと。
それでも、状況や状態、そういった描写に対するリアリティがなくなった時、その物語は物語の域を出ない気がします。ちっとも迫真、もしくは目の前にそれがあるようには感じられない気がするのです。
私はいつもそんな事を考えながらリアリティについてどう表現したらいいのか考えてしまいます。
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